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フォートリエ展 関連講演 林道郎氏『層状絵画の不安』 豊田市美術館

8月10日(日)台風11号が中部地方にも迫り来る中、豊田市美術館で林道郎氏(上智大学教授、美術史家、批評家)のフォートリエ展講演「層状絵画の不安」が開催されました。以下、林氏の講演概要です。不完全なものですが当日台風により参加できなかった方、フォートリエに関心がある方のご参考になれば幸いです。文体が揃っていない点はご容赦ください。

なお、当日の事前予習資料として東京都現代美術館での林道郎氏の講演「アレゴリーとしての『人質』:アンフォルメルと 『具体』についての話」の案内がありました。以下、東京都現代美術館研究紀要2011(PDF)のリンク。
http://www.mot-art-museum.jp/others/docs/report2011_02.pdf
*前置き等は省略し本論より始めます。なお、講演では多数の画像や写真等を用いたスライドトークでしたが、掲載は割愛しています。

層状絵画の不安というタイトルを付けたが、フォートリエの絵は非常に複雑な構造によって成り立っている。しかも地層が何層も塗り重ねられているような構造を層状絵画といっている。
そこに読み込まれる不安というか最初は動揺という言葉を考えていた。いろんな意味でフォートリエの絵画が揺れ動くという話をしたい。それは構造的に揺れ動くだけでなく我々の記憶の問題や現実との関係、いろんな意味に揺れ動く、不安を抱える、動揺する構造をもった絵画を彼は作っていると思うので、そこを中心に話を進めていきたい。

フォートリエは人質の画家として知られているが、人質の連作が集められた部屋を見て分かるように圧縮度の高いシリーズが展開されていて、それを彼は45年の個展で一挙に見せることで現代美術の世界に名を馳せ認められることになった。
アンフォルメルの問題は後で詳しく話すが、画面に今出ているのは大原美術館蔵の人質の作品。人質の連作の中でもとりわけ大きい絵画で、カンバスの上に紙を貼って、その上に石膏で下地を作って、その上にグアッシュをつけていく。いろんな素材で厚塗りの絵画を作っている。塗りだけでやっているわけでなく、グアッシュで簡単な輪郭線を作り、顔の映像を二重化するということもやっている。したがって、イメージも二重化、イメージそのものも多重化されているのが人質の連作。45年に人質の連作が個展で開催されたのはパリのルネ・ドゥルーアン画廊。20点あまりの連作が展示され、ちょうど今人質がかかっている部屋と同じ位の点数がかかったんだと思う。
これで神話的名声を得るようになる。神話的名声を得る時代背景は第1次世界大戦で、フォートリエはレジスタンス運動に関連したため、一旦ゲシュタポに拘束されたこともある歴史も持っている。戦時中彼は身の危険を感じ、パリの郊外のシャトネー=マラブリという一画に秘密のアトリエ・すみかを持ちそこで制作を続ける。その時、近くにドイツ軍の捕虜収容所があり、パリのレジスタンス運動にかかわっていた人が拷問されたり処刑されていた。一説によると、そこから聞こえた様々な音によって反応して人質を描き始めたと言う話になっているが、音が実際どこまで聞こえていたのか分からず、その話の信憑性には疑問をもっているが、アトリエの近くに捕虜収容所があり、そこでフランス人の捕虜が処刑されていたのは事実。

首だけの顔だけの連作なので、殺された人間のイメージが投影されていると解釈するのが自然なことなのかもしれない。まだ戦争の記憶が非常にが生々しい時に発表されて一気に名を馳せた。
人質の連作をもう少し見せますが、油彩、紙、そしてカンバス。紙の上に直接、石膏塗ったりやグアッシュを塗ったりするのは20年代からその技法を発見したという記述がありましたが、30年代から紙に直接描くことで油が絵具が染み込みやすい。それによってこの技法を使い始める。ある意味で切断された首というものだけでなく、顔の像がデフォルメされて肉の塊のようなものに変換されているので、戦争がもたらした心理的トラウマが生起されていると人質の連作がレファレンスというか語られることが多い。実際トラウマ的イメージにだとは思う。しかしその時に忘れてならないのは、フォートリエが戦前からやっていた仕事との関係性、連続性が見失われて行くということ。例えば、今回の展示には出ていないが20年代に女性像をモチーフにした連作が沢山あるが、人間像は非常に単純なフォルムに還元されている。この場合は横たわる裸体で、例外的だが横たわる裸体が上から見下ろされた肉体が横たわっていて、白い・・・。 暴力的にデフォルメされた暴力的と言って良いかわからないが、デフォルメされた人間像、ことに女性像が戦前に多く描かれているのを見ると人質は突然出て来たものではなく戦前の仕事との連続性として考えるべきではないかと思う。
実際、人質だけでなく殺された兵士の像というだけでなくヌード、手のある裸婦、青いドローイングで描かれた形象は手で、ピンクの絵具の塊は女性像というか人間の肉体、肉を感じさせる。その上に記号的に手や身体の一部のような曲線が描きこまれている。
これは裸婦であってそれが非常にデフォルメされた形で人質の連作と関係してくる。実際に戦争の中で人質ー「
otage」を人質と訳すのが正解なのか捕虜と訳すべきではないかという説もあるが、捕虜を描いた連作の中にこういうヌードの女性像がある。
それともうひとつ面白いというか気をつけて考えないといけない問題は、人質の連作の中に顔を描いたものと肉のようなもの、顔ではないものと両方入っていること。
フォートリエの人体に関する関心は基本的に女性の身体に関する関心。男性の身体、裸体はほとんど出て来ない。裸の身体がデフォルメされた時のタイトルは「女性」とか「少女」とかになっている。顔の方は捕虜なので一義的には判断できないかもしれないが、ジェンダーレスというか男のイメージを思い浮かべる。顔をもった男性と顔のない女性。ジェンダーレス感を受けるアンバランスさがあり、その両者の間を揺れ動いているというのが人質シリーズ。
女性身体への関心は戦前から続いているのは戦前から続いている問題で、更に大きなコンテクストで言うと、肖像への関心も初期から一貫してある。しかもその肖像は顔を大体中心に描かれて成り立っている。フォートリエの画家としての資質の一貫したところだが、彼は構図にほとんど気を配らない。ほとんどすべてのモチーフは画面の中心に置かれている。それは肖像の時代からそう。構図に重きを置くある種の近代絵画の伝統から切れたところに彼はいるのかもしれないという気がする。

もうひとつ大きなコンテクストとして言っておくべきは、風景がまずないこと。フォートリエの作品には風景画が1点もないと言ってもよいかもしれない。後期に《草》とか《雨》とかいうタイトルのものがあるが、あるのは肖像画か静物。肖像と静物の間を揺れ動きながら仕事をしているのがフォートリエという画家。女性の身体への関心は、彼のなかで今回のキャプションの仲にもあったがプリミティズムへの関心につながる。原始美術への関心が20世紀頭からいろんな形で出て来て、ピカソやマティスがアフリカの芸術にインスパイアされ仕事をしている。その伝統の仲でフォートリエもプリミティズムに非常に関心を持っていた画家のひとり。

ところがここは重要かもしれないがフォートリエが見ていたプリミティズムはどういうものだったか。20世紀の頭に旧石器時代のヴィーナス像があいついで発見される。1908年に発見されたヴィレンドルフのヴィーナス。公にイメージとして共有されるのは少し後のことだが、それからこれの後に同じような発見が続く。これらはピカソやマティスが見ていたものとは違う。彼らが見ていたものは仮面や木彫の人間像。そうではなく20世紀に旧石器時代に石で作られた非常に量塊性の高い女性像が発見され、フォートリエはそちらにインスパイアされている。塊としての人体、ボリュームとしての人体に彼はすごく強い関心を持っていた。それがプリミティズムへの関心と直結するのがよくわかる。彼はその関心そのものは資質的にもっていたという気がする。女性の身体の量塊性というかmassとしての女性像、肉の塊としての女性像にずっと関心を持っていた。量塊性ということはもう一方では触覚性にも非常に通じる。したがって彫刻と絵画の間に連続性が出て来るが、触れるものとしての人体。触覚性がフォートリエの絵と彫刻を結んでいて彼の中で保持されている問題。因にピカソの例(《アヴィニヨンの娘たち》1907年では、右側の2人の人物の顔はピカソが当時見ていたアフリカの仮面、左端の人物はオセアニアの仮面にインスパイアされていると言われている。身体はフラットでぺたんとした形になっているのがよくわかる。こういうものとフォートリエの関心は恐らく対極的というものだったという確認が必要。

身体の量塊性に関心をもったのは同時代の画家のなかでフォートリエはとりわけそれが強かった人かもしれない。
同じような厚塗りのテクニックでパリの画壇をわかすことになった画家が2人いる。ひとりはジャン・デュビュッフェで46年にパリで厚塗りの作品で美術界を席巻する。右側の作品は線を刻み込んでへらのようなもので刻み込んで成り立ち、それだけで厚みがあることがよくわかる、人体蔵を何層もある壁のようなものとして描いたが、人体はぺたんとした鯵のひらきのような形でイメージとしてはフラット。もうひとりはヴォルスでドイツ人の画家。ヴォルスの最初の個展も45年。45年46年と戦後直後にこの3人がほぼ同時に画壇に衝撃的なデビューを飾る。

それに強く反応したのがミッシェル・タピエという批評家。フォートリエ=アンフォルメルという神話を作ったのはミシェル・タピエという批評家。1951年にタピエがシニフィアン・ドゥ・ランフォルメルという展覧会をパリで組織する。新しい絵画の体系を代表する作家を集めて近現代の美学はアンフォルメルだということを示そうとしたマニュフェスト的な展覧会として組織したのがシニフィアン・ドゥ・ランフォルメル。その翌年に彼は「別の美学」というテキストを書いてマニュフェストを発表する。それがアンフォルメルという運動の起点になっていく。基本的に彼は戦争以前の美術を捨てなければならない。戦後の美術はグランドゼロから始めなければならないんだ。グランドゼロはアンフォルメルという美学的概念によってとらえられるものだ。その出発点にいるのがフォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルスの3人だとタピエは主張した。タピエの文章『別の美学について』を瀧口修造が訳して『みずゑ』(56年12月号)に発表されたアンフォルメルについての一説を引く。
アンフォルメルはアンフォルムという不定形な・・・消極的な意味と・・・以下略。


何を言っているか基本的には分からない。
タピエは別の美学や新しい美学が必要だといった時に、別の美学が内示しているものをこういうものが必要だということがついに言えない批評家だった。ただ、こうではない、ああではないということだけは言っていた。近代的なノンフォルマリズムではないし表現主義的な抽象を意識しているものでもないし、考えられる可能なすべてのフォルムの体系を予想し抱合するものがいろんな要素を吸収し新しい美学として出すのがアンフォルメルだと言っていた。それは単なる不定形ではない。そういうことを言って一大ブームを作った。そういう言い方、コンテキストが熱気をもって受け入れられたのは考察に値する問題だと思う。戦後美術で何をしなければならなかったという時にそれまでの近代美術が第一次世界大戦では何もできなかったので、それに対して別の美学が必要だという関心は共有されていた。そういう中でタピエが批評界のスターとしてデビューした。

タピエの来日が1957年(タピエと吉原治郎の写真)。タピエは具体を発見し非常に感激する。アンフォルメルで私がパリでやろうとしていたことが日本ですでに起こっていた。具体の作家たちは私が目指していたものを既にやっていると非常に感激し、タピエと吉原は共同戦線を張る。
具体は雑誌を発行していたのでそれにタピエが寄稿したり、タピエがパリの画廊に具体の作家を積極的に売り出すようなことを始めた。

具体にはどういう人たちがいたかというと、アンフォルメルを代表する画家としてパリにいた堂本尚郎、同時にパリに行った今井俊満。堂本さんも今井さんも非常にサイズが大きくて、もうひとつには絵具をぶちまけて、アクションペインティング的な要素を持った絵画が堂本・今井の共通点。パリを代表するアンフォルメルを代表する画家ジョルジュ・マチューも同じような特徴を持っていた。マチューは1957年にタピエと一緒に日本にやって来て日本中で公開制作をする。何回か百貨店に行って、東京では白木屋、大阪では大丸。このときできたのが豊臣秀吉などの作品。マチューの格好は浴衣を着て、恐らくカツラをつけ侍的な格好をして公開制作をする。見せ物的な興行的なやり方で日本の人々を驚かす。全身を使って左右に動きながら腕を大きく動かし作品を作る。タピエの興行者的なやり方に対してフォートリエはよく思っていなかった。初期は仲が良かったこともあるが、57年58年あたりから関係が瓦解していく。興行者的なやり方にフォートリエは批判的になっていく。元々アンフォルメルに含められることに抵抗をもっていて、アンフォルメルに対して懐疑的で、ヴォルスもデュビュッフェもしかりで、タピエのいうアンフォルメルの運動に3人は組み込まれたくないと言っている。

58年に日本の批評家瀬木慎一さんはパリに行きフォートリエを訪ねる。フォートリエはアンフォルメルの大家だと思ってアンフォルメルの話を聞こうとして行くのだが、フォートリエはいきなりタピエを罵倒し始める。瀬木さんは驚いて、フォートリエはアンフォルメルのことをよく思ってないのだと帰国後そのことを記事に書く。それから瀬木さんのアンフォルメル批判が始める。そういうエピソードがあった。
59年に南画廊でフォートリエは個展を開く。個展に寄せた文章の中でもタピエを批判と読み取れる発言をしている。

では日本の具体の人たちはどうだったか。例えば白髪一雄は具体の中心人物だったが、大画面、とりわけフットペインティングの手法で作品を作った人。183×203cm非常に大きく全身のアクションが、画面上に刻印された作品を作る。嶋本昭三さんはボトルに入った絵具を画面上に投げつけて、それが割れて絵具が散乱していく様子をそのまま絵画にして使っている。非常にダイナミックな作品だということがわかる。そこからフォートリエの人質に戻ると、いかにこれらの作品が小さいかということを改めて認識せざるをえない。
 
フォートリエとタピエのアンフォルメルの作家の違いはひとつにはサイズ。フォートリエの場合、50年代後半からあと一番最後の部屋にくると多少大きな作品になっていくが、それ以前の作品はほとんど小さないわゆるイーゼル絵画の標準的なものより小さな作品になっている。したがってアンフォルメルの画家たちのように全身的なアクションの痕跡が残されているものはない。むしろ2番目に非常に重要なことは、フォートリエの画面を見ていると図工的、図工をしているような、手で遊んでいるような特徴を持った作品が多い。カンバスとか石膏、石灰の重なりにより凹凸のある画面を作る。いろいろなものをこねて画面を作り、インクや水彩やグアッシュを使ってその上に形象を描いていく。その中には全身のアクションの痕跡はない。むしろテーブルトップ、デスクトップで図工をしているような感覚。手、触覚との関係は、彫刻と図工的なもの、手でこね回す、あるいはひっくり返して作って行くことで成り立っている。彫刻と絵画を連続性させている重要なポイント。フォートリエの彫刻はあまり知られていなくて、かなり早い時期にフォートリエの友人だったアンドレ・マルローが指摘している。45年の人質の展覧会の実現にはマルローの力があるが、マルローは文章の中でフォートリエのあれらの形態はタブローより彫刻からきていると指摘している。もう一方で触覚的なものとかかわるが、サイズが小さい、図工的、工作的、触覚的、手と目の関係でいうと手的であって目(め)的ではない。

それとかかわる3番目の問題として、見えないものの周囲に組織されている。ものを触っていると、ものとものの間の襞とか裏側とか見えないものに対する感覚がフォートリエには非常に強く一貫して存在する印象を受ける。
西洋美術の歴史において、絵画のサイズが極端に小さくなるのは基本的に印象派以後。印象派以前クールベまでは大画面の絵を描くことがが画家にとって重要だった。そうでなくなるのが印象派以後。
フォートリエは印象派のサイズ、モンドリアンやキュビスムの画面のサイズそういったものとの連続の中で人質のサイズがある。ただし小画面のイーゼル絵画の伝統は基本的には視覚中心主義により成り立っている。目に見えるものをどれだけ忠実に色として再現して行くか。印象派の特徴、モンドリアンもクリアに明瞭に視覚的な実態として捉えるのものもそうだが、基本的には視覚伝統主義の中にある。フォートリエはそうでなく小画面だが彫刻的な手触りの感覚が強く、視覚からはみ出す、あるいは視覚から排除されている何者かにそって組織されている感覚が仕事の中に常にある。彫刻を見てもそうだし左の裸婦もそうだが、乳房と乳房の間、手と身体の間とか非常に強い黒で陰影・影を刻みつけていくフォートリエの資質が初期から一貫してあることがわかる。乳房と乳房の間の谷間がある。見えない量塊性に関する彼の関心が強くあると言えるのではないかと思う。
右側の彫刻は遠くから見た時には後ろから見た女性像にも見える。背中とお尻に見える。目と鼻と口があって正面から見た女性像としてわかるが形としては反転可能。形の多義性のような見えないものが突然見えるようになってしまう感じ、図工的な関心が強くあるのではないか。

図工性についていうと、非常に雄弁に語るのがフォートリエの製作中の写真でよくわかる。イーゼルの上に置かれて描かれていることはほとんどなく、大体が水平のデスクトップに置いて描かれる、その上で絵具あるいは石膏をこねまわして乗っけて広げて厚くして刻み付けて図工的な作業で成り立っているのが彼の絵画。このことはまた別の重要なことを考えさせる。それは垂直面として成り立っている絵画と水平面として成り立っている絵画という問題。従来、西洋絵画は基本的にルネサンス以後の絵画は垂直面としてイメージされる。基本的に我々は直立していて、正面に見える風景を絵画の中に描いて行く。絵画表面は垂直面として我々日相対する。つまり垂直のポジションが絵画の原理的なポジションとして推移していた。それが変わるのが20世紀。垂直面だった絵画が水平面となって現れる出す現象が起こる。それが顕著にあらわれるのがキュビスムの時代やキュビズムの中で出て来るコラージュ。これらは水平面にあるデスクトップの作業で紙を貼付けたり動かしたりするので、垂直に展示されるが垂直なイメージが水平な場面でやられていた作業を思いおこす。
展示する時には垂直の壁にかけられるが、水平的な場面の中で作業を思い起こす。更に嶋本や白髪、ポロックの取り組みもそうだが、水平にキャンバスを床に置いて描画を行う。これは20世紀におこった絵画史上の重要な転換。中世にもそういうことがたくさんありそういうことが回帰したという言いかたもできる。この間にあるのがセザンヌ。セザンヌは垂直に成り立つ風景もたくさん描いているが、同時にこんな絵も描いている。静物というものが上から見下ろされる(《キューピッドのある静物》コートルード研究所蔵を紹介)。テーブルの上に置かれたお皿やテーブルが上から見下ろされた格好で描かれている。それにより水平面が強調される。正面より斜めに見下ろしている視覚により水平面が立ち上がる構造になっている。さらにいうとこれはコラージュ的な手法により成り立っている。背景に見えている3枚のキャンバスの絵。とりわけ左端に見えている画中画は自分の作品を自己引用している。ワシントンナショナルギャラリーにある絵を自分でもう1度画面の中に描いている。画中画の布が外に出て来て前景のテーブルの上にある布と一体化している奇妙な構造。キューピット像は後ろの背景にあるキャンパスによってフレーミングされている。更にいうと彫刻を描いているセザンヌ自身が描かれている。構造的にはコラージュ的。こういうものを経て、ピカソのような人たちはキュビスムの経験からコラージュの実践を始めている。セザンヌを超えてレディメイドで存在している壁紙や色紙、新聞紙を切って貼付けることによって成り立たせている仕事。こうなると画面の奥行きの問題は存在せず、むしろ画面の上にいろいろと紙を動かしながらこうでもない、ああでもないと作業するピカソの姿が思い浮かぶが、水平面的なロジックで成り立っている。
こういうことが20世紀には当たり前になってくる。クレーも下地を非常に丁寧に作って行く作家で、油彩を使い水彩、いろんなメディウムを混ぜてひとつの画面の中で作って行くことを始める。こういうものが20世紀に入ると沢山つくられる。

キュビスム以後絵画の空間の成り立ちが変わっていく。コラージュ以後、絵画はむしろ外に飛び出しどんどん厚みをもち初めていくのが20世紀頭の絵画の状況。
フォートリエの小画面だが厚みがあって何層にも塗り重ねて行く画面は、こうした美術史的な記憶と切り離せないと考えている。タピエは戦前を切り捨てグランドゼロから始まったと言っているが、きちんとこういう伝統から考えないといけないかなと思う。
更に付け加えて行くと先程フォートリエの仕事は基本的に静物と肖像によって成り立っていると言ったが、振り返ると静物と肖像はキュビスムの重要なジャンル。フォートリエの仕事はキュビスムと共通している。そういうものとの連続性の中にフォートリエの仕事はある。
美術史的な記憶の問題が、フォートリエの作品を見ていると読み出されて来る感覚を持つ。もう一方でフォートリエの多層化された絵画には行為の時間というものが刻印されている。厚みのある層を作った後にドローイングをちょろちょろっと付け加えることで、制作の時間が何層にも塗りこまれていることにより見出せるし、ある種の厚みをもったものとして読み出せる。ポロックや白髪さんや嶋本さんにはは全身的なアクションの痕跡があるが、フォートリエの作業にはそういったものはない。
むしろフォートリエの作品を見ていると、たとえは悪いがお好み焼きやハンバーグを作っているのに近い感じがある。速度性やダイナミズムという言葉で捉えられる感覚はフォートリエの絵画にはない。それにはフォートリエ自身も感じていたのではないかと思う。塗り重ねられた層の上に弱々しい輪郭線で人の顔らしきものを描いて行く。かわいい少女という作品もそんなテクニックによって成り立っている。これは今日見ていて気づいたが、層状に下地をつくりその上に弱々しい輪郭線でイメージを描く、つまりイメージと素材・物質が乖離して行く。ある種の乖離、分裂を起こすのは30年代の後半から。そこで一連の静物画を作っているがそこで初めて出て来る問題だと今日気づいた。その問題はそこから始まる。それ自体重要なことだと思う。
この作品に特徴的なのは左上の余白、右側の余白の部分に黒い点々があるがこれはフォートリエの指紋。見えない空間、触知性、触覚性によってイメージと物質の乖離により見えなくなる部分が生じている。見えなくなる部分をもう1度、彫刻的につかまえようとしている。指紋が残っているのはそういう問題に対して示唆的だと感じる。茫洋とした空間が広がるというのもある種触れるものとして描いている。

アンフォルメルについてもう1度言うと、南画廊の展覧会でフォートリエが書いた文章の中に、こういう一説がある。
自らの・・略・気障な遊びは、マチエールや化粧漆喰・・略・・・最後にはたまたま掘り出した模倣。お互いに模倣しあうことしかできなくなってしまう。現実は作品の中でも生き続けなければならない。・・・略

これも示唆的な文章だが、アンフォルメルと自分は違うと言いたい。アンフォルメルは気障な遊びだ。結局、ある種のヴァリエーションを差し出すのが落ちでお互い模倣しあうことしかできない。アクションペインティング的にある自由が絵画のモチーフになるとすれば、マンネリになるだろうというのが彼の見解。彼が大事にしたのは現実。現実は作品の中でも生き続けなければならない。逆にいうとアンフォルメルは現実から乖離していると言いたい。自分は現実を作品のモチベーションとして意識し続ける。ここで現実と言っているのは人質の場合は、戦争時の過酷な悲劇を現実の体験としてモチベーションとなっている。そこから全く新しいものができるわけではなく美術を考える時は常にそうだが、グランドゼロから何かができるわけではない。
やはり画家は手持ちの方法を使うしかないが、手持ちの方法を解体して作らざるを得ない。そういうものの拮抗。
同じようなアンフォルメルに対するマンネリ化・自動化に対する疑義の念は同時代に多くの人が言っていた。岡本太郎もタピエの来日時のアンフォルメルブームに懐疑的だったひとり。
タピエと瀬木慎一と岡本太郎の対談からの文章の引用。略

太郎は一貫して絵画の自己目的化に懐疑的で彼自身の戦争中の体験が大きい。
日本においてなぜモダニズムが定着しなかったのかにも通じるが、20年代30年代に幾何学的抽象をやった人は沢山いるが、続かない。それは戦時中に抽象絵画をやっていた人たちの美学がファシズムに無力だったことにつながっているところがある。太郎はアヴァンギャルドだ前衛だと言っている。太郎の絵が良かったかは別として思想としてはそう。
こういうこととフォートリエの実在を中心として浸透を与える、さっきの言葉で実在とか現実というのを表現ではなく推進力として作品としての機動力となっていく。実在や現実を表現することではなくやってくるのは推進力で、フォルムが解体され作品としての機動力になっていくということ。
フォートリエの来日時に、アンフォルメルの関係の中で紋切型化した受容が一般的になった。富永惣一氏のフォートリエを迎えてという文章の中でこういうことを言っている。一つの無垢な現象・・・・。略
文学的に無垢な発言や慟哭であったという言い方をすると人質という連作がヒューマニズム的なロマンティックな読み方になってしまう。戦争の悲惨さを人質によって表現したんだという語りが出て来る。

フォートリエの方法は似ているようだが微妙に違うと思う。作品の中に生き続けなければならないことが重要なポイントで。紋切り型のヒューマニズム的な語りの中で取り逃がして来たものがフォートリエには色々あると思う。
図工的といったのがそういうもの。
カリカチュア的とさっき言ったが、あるいは図工的、お好み焼き、ハンバーグ的といったもの。連作を繰り返し見ていると、ほとんど子供の遊びのようなある種、泥をこねる時の喜びのような、原初的な快楽のようなものが登録されている感じがする。そういう作品の中に起こっていることは、ヒューマニズム的な読みだけでは捉えきれない複雑なものだという気がする。同時に人質の連作の中ではピンクとか緑とか明るい色が使われたり、漫画的形象が出て来るが、こういうものに対して初期のフランスのフォートリエの同僚たちはかなり的確に反応している。盟友ジャン・ポーランの言葉だと、拷問され・・・略・・・このような恐怖のまっただ中から・・・にたち現れる優しさがある。フォートリエの絵の中にある両義性を言い当てている。アンドレ・マルロー:我々はこれらの作品に納得するだろう。ほとんど柔和といった困惑するだろう。別の側(政治的、ヒューマニズム的ではない)に落ち込むこともあるのではないか。この世の価値の体系を超えた別の場にに落ち込むことがあるだろうと言っている。

更に面白いのは1959年の南画廊のパンフレットに東野芳明が文章を寄せている。彼は人質のシリーズをしわくちゃ性という言葉で言っている。同時にシンパシー悲劇的に理解するのが危険であると言っている。東野さんらしい慧眼だと思う。同時にフロイト理論を研究しながら、子供がうんこをこねるような、とも言っている。フォートリエの絵がそういうものとどこかで通底するのではないかと初期のテキストですが、むしろ初期であるが故にきちんと見ていたのではないかと思う。そういう言葉をきいて見ると確かにそういう気がしてくる。

痛みと喜びの間を作品として動揺している。喜劇でありながら悲劇。そういうものの間を層状の絵画として出現している。我々の世俗的な分別を無効化するような過剰な 同時に物質と記号としてのイメージ。物質としての下地と記号としての顔が乖離しているその間に変な動揺が生じている。
例えば3つの作品、この目が沢山出ているが、30年代の静物が2枚あって、54番と56番。葡萄の真ん中に・・・ホリゾンタルなものが垂直に置き直されている。様々な記号とイメージが物質の中で多義性を出来させている。

もう一方で肉、痛み、暴力に関して言うと、フォートリエの中には一貫して食べることに対する暴力性に関心がある気がする。山鶉や吊るされた兎の作品、イノシシの作品もある。同時に一番面白かったのは《羊の頭部》34番の作品。羊の頭部は、人間がものを食べる中で無意識のうちに実行してしまっている暴力、凶暴性、それらに最初から関心があったんだろう。食への関心は静物の世界の中では基本的にはブルジョワ的な富の象徴や洗練の象徴として描かれるが、食べることは根源的には暴力とつながっていると意識していたのがフォートリエ。羊の頭部はとりわけ重要な作品だと思うが、これは見下ろされる視点で描かれている。白いテーブルクロスの上に羊の頭部があって、肉の塊であると同時に顔でもある。人質の中にある構造の基本は既にあの絵の中にあると言って良い。白いクレイの中にぼんと置かれた顔。しかも顔は動物、生け贄にされた動物と人質は地続きのイメージだと感じる。捧げもの、供犠の捧げものとしての食、あるいは動物の死体、それを食べる。ある種のプリミティズムにもつながるような感覚が静物の中に一貫してある。同じようなことは女性像にも通じて、プリミティズムの文脈の中ででてきた女性像にインスパイアされた女性像を描く。祈り、豊穣的なもの、宗教的なものに使われた女性像。そういうこともフォートリエはどこかで意識していた。
ジェンダーに非対称性があり、肉としての女性像、顔はむしろ男性が多い。フェミニズム的に女性の身体だけが暴力の対象ではないということも可能だがむしろそれだけでは片付かないような匿名性、呪術性、宗教性、聖性を帯びたものとした印象を受ける。
ジェンダー的な観点と言うと、人質になった兵士を浮かべるが、よく見るとどうもそれだけとは言い切れないような気がする。ピンク色とか頻繁に出てくるので決定不能性みたいなものを感じる。

基本的にフォートリエは構図に無関心という話をしたが、顔は中心に置かれ、静物画も大体中心にモチーフが置かれている。それは女性像を描いていても同じ。いわゆる構図によって表現されるような個人的な趣味、美的センスといったものを芸術で表現するのはフォートリエの意図ではなかった。それまでの絵画はそうでなかった。モンドリアンは象徴的だがモンドリアンは垂直線、水平線の3色だけで成り立っている。そういうものを支えていたのは微妙なミリ単位で調整している。最終的にこれしかないという構図で作品として出している。フォートリエはそういうこととは無縁。自分の美的判断に従った構図にするのではなく、与えられた画面はお皿のようにその上だけで何かを作業するイメージ。そういった感覚と通底するのかと思うが、フォートリエは50年代から今回の展覧会には触れられてない部分だが「オリジナル・マルティプル」という考え方を全面に押し出している。
版画のテクニックで同じものを何枚も作り、その上に手で色をつけ、ヴァリエーションを付けて行く。55年にはこのシリーズで個展を開催している。オリジナルマルティプルの考え方を提唱していく。実際に50年のカタログには作品はもはや単一でなくマルティプルになっていくと言っている。以下引用略。油彩にこだわると小手先の作品しか作られないだろう。略・・・
手を使って1枚の絵を描くなんてことはやめるべきだ。メカニカルな方法で絵を作ることを考えるべきだ。版画の手法で描かねばならない。もう2度と私の作品を見ることはない。

それでもいっぱい作り続けて全然やめてない(笑)。でも、基本的には同じ構図でやっぱり作り続けている。50年代以降の作品も画面の中心にモチーフを置いている点は変わらない。
そういうことをフォートリエが言っている背景には、テクノロジーの変化がある。50年代に大衆社会が非常な速度で進展していって、1点ものの美術が古くさいものとして認識される。新しい技術を使って広く大衆にアピール、伝播する方法はないかという問題意識からそういう考え方が出て来る。同じモチーフを版画で作り、手技でバリエーションを作る、構図はやはり中心にモチーフがありそれのヴァリエーションによって成り立っている。ジャン・ポーランが書いたフォートリエのモノグラフにフォートリエは自分の自画像を提出する。本に差し込まれた絵は自分の肖像画を繰り返した自画像。ウォーホルに先立つこと40年前にこういうことをやっている。写真複製が非常に簡単にできるようになり本にも挿絵が挿入されるようになる。複製技術に対して新しい回答をしようとしていたのがフォートリエという画家。こういうものと同時に図工的な手技で作って行くことを彼はやめようとしてもやめられなかった。その感覚は残り続ける。
ただし絵画の構造にはより意識的になったと思う。《四辺画》と言っているのには訳があって、画面の4つのコーナーに全部サインがあって、つまりどの方向でかけてもいいようになっている。垂直にかけると垂直性が強調されるので、横長の方が水平性が強調されしっくりする。地の部分を更にその上にグリッドを描いている。フレームと中心性によって成り立っている。水平面の作業に自覚的に意識しながら作っている。

フォートリエのマンネリ化しやすいというアンフォルメルへの批判が、彼自身の作品にも当てはまるかという問題が出て来る。人質の連作の反復はトラウマ的な反復の痕跡として出て来たように見えるところがある。トラウマ的な経験は何度も何度も抑制しようとしてもよみがえる。そういうものに対して50年代の反復が意味のあるものかどうか単なる自己反復かどうか微妙なところにあり、明瞭な答えを持っていない。絵画の構造について後半は自覚的になっていくのは事実。色調がずいぶん変わって、明るい色調は人質の時代まではほとんど出て来ない。50年代後半からは青とか紫とかグリーンとか明るい色調が主になる。それによりある開放感みたいなものがあるのは確か。トラウマ的なものは感じさせずむしろ幸福感のようなものを感じる。メタファーでいうとバースデーケーキのような。

余談だが、オリジナル・マルティプルに関していうとフォートリエと同じことを日本で考えていたのが河原温。1959年の記事「印刷絵画の発想と提案」。印刷物で複製を作りそれにある種のヴァリエーションを付けていくのが現代の絵のあり方ではないかと言っている。(東近美の展覧会「実験場」で展示された河原温の印刷絵画の展示写真を紹介。)現代的な、大衆社会の中でありうべき芸術の姿はこうなんだよと言っているのはフォートリエの問題意識としては通底する。河原温は先日亡くなられたが、渡米以後はこの頃の作品は河原本人がなかったことにして展示することを拒んだ。この頃の自分の仕事を河原温は否定した。河原温「原画一点への基本」美術手帖より引用 略 

これを読んでいるとほとんど写真論に見えて来る。写真は複製で雑誌という媒体で読者に届けられる。1点ものの絵画が時代遅れになっているという問題意識は共通している。

フォートリエの絵画を層状絵画といったが、フォートリエの中にどういう層が編み込まれているかを簡単に図式化したのがこの図。
水平性、記号化されたイメージが出現していた。水平性には両方の極を持っている。思い出して欲しいのは水平面は落書きの表面。子供はまず水平面で絵を描き始める。絵画は垂直的なものと思いがちだが、最初に絵を描き始めるときは水平面を相手にしている。水平面を相手にする時は必ず記号化されたイメージが出て来る。巨大化された太陽や友達などすべてもが記号化されている。両者の記号かされたものが発現の場が出て来る水平面と、重層する物質としての平面の両方がフォートリエにはある。もう一方で様々な時間を意識せざるをえない。ひとつには長い肖像画の伝統を意識せざるを得ない。構図の中心性の問題は肖像画の中心性は当たり前。そういう伝統の中で仕事をしている。静物も印象派以後重要になってきてそういう静物との関係性。コラージュから生じて来た画面の重層性との関係性を考えさせる。もう一方で行為の痕跡としての時間を読み取ることができる。そういった二つの時間制がフォートリエの絵画には刻印されてる。欲動性という言葉が良いのかわからないが、過酷な現実を経験した絵画の外側からやってくる刺激をどうやって絵画に翻訳していくのか。その一方である種の快楽や絵画の遊戯性が同時に混在している。プリミティズムといったが人間の持つ暴力性、供犠とエロス、食べることにおける暴力性と神聖性が両義的に絡まり合っているようなものが絵の中に存在する。同時に反ブルジョワ性、構図というものを大切にする近代絵画の伝統に対してそうではない。オリジナルに対して複製、いわゆるブルジョワの文化が大事にしてきたオリジナルの神話を解体するような方向にいくような反復的、複製的、匿名的な感覚がフォートリエには色濃くあったのではないかと、いろんな極の中にフォートリエの絵がひとつの結節点として存在するような印象を受ける。多元的な重層的なレファレンスの中で今後フォートリエの絵をどう考えて行くかが重要になってくると思う。

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ジャン・フォートリエ展 @東京ステーションギャラリー

 フォートリエの作品を初めて見たのは大原美術館だった。1992年10月に岡山に滞在した時のことだが、仕事の関係で家内と私は別の日に倉敷を訪れた。その時の記録はホームページ「美術散歩」に残っている(こちら)。  フォートリエの《人質の頭部》というタイトルのその画は、青い背景の中に浮かび上がる石膏像のようだったことを覚えている。大原美術館にはその後何回か訪れており、その画は今回の展覧会にも...

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