「山口薫展−都市と田園のはざまで−」 世田谷美術館
群馬県立近代美術館の常設展を訪れるたび、気になる作家がいた。
それが山口薫である。
もっとも、山口薫の名前はかなり以前から知っていた。
私が美術館めぐりをするようになるかならないかの頃、「クロワッサン」という女性誌で美術館特集が組まれており、京都の何必館・京都現代美術館が紹介されていた。そこで、展示されている作品として、雑誌に掲載されていたのが、山口薫の「おぼろ月に輪舞する子供達」1968年(下図)であった。

雑誌に掲載されていた作品のインパクトが強烈だったのか、私の頭に何必館と山口薫の名前はしっかりインプットされる。そして、その後何必館でこの作品を見た。
前置きが長くなってしまった。
そして、今回ついに山口薫の回顧展を迎えることとなり、世田谷美術館で見ることができた。
世田谷美術館では作品リストは準備していないと言われがっかり。愛知県美と言い、世田谷美と言い、作品リストくらい希望者だけでも良いので配布してくだされば良いのに・・・。
詳細なメモを取るより作品鑑賞だけに没頭したかったので、メモも持たず、作品を見る。
今回は山口の画業を4期に分けて、ほぼ年代順に展示している。油彩小品や水彩作品関連資料など約140点で構成されている。
第1章:初期・滞欧期(1925-33年)
第2章:帰国直後・戦中(1934-45年)
第3章:戦後(1948-55年)
第4章:後記(1956-68年)
第1章から第4章で、作風が大きく変わっていく様子がよく分かる。
最初は西洋の模倣から始まり、具象絵画を描いているのだが、徐々に具象と言ってもその姿を変えていく。より単純に、線も形も単純化していくように感じた。
私が冒頭の群馬県近美で良いなと思う作品の多くは1956年以後の後期に描かれたものが多いのではないだろうか。
何を描いたと言うのではない、ただただキャンバスに置かれている色が線が幻想的でこちらに何かを訴えかけれくるようなものがあった。
馬や牛といったモチーフをよく描いていたんだなということも、今回の展覧会で気が付いた。
葬送曲というイメージがぴたりの「おぼろ月に輪舞する子供達」にも3頭の馬が描かれている。
子供達の踊りの輪以上に大きな月。
月が山口薫をお迎えに来てしまった。そんな印象の作品だ。
晩年、評価が高まるにつれ、逆に制作に苦悩し、アルコール量が増えて行く作家にとって「絵を描く」と言う行為は「辛い作業」だったのか「己に課された試練」だったのかはたまた「喜び」だったのだろうか?
最後の最後で、山口にとって絵を描くことが安らぎにつながっていて欲しいと切に願うばかり。
*12月23日(火・祝)まで開催中。
それが山口薫である。
もっとも、山口薫の名前はかなり以前から知っていた。
私が美術館めぐりをするようになるかならないかの頃、「クロワッサン」という女性誌で美術館特集が組まれており、京都の何必館・京都現代美術館が紹介されていた。そこで、展示されている作品として、雑誌に掲載されていたのが、山口薫の「おぼろ月に輪舞する子供達」1968年(下図)であった。

雑誌に掲載されていた作品のインパクトが強烈だったのか、私の頭に何必館と山口薫の名前はしっかりインプットされる。そして、その後何必館でこの作品を見た。
前置きが長くなってしまった。
そして、今回ついに山口薫の回顧展を迎えることとなり、世田谷美術館で見ることができた。
世田谷美術館では作品リストは準備していないと言われがっかり。愛知県美と言い、世田谷美と言い、作品リストくらい希望者だけでも良いので配布してくだされば良いのに・・・。
詳細なメモを取るより作品鑑賞だけに没頭したかったので、メモも持たず、作品を見る。
今回は山口の画業を4期に分けて、ほぼ年代順に展示している。油彩小品や水彩作品関連資料など約140点で構成されている。
第1章:初期・滞欧期(1925-33年)
第2章:帰国直後・戦中(1934-45年)
第3章:戦後(1948-55年)
第4章:後記(1956-68年)
第1章から第4章で、作風が大きく変わっていく様子がよく分かる。
最初は西洋の模倣から始まり、具象絵画を描いているのだが、徐々に具象と言ってもその姿を変えていく。より単純に、線も形も単純化していくように感じた。
私が冒頭の群馬県近美で良いなと思う作品の多くは1956年以後の後期に描かれたものが多いのではないだろうか。
何を描いたと言うのではない、ただただキャンバスに置かれている色が線が幻想的でこちらに何かを訴えかけれくるようなものがあった。
馬や牛といったモチーフをよく描いていたんだなということも、今回の展覧会で気が付いた。
葬送曲というイメージがぴたりの「おぼろ月に輪舞する子供達」にも3頭の馬が描かれている。
子供達の踊りの輪以上に大きな月。
月が山口薫をお迎えに来てしまった。そんな印象の作品だ。
晩年、評価が高まるにつれ、逆に制作に苦悩し、アルコール量が増えて行く作家にとって「絵を描く」と言う行為は「辛い作業」だったのか「己に課された試練」だったのかはたまた「喜び」だったのだろうか?
最後の最後で、山口にとって絵を描くことが安らぎにつながっていて欲しいと切に願うばかり。
*12月23日(火・祝)まで開催中。
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COMMENTS
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oki様
こんばんは。
ステーションギャラーは、私が美術館めぐりをするように
なってすぐに閉館してしまいましたので、行ったことがありません。
世田谷美はいつも用賀から向かいます。
今回初めて、用賀駅から歩いて行きました。
ステーションギャラーは、私が美術館めぐりをするように
なってすぐに閉館してしまいましたので、行ったことがありません。
世田谷美はいつも用賀から向かいます。
今回初めて、用賀駅から歩いて行きました。
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この画家は哀しみの画家だ、最後には彼岸からこの世をみるような境地に達したというその時の印象は今回もかわりませんでした。
ところでmemeさんは美術館へは、用賀からですか?
僕は地理的にいつも成城学園前からバスなのです。