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「中尾 彰-津和野・東京・蓼科-展」 練馬区立美術館

nakao

チラシの絵(上図)に惹かれて「中尾彰-津和野・東京・蓼科-展」に行って来ました。
この日は、普段使わない有楽町線を利用して美術館・ギャラリーを回ろうと思い立ったのです。
練馬区美術館の最寄駅、中村橋のある西武池袋線に直接乗り入れる列車もあると今回初めて知りました。

展覧会の概要は次の通り。
1904年(明治37年)に島根県・津和野で生まれた中尾 彰<なかお・しょう>(1904-1994)は独学で絵を学び、10代を満州で過ごします。
1931年(昭和6年)の第1回独立美術協会展入選以来、独立美術協会を中心に油彩画を発表。画家としての活動の一方で、1935年頃から文芸同人誌「日暦」に参加して詩文を発表。また1941年(昭和16年)から子供のための美術運動を展開し、児童出版物に執筆するとともに教科書や新聞の挿絵などを多数手がけました。
しかし、これまでその画業はあまり取り上げられることがありませんでした。
 今回の展覧会では、中尾彰にゆかりの深い島根県立石見美術館・練馬区立美術館・茅野市美術館の共同企画により、油彩画約60点を中心に、絵本・童画などをまじえて、画家としての生涯を振り返り、その全貌に迫ります。

上記概要の通り、これまで中尾の画業が取り上げられることはなかったせいか、私も名前を知りませんでした。先日アップした小熊秀雄と言い、知られざる画家というのは、あまりにも多すぎる!

作品はほぼ年代順になっていますが、初期の旧満州を描いた風景画や「ロシア夫人の顔」1932年などのどこか暗い作風が、徐々に緑や黄色のパステル調へ移っていく過程が興味深いです。

この作風の変化に影響したのは、長野を知ってからでしょうか。
晩年まで東京練馬と長野・蓼科のアトリエを行ったり来たりしたとのことですが、今回展示されていた作品に描かれているのは、長野の風景だったように思います。
何しろ、彼が使う緑、緑と一口に言っても様々ですが、特に黄色混じりの緑は印象的でした。
私は、黄緑色を味わいに出かけたのかもしれません。

同じモチーフで何枚も何枚も描いているのも特徴です。
チラシの作品「庭前にて」に描かれたピンクの衣服を着た女性は奥さま?
とてもほのぼのとした長閑な雰囲気。
人物も植物も家具さえも、形は単純化されています。

童画家としての作品として松谷みよ子作の「天人のよめさま(国ができるころ)」や雑誌「コドモノクニ」なども洋画と別に展示されています。
「天人のよめさま」は、明らかに読んだ記憶があり、その挿絵を描いた人だったのか・・・と思いをあらたにしました。この年代の童画家が手がけた絵本は何かしら自分も接していることが多いです。

今回の展覧会は油彩中心でしたが、水彩も手掛けていたようなので、こちらも展示していただけたら良かったのにと要望がひとつ。

中尾自身の文章によると、彼が画家になる上で非常に重要な作品であったという「3枚の古いランプの絵」があったと言います。中尾の作品は戦中や戦後の火事で作品の多くが失われたため、この3枚のランプの絵も焼失したのでしょうか。今回の展示はありませんでした。
もし、どこかに残っているならば是非一度見てみたいと思いました。

*3月29日まで開催中です。

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