スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

APMoA Project, ARCH vol.11 末永史尚「ミュージアムピース」アーティストトーク

9月13日(土)14時より開催されたAPMoA Project, ARCH vol.11 末永史尚「ミュージアムピース」アーティストトーク、司会・進行:副田一穂学芸員をテキスト化しました。聞き取りづらかった箇所には(?)を入れています。当日はスライドを使用したトークでしたが、画像は省略します。末永史尚氏の公式サイトにこれまでの作品画像は掲載されていますので、合わせて参照しつつ読まれると良いでしょう。冒頭にあった作家の紹介は省略しています。(敬称略)

副:今回元々私はタングラムとかそういうイメージで話を持ちかけたて、今回も旧作を交えながらやるかなと思ってお願いしていたのですが、良い意味で予想を裏切る新しい展開を見せてくれましたので今日はその辺の裏話も含めてじっくりお話を伺えたらなと思っています。

末:今日は来ていただいてありがとうございました。名古屋でこういうレクチャーをする機会がないので、一番最初の僕の制作のスタートからお見せして、後半に今回の展覧会の話ができたらなと思っています。
僕は、東京造形大学の卒業なんですがその時の卒業制作の作品なんですが、これを作った時考えていたのは、元々絵画専攻で絵を描く勉強をしていたのですが、油彩をやっていたのですが油彩画事態に馴染めなくて油彩画絵を描く時の色彩が表に立つ。三次元のものを二次元にするプロットに馴染めなくて自分にとって絵を描くことはどういうことなんだろうと考えて小さい頃の絵を描くときの原体験を思い出して二次元のものを二次元に描き写す方が馴染むことに気がついて自分が絵を見ている経験すらも画集を見ていたりということが多いということから、これがこの真ん中のはリキテンシュタインの画集の図版ですが、ずっと見ているとこれを拡大すると隣のこの絵はフェルメールなんですけれど、真ん中の端っこに光っている光がきらっと見えているくらいなんですが、こんなことをしていました。

副:これはアクリルで描いているんですか?
末:そうです。真ん中の絵は下地を塗っていない生のキャンバスに描いていますね。
点で型を作って行く。これほんとは一番最初に紙に描いたドローイングであまり見せることはないんですが。これもリキテンシュタインモチーフですね。そうこうするうちに画集、絵のモチーフを拡大してこうやって写真の斑点だけ描いていたり。印刷の中のグレーの状態をシアンタイエローが等しい状態を拡大して絵を描いていた。そういう制作を2000年くらいまでやっていた。
それを続けているうちに二次元のものを二次元に引き写す延長線上で漫画をモチーフにした制作を始めた。これは漫画の吹き出しを漫画から直接切り抜いてキャンバスに貼付けたもの。これは2003年か。これは漫画の中から巻き髪の部分、これはスクリーントーンですね。分かりますか。
副:巻き髪って具体的に何の漫画から? 
末:これがですね。デカスロンですね。
副:あぁ、デカスロン。デカスロンと言っても分からない方が多いと思いますが(笑)。こんな巻き髪が出て来ましたかね。
末:これがワンユニットで微妙に重なって、巻き髪の中のくるっていう丸くなっている部分だけを抽出してつなげてつなげて。
副:最初から基本的に元々二次元だった絵を絵として描き直すんだけれども、それが極端に一部だったり極端に拡大しされたりたりしているんですけど。描く時のモチーフの選択。リキテンシュタインはよく分かるんです。元々彼は漫画をコピーしたり拡大したりして重ね描きしているわけでコンセプト的によくわかるんですが、じゃ例えばフェルメールを選んだのはなぜなんでしょう?
末:一番最初に選んだのはリキテンシュタインで網点で絵を描くことの可能性をどこまで引き受けられるかなと考えたとき、対局にあるのがフェルメールだったんです。
副:あーなるほど。光、明暗の表現で。最終的にアウトプットとしては違うかもしれませんが、問題意識としてはつながっている気は何となくしますね。目に見えているものと実際に見えているものとの違うわけじゃないんですが、極端に変な見方をすると全然違うものに見えちゃうというのが、何となく繋がっているのかなという気がするんですが。
末:なぜこういうわかりにくいことをするかというと漫画を使っていることをシンボリックに使いたくなかったんです。ちょうどこの頃村上隆さんが華々しく発表された頃で、それはそれでよく分かったんですけど、引用した時点で完成している気がして、そうじゃなくて引用しつつ引用したことが伝わりつつ、あくまで抽象的な絵でありたいという思いがあったんで、だから何となく分かるけれども分からないみたいな、そういう状態にどうやったら絵を留められるかをずっと考えていました。スピード表現ノブ分だけを抽出して色を変えて層にしている状態ですね。漫画の中の小石(?)を拾い集めて色を変えて層状にして重ねている。これはサザエさんから来ている。
副:へぇ、確かに言われないと元ネタが全然想像できないないですね。
末:長谷川町子はやっぱり上手いですよね。描き分けとか。(ずっと初期の作品が続く。)
副田さんから最初それでやってみたいと話されていた「タングラムペインティング」というシリーズなんですけど、それを作り始めたのが2008年ですね。
明確にきっかけになった展覧会があって、「ニューバランス展」という自主企画展だったんですけど、僕と冨井大裕さんと村林基の3人でグループ展をやった時の写真ですね。結構変な展示になっちゃったんですけど。
これは展示のディレクションを知り合いの建築家の田中洋之さんという方に頼んだんですが、最初はディレクションを頼む作りはなくて展示をやってもらいたかったんです。
副:作家として参加して欲しかった?
末:いや、作品を託すので自由に展示してみてくださいというのをやってみたかった。
それはなんでかというと展示の方法自体は美術的な方法の当たり前なやり方にどうしても頼ってしまっていることに気がついたので別概念だったら崩してくれるんじゃないかなという期待を持って、だったら建築家さんだったら何かやってくれるだろうと思って依頼したんですが、思いのほか深く関わりたいというような返事で制作の前にお題を出すからそれにそって作ってくれと言われた。そのときは特に崩壊しなかったんですけど、お題というのが「与えられた展示空間の丁度半分の高さに透明の水平な面があると思って制作してください。」と言われた。
副:この辺に透明なフラットな面があると仮定してつくりなさいと。  
末:ものを作って配置してくださいとも言われない。
副:なるほど。
末:それを言われてそれぞれ作ったんですが、冨井さんはこれはストローでできているんですけど、会場に橋のような造形物を作り水平の面が水面であるような見立てをしたんですけど、村林さんがどういうアプローチしたかよく覚えていない。僕は、水平な面があるのだったらそれが会場を高さで区切っているので、どんな高さでも展示できるような絵を作ってみようと思ってそれでできたのがタングラムの絵。低い天井の高さでも展示できる絵。ただ小さい絵だけができてしまうのも面白くないし、分化されてしまうのができてしまうのも面白くないし。
低いところでも展示できる絵なんだけれども、状況が変わればどこでも展示できるもの。そういう絵を作りました。これはどういう仕組みなのかというと1枚はこういう形ですね。1辺は60センチ×60センチ。この形が何の形かというとタングラムパズルというシルエットパズルで、本来はお題で形が組んであってそれをどうやったら7つのピースで作れるかとかを考えて遊ぶパズルなんですけど。その形でパズルを作って絵を描いて展示する状況に組み替えて使うと。
ただこの時はいきなり建築家の田中さんに展示をしてもらったら、結構立体的に展示された。床に置いて立てるとか角を使うとか床置きとか。いきなりこう僕としてはイレギュラーな使い方だったんですけど。
本来は、この次の個展でやったような、これが同じ年の個展で東京のスイッチポイントで展示の時のですね。これは形を組んでいるんですけど壁面を水平的に平面でギミックに組変えられるというような作品です。

副:ちなみに話それるかもしれないんですがタングラムの世界共通でこの切り方なんですか?切り方が決まっているんですか?正方形の切り方は決まっている?かなり古くからあるんですか?
末:そうです。元々は中国のパズルです。100年前だか300年前だか忘れちゃったんですが、昔からあってそれが19世紀にヨーローッパに渡って大流行してそれが日本に入って来た。
副:私、実家の冷蔵庫にマグネットにして貼ってあったんで、魚にしたり兎にしたりやってましたけどして遊んでいた。なかなか意識的にタングラム買ってやるという人はいないですけど。すいません。話がそれました。
末:壁画っぽい洞窟っぽい洞窟壁画のような壁に付けた時にそういうイメージがあったのでイメージをふくらませられないかと思って作っていた。その後いろんなところでタングラムで展示させていただいていて。これは名古屋のシーソーギャラリーで2011年ですね。ちょっと変わったた空間なので遊びがいがあったというか。カフェ・ギャラリーで、カウンターもあるし奥の部屋もあるし、とはいえ大きい窓があって、普通のギャラリーとは様子は違うんですが。こういう展示をしていました。(展示風景のスライド)

副:必ず意味のあるというかイメージの形にするわけでもないんですか?場所と合わせながらなんですが、例えば階段状だったり狐みたいなものもあれば。よくわからないけど、どうにでもできるわけじゃないですか。
末:中にある図が結構影響していて中の絵によっては組めないものも出て来るんですよ。木の形が多いんですけど中が緑一色なんで基本的には、この外の形を使いやすいんですよ。

副:はっきりと見えてこない。
これは猫のつもりで組んだんですが、中に点形があるので、ここが目になるなと思って。
これは正方形の状態だと斜めのストライプだったんですけど、組み替えるとちょうど縦の線があるので、形が生まれたんでこの形を選んだ。会場の条件と中に描いてある部分の関係で形の組み方が決まって来る。
副:元々の中に描いてある絵と言うのは柄のようなものはどういう風に考えているんですか?
末:この頃は、後々の自分に対する問いかけみたいな。組み方に影響するんだけれども、あまり答えが読みやすくないような図を描く。組み替えた時にこことここの線がつながるだろうと思いつつ、もう少し分かりにくくする。伝わってます?
副:いや分かります。じゃあこの時はいったん何かからの引用とは離れるんですね
末:その後一昨年くらいからまだタングラムペインティングは続けているんですけど明確にモチーフを用意し始めて、それが去年の春のVOCA展に出品したんですけれど、その時の絵です。東京の上野の森美術館で毎年春にやっているVOCA展に出展したんですが、そのときは衣服の柄をモチーフに制作していまして、これがタータンチェックでこれふぁアーガイルで、これがストライプ、肩の所(?)ストライプを使うところを描いたんですけど。展示の時はこういう状態。これが迷彩柄。
副:やっぱりこう柄を活かした形にするということはは引き続きいきているんですね。
末:そうですね。特にこのストライプのはそうですね。このアーガイルのはこの形にすると蛇の鱗っぽいかなみたいな。なんでこの分け方にしたかというと、明確にこう人が見たことのあるものが形が組変わることによって別のものに見えて来る状態に関心が移って行ったんです。画像を用意してないんですけど、直前にタングラムの絵を使った子供用のワークショップをやって、それぞれに絵を描かせてタングラムの形に切ってもらい別の形にしてみようというのをやったら、その時にやったものが非常に面白かったので何かに使えるなと思った。だから、実はここでタングラムは変わってきつつある。
その間にまた別の作品があって、これも見てもらってましたよね。これもシーソーでさっきのタングラムは前期でこっちが後期だったんですけど、この時に初めて発表したんですが、1個1個がバーネット・ニューマンというアメリカのペインターの作品がずらずらずらっと並んでいる状態なんですけれども、これが何をモチーフにしたかというとインターネットで画像検索をして、関連した画像が出てくるんですが、それで画家の名前で検索した時の検索結果画面を描いたのがこのシリーズですね。これはアド・ラインンハートかな、これはエルズワースケリー、これもニューマン、これはマーク・ロスコ、これはラインハートか。
副:このシリーズはシーソーでの発表が初?
末:そうですね。
副:これがすごく面白くて、本当は今回はこれでお願いしてみようかと思ったのですが、紆余曲折があり、実際に今バーネットニューマンで検索してみるとこんな小さい感じになる。
末:最初に見せた卒業制作を作った時の動機とちょっと関係してきていて、自分の絵を見る関係、経験みたいなものが、ふっと気がつくと卒業制作の時は画集だったんですけど、ネット上で見る経験がかなり増えて来ていて画像検索の視覚経験が記憶されていないなと思って、この経験をそのまま絵にできないかなと思って作り始めた。
副:そういう意味では卒制の場合は複製図版の拡大で、デジタルというのは縮小されている。抽象表現主義の絵画は巨大な画面であることがが多くこうやって整然と並んでいることは現実的にはあり得ないし、大金持ちで沢山買って並べたとしてもスペース的にこんな風に並べて見ることができない。これって特異な経験と言うかインターネットでしか見ることができない。
末:それぞれ3メートルとか4メートルとか。
副:色見本帳みたい。
末:あと、マケットシリーズ。これもシーソーが初めて、いや違うかな。これがシーソーのですね。これは何をやったかというと展覧会の前に、必ず会場のマケットを作るんですね。会場のサイズ(?)と同じ六面体を作って、各面にそのマケット通りの図を書き込んで塗り分ける。そうすると会場の六面体の縮小版みたいなのができて来る。これはさっきのスイッチポイントのですね。
副:原画状の模様はどうなんですか。現実には。
末:天井にパネルが付いてるんですよね。ちょっと分かりにくい。
副:今回の展示でもこういう形ではないですけど三次元、立体的なものが出てて、普通に考えれば彫刻に見える んですが、タングラムを一番最初にたてているのを見て行くと六面体は組んだだけなのであくまでペインティングとして作られている。こうやってみていくと腑に落ちる。ペインティングとして意識してつながっているんですね。
末:そうなんです。一面一面描いていて、かといって独立しているわけではないので。
更に、違うものが出て来たのがこの時でこれは去年か。去年、所沢市にある旧給食工場今は使ってないんですけど。去年の引込線、昔は所沢ビエンナーレと言っていたんですが、去年から改称して「引込線」。そこの給食工場の休憩室で展示したときの写真で、日用品と同じサイズでパネルを作り着彩する。これはチョコレートですが、ガーナですね。これはイレギュラーなんですが牛乳パック、これはカップヌードル。
名刺500枚、名刺注文して届いた状態はビニールの帯が付いてるんですが、それを描いている、会場自体はタングラムのペインティングを展示しつつ、新作も作った。
副:マケットの延長線上に出て来たような感じですか。
末:それは確実にそうだと思います。これは今回も展示しているのですが、これも去年、これは日本大学の芸術学部の彫刻科のアトリエの廊下。掲示板を使って5人で展覧会をの企画をし、それに参加した時の展示です。今回も美術館の掲示板、ポスタースペースにこれをそのまま使プラス枚数はちょっと追加してますが、何をしているかというといろんな所のポスター掲示スペースに行って、ポスターを止めてある部分を写真におさめ、それをポスターサイズに出力してポスター掲示板に貼る。
副:注目しているのは止め方なんですよね?止め方と中身と色味の関係ですか?
末:両方。
副:一番分かりやすい内容は瀬戸内のポスターなんか。はためいている内容で、実際ポスターもぴらっとはためいている。中の画像と外側の矩形がなんとなく響き合って馴染んでいる。必ずしもそういう関係にある訳でもない?
末:1個1個関心の持ちようが違うのかなという気はします。これもやっぱり止め方なので。でも止め方、その場所によって止め方の個性みたいなのがどうしてもあるので、それが分かりやすく伝わるような部分を切り取っているつもりではいる。これだと絶対パネルの継ぎ目にあわせなければいけないんだなとか。
副:暗黙のルールみたいなのが多分どこの掲示板でもあって、暗黙じゃなくてマグネット式だったら画鋲を押せないとか物理的制約もあるわけですが、この作品を見てから私うちの10階の掲示板にポスターを貼る係なんですが、すごい無意識に今迄貼っていたのが気になっちゃって、これを見てから自分が何をルール化して貼っていたのかと貼りづらかったです。
末:混乱はないですか?
副:混乱はないですが、気づかないお客さんが多いですね。ぱっと一瞥しただけだと多分自然に見えるんだと思います。ポスターなんて誰も見てないということなんですけど悲しいことに。何でもつなげて考えちゃうんですけど、検索結果の描いたのもそうですが、ぱっと見た時の印象ってそんなもんなのかなと思って。ちゃんとしたポスターが同じように貼られていたとしても、よほど関心を持っていないと、ポスター掲示板だなと思ってすっと行っちゃう。そのときの持ってるイメージって断片的な色がぱぱぱとあるなとか、知ってるアーティストがいればそこだけ少し強い印象があるとか。そのくらいのことなんだろうなと今回の反応なんかを見ていて思いました。
末:僕の場合1個1個の作品のシリーズって結構ばらつきはあるんですけど、作った後の経験が他の作品に引き継がれているので、それで広がった視覚みたいなものが次の作品につながっていて1個1個は直接関係していなくても一個の線につながっているんですけど。作ることによって別の細かい部分が気になって次へ育っていくんで。
副:だからすごく流れるように展開している感じがして、確かにひとことでこういうルールで作ってますというわけではもちろんないんですけど。
末;それは最初から結構考えていたというか一つのスタイルに自分のすべてを押し込むことはできないなと出発時点で考えていたので、ほんと今は理想的な状態ではあります。もう1個これが去年スイッチポイントで個展を開催した時の会場。この時に段ボールを出品しています。展覧会タイトルを「目の端」と付けたんですけど、自分的にはすごい苦労したんです。
副:今回私リーフレットのテキスト書かせていただいたんですが、必要ないのにわざわざ「目の端」を引用したんですが、すごく言い得てるなと。末永さんのそういう関心をさっき一言で言えないと言いましたが、象徴的な言葉で言うとすると「目の端」というのはすごくぴんとくるなと。目の正面に捉えて焦点化してしっかり見てる以外のものの見方というのが常に出てくるような気がして。目の端っこって見えてるんだけれど、見えてない。けどやっぱり見えてる。光は入って来てなんとなく意識の中に入ってきているんだけれどもしっかりと焦点化はされていないようなものが何となく作品の中に常に出てくるような気がしていて。

末:ちょっとここで目の端はカットして。これはスイッチポイントでやったもの。DMの束のような作品を置いいたり、会場の隅に段ボールを置いていたり、壁には絵も描けていたりしていたんですけども。逆にこれがあるたことによって脇にあるものも簡単に焦点化されないというか、これを端っこに置くためにこっち置くような状態だったんですけど。
で、今回の展覧会の話にしましょうか。
これが今回の展覧会の会場です。皆さんもうリーフレットとかお持ちなんで大体のことはご承知だと思うんですけど、美術館にある備品なり美術館にあっておかしくないものを選び焦点をあてて作品にした。メインは、コレクションが付いている額縁ですね。 
副:今回額縁で行こうというきっかけってどの時点で何だったんですか?
末:元々いつか描こうと思ってたモチーフに額サンプルというのがあったんですよ。額屋さんに行くと額の隅だけ三角形の額サンプルがずらずらっとあって、これは面白いのでいつか描けたらいいなと思っていて。聞きましたよね、額サンプルがないかとでもなくて。よく考えたら美術館の作品って全部額が付いているよなと気づいて、だったらこれそのまんま同じサイズで描いて絵はつぶしてしまえば額だけの絵ができるんじゃないかなと思ったのがこの作品です。
さっき目の端のお話をしたんですけど、これこそまさに目の端にあるものなんで。とりあえず1点2点描いてみて判断しようと思って、描いてみたら思いのほか納得できる状態だったんで、これでいきましょうという話になった。
副:うちの所蔵作品から結局10点でしたっけ。
末:うーん、もうちょっとあるかな。
副:ピックアップしていただいて採寸して全部実物通りに作っていただいて。採寸が結構大変で。
末;申し訳ないことに僕、東京にいるんでこの辺にいれば僕が採寸したんですが、採寸の方は副田さんいお願いしてしまって。
副:本物の額もフラットだったら楽なんですけど、本物は結構でこぼこしてるじゃないですか。柔らかいメジャーを使ってこう(はかるポーズをする)。装飾が結構こまかくて。どこまで末永さんこのデータ使ってるのかなと思って送って。
末:結構使ってないんですよね。
副:結構省略してるんですよね(笑)。
末;(副田氏が送った採寸の結果のスライド)ここまで用意してもらって。額の仕様書っていうのが残っているものもあって。
副:ちょっと話それていいですか。作品を購入した時に額が付いているんですけど、状態が悪いと付け替えたりするんです。パウル・クレーの蛾の踊りという作品とジョアン・ミロの額は愛知県美術館が発注して新たに作った額なんで、デザインも今はもうどちらの学芸員も別の職場に移ってしまいましたが、それそれ別の学芸員がデザインを考えてこの絵にはこんな感じだろうと他の額もリサーチしながら作ったもの。そういうものだとバチッと仕様書が残っている。結構、額ってただ木枠でしょみたいに思っているかもしれませんが、結構複雑な形をしていて。購入時に付いた額のままだと当然額の仕様書なんてないんで作り始めないといけない。
末:いろんな経緯で額がついているんだなというのも今回結構面白かったんですよ。元々付いている額、買った人が付けた額、美術館で付けた額。
副:それこそ目の端で焦点化されないから、その来歴なはんかに普通は意識が向かないわけなんですよ。クリムトの額は派手だなと思う人はいっぱいいらっしゃるんですが、じゃあいつの段階ででどういう経緯で付けたのかまで考えないんです。なかなか追えない場合も多いんですけど、みんながみんな関心を持つ訳ではないので作品のデータは受け継がれて文献に残ってたりするんですけど、額についてはほとんど記述がないことが多いんで。
末:これは絵にはあってますよね。
副:基本的には描かれた絵の時代の様式の、額も様式の変遷があって、その地域の様式の額がしっくりくるんです
末:そういうデータは結構残っているものなんですか?額が元々どういうものだったかというのは購入時点でわかるものは残してある?
副:調べてわかるものは残っています。状態が悪くて保存に向かない額は付け替えるんですが、画家が明らかにオリジナルで自分で作った額もあるので、そういう場合はそれ自体が作品と一体化しているようなものなので、そういう場合は外してしまわず別の保存方法を考えますね。
末:そういう経緯も含めて結構今回は面白かったんです。ちなみにせっかくなんで、ほぼ全部の元作品ネタばれ。これです。絵を入れた画像を紹介。これだけはちょっと並べた写真なんですけど。
副:展示作業の途中でちょうど良い機会があったのでぱっと並べて写真を撮ったんですよ。感動しましたよね。当然現物を見ながら描いている訳ではないので色もイメージで描いていることが多い。
末;写真と実際見て描いてるわけなんですけど。
副:もちろんきっちり現物に合わせようという意図はないですよね。光らせ方なんかも。
末:それは無理ですよね。元々立体物なんでそれを同じ平面状にするわけなんで光るなんてのはあり得ない。
これは苦労したんですよね。金色って普段使わないんですよ。計測不可能なところは拡大写真を送ってもらって。これは熊谷守一ですね。今、ちょうど岐阜県美の熊谷守一に出品されてましたけど。
副:今回選んだ10数点はミュージアムピースというだけに、うちが持ってる中ではトップクラスというかいわゆる名画なんですが。熊谷だけが結構地味なんですが、実はうちのコレクションの熊谷のほとんどいいのが持って行かれちゃってなかったんですよ。これだけあんまりミュージアムピースじゃないんですけど。
末:でも額は同じでしたよね。
副:額はいつも同じ仕様でいくつも作ってるんで。
末:そして額だけじゃないな。油彩画だけに偏るのもどうかなということはもちろん考えたので、表装も描いてみようと思って描いた。これが白隠ですね。これにあわせて今回は表装特集の展示も。
副:私はいつもアプモアプロジェクトをやるときはコレクションと何らかの形で絡めるという裏テーマを持っていて、別にそんなこと決まってるわけじゃないんですけど。最初今回の展示は仮面にしようと考えたのですが、末永さんの作品の後に仮面を見るのかと思ってなんか全然うまく結びついてこなくて、で、面白い表装のやつを探して出してくれと担当者にお願いして実現しました。結構わがままというか無茶を言っている。
末:額の時には思わなかったんですけど、表装、絵としてうーんていうものでも表装がいいっていうのも結構あるんだなと(笑)。
副:禅画なんかだと、絵の善し悪しは別として労力的にいうと、圧倒的に表具の方が手はこんでるわけなんですよね。禅画はぱっと3秒くらいで描いちゃってるみたいなのもあるわけで、表装の方が時間がかかっている。
額縁は絵の本画部分に比べて影響の少ないものなんですが、日本画の場合、軸に仕立てちゃうとこれなんか本紙より表具の方が面積的に計ると絵より大きいんじゃないかなと、目の端におさまりきらず、視覚の中にもっと入りこんでくるんじゃないかな。だから影響は大きいんじゃないかなと今回思った。
末:最初すごく違和感はあったんですけど、これもいつの間にか見ないことになっている。鑑賞体験のかなりの部分を占めている筈なんですけど。この作品を作るまではそんなに意識してなかったんですけど。これは『蛾の踊り』ですね。これなんか最初に仕様書を送ってもらったんですけど。
副:なんか違いますよね。仕様が変わったのかな(笑)。
末:幅がもうちょっと段々になっていたのが二段減ってたんですよね。次は表装。これはもう完全に表装だけで選んでますよ。
副:でも絵もいいですよね。
末:いやもちろんいいんですけど。いやほんとこれはほんとにかわいいですよね。
副:このセンスというのは自分でいざやろうと思ってもなかなかこんな組み合わせはできないですよね。
末:これは計測は大変でしたよね。
副:これは面倒くさい形をしてましたね。でもこの額って何額っていうんだったかな割とよくあるヨーローッパの額のタイプのひとつらしくて。同時期のこれも多分当時からある額だと思うんですけど。
末:そりゃそうですよね。でも絵にはあってましたよ。
副:そうですね。
末:まわりの(かちぬき?)が気になって目を引いたんで選んだんですけど。出てましたっけ?これは誰がネタもとがわからないですよね。
副:これはマットの付き方が。
末:油彩額だけじゃと思って表装もやったんですけど、マットが大きいのと思って気になって描いたのがこれだったんですよ。
で、あとキャプションか。人によっては全然気づいてもらえないというか、なんなのか分からないと言われることもあるんですけど、作品は木製パネルの色付なんです。これが実はキャプションモチーフだったんです。これも最後の最後に作るの決めたんですけど。一番最初、副田さんから何かできないかなみたいな話があったんですよね。
副:そうです。額縁で考えた時にキャプションをそのまま付けるより、キャプションも含めて作品にできないかと相談をしてずっと放りっぱなしにしてたんですけど。だからキャプションもさっきの掲示板と同じで各館で統一のフォーマットを館で定めてるわけなんですよ。うちの場合は15センチ×15センチ。何の根拠もないんですよね。15センチなきゃいけないわけでもないしある程度文字大きくないと見えないんで範囲というのはあるんですけど。根拠ないけど決まってるものというのはさっきの掲示板のルールみたいなもので、あぁこのキャプション15センチなんだなと思って見る人なんて絶対いないわけなんですよ。そういうものも目の端にならないかなと思ったのがきっかけです。

末:展示の中でも置いてるんですけど、アクリルケースの中に入れて展示している。
副:あまりおしゃれじゃないので、普段はアプモアアーチだと担当の学芸員が自分で板手で作ってすっきりしたキャプションを付けることが多くて、私もこれまで2回別の作家のアーチのときは自分で作った。今回はこうしちゃったんでこれを本物のキャプションとして使わないと意味がないわけですよ。ださいなと思いながらこれを敢えて付けるという変な気持ちになりながら作業しました。
末:でも実際付けるルール自体は常設展示のルール自体に則ってるんでしょ?
副:そうですね。高さや基本何センチなんていうのは決まってますね。
末:それを守りながらこういう違うことができたんで、このキャプションの付け方自体はすごく満足している。色付キャプション。さっきなんでキャプションを色付にしたのか聞かれたんですけど、過去にキャプションにアプローチしたことは1回やってるんです。秋吉台国際芸術村というレジデンス兼音楽ホールみたいなのがあるんです。山口県なんですけど、その時、色付キャプション展をやってるんです。こんな感じで。
副:実際に文字も入っていてキャプションとして機能するもの?
末:会場は音楽ホールで、あちこちに作品を隠していて見つからないような所に作品を置いていてそれを見つけるために目立つキャプションを置いて、キャプションがあるところを目指していけば作品を見つけられる仕掛けにしていろんなところに設置していて。
副:だから目立たないといけないわけですね。目印として。
末:そうそう、赤青黄緑(?)の4色、特に色に意味はなく会場のあちこちに色付のキャプションがあって作品を探す目印になる。キャプションに情報以外の目的を含めるということでやったんですけど。それもあってキャプションに色をつけることに抵抗はなかったんで、一度赤青黄でやってみたんですが、強すぎる。強すぎたんで額絵の色にあわせてやりなおしたわけです。キャプションを模したパネルではあるんですけど横にある絵をきれいに見せられたらなと思って色を考えて設置した。質問はないですか?
副:うーん特にないですね。色の組み合わせの基準みたいなものは聞かれたのかな。でも感覚的な部分ですよね。何色だから何色という決まりがあるわけではない。
末:でも一応こう合わせて。
副:違和感のない調子には。ああでもないこうでもないというのはある。
末:これはスポットライト。
副:これは伝わらないんです。Twitterでどなたかがトイレットペーパーと仰っていましたけど(笑)
末:これは元を見ないと分からないかもしれませんね。最初ここに何があるかなと見に来たときの写真なんですけど、裏を通って作品にできるものはないかなとうろうろしている時にスポットライトを見つけた。
副:愛知県美術館のオリジナル仕様で、20数年前に開館した時に当時いた学芸員たちでこうしてくれと特別発注したんですよ。これすんごく重くて首もすぐへたってしまうし、意外に現場の学芸員から評判の悪いスポットライトです。だましだまし使ってる。
末:この状態がすごいかわいらしく見えたんでこれは絶対作りたいなと思って作ったんです。これは普段の状態の掲示板(スライド)
副:一番右にうちの友の会のポスターがあって一番左にうちの館のものがあって、その間に他館のものがある。
もう少しこの展示の話をすると、元ネタ探しゲームみたいになるのは嫌だなと思ったんですよ。末永さんの意図はそこにある訳ではないですよね。ただもちろんやりたくなる気持ちは分かるし私自身もそう。展示作業中にみんな学芸員は覗きにくるんですよ。「これ全部うちの所蔵品だから当ててみろ」というと大体みんな半分当たれば良い方かなと。学芸員でもみんな額は見てないんですよ。学芸員ですら意識してないんですけど、さすがに館長は一点外したけど、すごくほっとしてましたね。後で私がこういうところで言うのが分かりきってるので。その時に館長が3点しか分からないと面目が立たないということらしく。そういうところを意識的に見ようとしている人は見るんですけど、それを意識化してないとどうしても意識からはずれちゃうところにある。僕自身もそう。
Twitterなんか見ていると具体的な感想があまりあがらなくて、難しいだろうと思うんですよね。結局額を描いた絵なので額だねでとしか言いようがないわけですよ。色んな鑑賞体験を引き出せると思うんですけど、私もリーフでは小難しく書きましたけどシンプルな言葉でこの絵の面白さを一言で言えというと一言で説明しづらいなと思って。
例えばぱっと見た時に、特にミロの絵なんてそうなんですが、単純にだまし絵的にでもあるんですよ。ぱっと見てすごく立体的に見えるんですよ。知らないで来たお客さんはあれ?立体だと思って見るんですが平面に気づく。まず単純にだまし絵になっているというのはひとつあるし。それが平面化しているのもそうなんですけど、表装の作品だと、額って立体的なものだから、絵って額の向こう側にあるんですね。表具はフラットなんで、もちろん0.何ミリぐらいの差はなんですけど、普段意識しないんですけど言われてみれば表装はフラットだなと。そういう鑑賞体験の違いもあるし。額縁は一歩前に出て来ているので窓枠なんですね。その向こう側に景色がある。再現的な風景画だとすごくしっくりくるわけですよ。
額があるとその向こう側に画家が描きたかった風景が、リアルな風景でも心象風景でもいいんですけど、リアルな奥行きが見えてくる。じゃ表装の場合、山水画の場合、風景であるわけですが、表具の裏側にある世界って考え方は確かにあんまりしないなと思う。上下の一文字に挟まれていてその裏側にあるという感覚はしないんです。西洋のペインティングって、窓で切り取っているんだけど、その向こう奥行きに何かあるっていう、そういう体験が出て来る。要するにフィードバックされるんですよね。普段の絵の見方に対して。末永さんの絵を見た時に違う違和感を普段の感覚にフィードバックして考えると、今まで見えなかったものが見えるみたいな。ただ、それは末永さんの絵の感想にならないんですよね。だから面白さを言うのが難しい。
末:だから装置みたいな。
副:そうですね。
末:僕もTwitterの感想は一応見るようにしているので、あまり反応がないなと思ってて、しばらく会場にいれないわけじゃないですか。初日来た以来来たんですけど、自分の絵が悪いのかなと思い始めて今日会場に来たんですが、いや全然悪くないと思ったし、ただちょっと絵の質が違うんだろうなとは思いました。ただちょっと変なものを作っちゃったなという気はしています。かなり納得しつつ作ったんですけど質の違うものを作った。
副:絵自体を楽しむこともできるんだけど視覚をチューニングするような。これを見てから普段の絵を見てみようみたいな構造になっている気がして。これが感想の少なさ難しさみたいな。逆にいうとしばらくたってから何か出て来ると面白いんですけど。
末:かといって、これが絵でないかというと絵なんですよね。
副:絵なんですよね。
末:機能的な問題だけを扱うなら写真にしてもいいわけで。
副:遠目に見えてもベタ塗りではないという明らかに絵画であることそこかしこに出てますよね。その体験をもう少しうまくすくいとれるといいなと思いつつなかなか語れてないことでもあるんですが。

(会場からの質問)
問1:作品の側面に液垂れのようなものがあるんですが、あれは敢えて残したんですか?
末:残っているとしたらそれを残したんです。
副:表面の色と違うんですよね。層になっていてわかんないやつもあるし、うっすらと見えているものもある。その辺の描き方みたいな、どういう風に色を選んで決めて行く?
末:なんとなく自分の中で色の作り方の定型みたいなものはあるので、それを使いつつ慣れすぎるとそれを外して使いつつ。やっぱり絵を描いているとしか言いようがないんですけど。この絵をどうやったら作れるかなと思った時に、絶対下にピンクが入った薄いグレーグリーンが出て来るんです。でその通り塗ったんです。
副:元のものを見てそれが何かの層でできているか分解して、それを組み立てて実際に再現する。
末:自分の中で見えたらそこからは一直線。何度も塗り直したりはしない。
副:じゃあ、あんまり行き当たりばったりに塗って行くということはそんなにない?
末:そうですね。自分の中でヴィジョンができたら進む。最終的におかしいなと思ったらそこは修正する。変えますが。こっちの段階では黄色だったんですけど、結構強かったんで、今黄土色になっている部分は合わなかったので最終的に変えました。
副:細かい風体の部分はラフなブラッシュストローク。横の部分は丁寧に塗られていて。風体は本物は少し下がってるんですよね。風体は細かく見るとすごく面白いし、模様のチェックもマスキングテープを明らかに使ってるだろうというところと、手技の部分の対比とかお客さんにこうもう少しじっくり見て欲しいなという思いはあります。

問2:絵画っていわゆるフィニッシュの仕方に対していわゆる抽象表現主義に対してご自身はどんな立ち位置にあるんですか?
末:最初に僕が言ったことと関係してくるんですけど、僕なりの絵の作り方をしたいんですよ。その時に伝統的な油彩画の質にたよらず日本画の質にもたよらない絵を作りたい。そのためにいろんな方法を描いている状態です。それで伝わりますか?
副:そういう意味では動機として、画家として絵を描くという前提条件があるんですよ。三次元的なものを再現するわけでなく、どこまで絵であれるかみたいな。
末:そこが伝わりにくさではあるとは思うんですけど。

問3:観る側に知識を求めているんですか?
末:見る人に求めているというより、自分がそこを基準にして作って行くしか仕方がない。
いろんなものを見てしまっているので、既にあるものになるべく頼らずに、かつ、いいものを作りたい。難しいこと言ってますかね。
副:コメントしづらいですね。ぱっと見て、そうですね。タングラムのシリーズは前提的な知識は要求されないですよね。タングラム知ってるかは別として。アウトプットのされ方が元の参照されているものがあれば、どうしてもそれに関する知識が鑑賞体験に大きく影響してくるんですが、全部が全部そういうアウトプットではないので。確かにそういう意味では揺れ幅振れ幅がありますよね。掲示板の作品なんていうのは誰が見ても同じ面白さを享受できる。

副:ここで末永さんに展示をお願いするにあたって、私が意識したことのもうひとつは、ここでしかできない展示他では見れないものをやって欲しいというのはあって、そういう中で、所蔵品の。ただ、常連さんにとって楽しくなってないかなというのが少し不安で、初めてうちに来たお客さんて、何回か来られていたらクリムトはピンとくるんじゃないかなと思うんですけど、初めて来たお客さんはわからないんじゃないかなとそこで鑑賞に差が出てしまうし実際悩みどころだったり、実際解決できてないですけれども。
末:なんでこれをやろうと思ったかと思い出したことでいうと、タングラムにしても引用したペインティングにしてもここに置くことに違和感があった。よそで組み立てた文脈のものをここで置くのに違和感があった。
副:流れはすごく意識しましたよね?常設展の一連の流れみたいな。末永さんの作品のを見てのフィードバックみたいな。すぐ出た廊下で表具が来て、その次に志賀さんのが来て。志賀さんのあれは愛知トリエンナーレで別の状態で2回出てたんですけど収蔵するのに額装したんですよ。
すぐにフィードバックして他のものに帰っていくような展示は心がけたつもりで、ただそれがうまくできているかどうかは別として。

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
ブログ内検索
twitter
最近のエントリ
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。