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「亀高文子とその周辺」 神戸市立小磯記念美術館 はじめての美術館45

kametaka

神戸市立小磯記念美術館で開催中の「亀高文子とその周辺」展に行って来ました。

小磯記念美術館に行くのは今回初。するっとKANSAIの2日間パスを購入し奈良から神戸へ向かった。
近鉄線と阪神線が相互乗り入れするようになったので、乗り換えなしで奈良から神戸方面へ向かえるのはとても便利。
目指す美術館は阪神線魚津駅よりポートライナーで2つ目のアイランド北駅からすぐであった。

ここでは小磯良平のアトリエをそのまま移築し、館内から外に出ずアトリエというか自宅に入ることがきる。
ちょうど建物がこの小磯邸を囲む形で円形に作られているようだ。
常設展示室では小磯の初期作品から晩年までの作品が並んでいる。
やはり地元の画家の作品は地元で見るに限るのか、未見作品が多かった。晩年の小磯作品は作風バラつきがあり、絵に対して迷いがあるように感じた。

さて、企画展「亀高文子とその周辺」である。
チラシに掲載されていた作品が、今回この美術館に訪れるきっかけとなってくれた。
展覧会のチラシというのは非常に重要だと思う。
チラシにある作品に惹かれて、過去どれだけの展覧会に行ったことだろう。

本展の概要は以下の通り。美術館HPより引用。
亀高文子(1886~1977)は明治末期の日本洋画界の草創期から活躍し続けた女性画家の先駆者です。
兵庫県美術家連盟の創立に関わり、赤艸社(セキソウシャ)女子絵画研究所開設などの功績によって兵庫県文化賞を受賞しています。
今回の展覧会では、34年ぶりに亀高の作品(39点)を振り返りながら、その家族や関連の深かった画家達の作品も含め、合計98点の作品を紹介します。亀高文子の作品の魅力に触れていただくとともに周辺で彼女に影響を与え、支えた人々の作品に、時代の雰囲気と彼らの優れた人柄を偲んでいただければと考えます。



展覧会は大きく2部構成になっており、展示室2では亀高作品、展示室3では彼女をとりまく画家の作品を展示。
最初の展示室では亀高文子の初期作品から晩年までの作品、関連資料として子供向け雑誌の挿絵なども含め、年代順に展示されていた。人生の転換点となるような大きな出来事については、キャプションに詳しく説明されているので、彼女の数奇な人生が作品に与えた影響や当時の女性画家が如何に成長していったのかを理解することができる。

彼女の作品は戦中戦後でがらりと変わる。
戦前までの作品は子供とりわけ「少女」を描いた作品が非常に多い。ところが、戦後になると「花」を中心とした作品に変わり、子供の絵は全く出てこなくなる。
本人曰く、「描く時、そのときに熱中しているものをモチーフとしているだけ」とのことだが、戦前の少女を描いた作品は、最初の夫であった渡辺与平の影響が大きいのではないかと思うのだがどうだろう。
最初の夫である渡辺与平は、竹久夢二と並ぶ人気挿絵画家であった。3歳下のこの夫と結婚してわずか3年後2人の子供を残して、与平は病死。時に、渡辺与平22歳!

文子の父は商業画家で、芸術家として成功することはなかった。この自身が果たせなかった望みを文子に託し前年4月に開校したばかりの女子美術学校に入学。
その後、渡辺家に出入りしていた小杉未醒の助言を得て、満谷国四郎に師事し、デッサンなどの基礎を中村不折に学ぶことになる。

そして、漸く画家として出発したところで与平と結婚、夫の病死し、2人の子供を抱えて平尾商店広告部に就職、広告や雑誌挿絵の仕事の傍ら、文展等にも出品し続けた。
東洋汽船の船長であった亀高氏と再婚後は、経済的な安定を得、自宅で画塾赤艸社を開設する。
戦中は戦争画を描くことで戦争協力を求められるが、断固断り続け、兵士慰問のための絵を描く。戦後は前述の通り、画風も変化し流れるような線を使った作品《青ぶどう》1956年、色が面となって対象を描くような画法に変わって行く。
この画風の変化こそ、移りゆく女心の現われのようで大変興味深かった。

以下亀高文子の印象に残った作品。
・《食後》 1916年
・《鸚鵡と少女》1920年
・《読書》 1925年
・《童女像》 1934年
・《少女と伝書鳩》 1941年 *モデルは安宅栄一のお手伝いさん。安宅家と亀高家は交流があったらしい。
・《青ぶどう》1956年
・《花》1971年
面白いのは、戦後の花の絵で、同じアネモネやバラの作品でも年代を経るに連れ、どんどん色彩は明るく、線が面に変わっていくこと。
個人的には、戦前の少女を描いた作品群の方が好みだった。

・中山岩太 ポートレイト(亀高文子)
岩太の写真がこんな所で出てくるとは!とても美しい横顔。 

第3展示室
ここからへ文子をとりまく周辺作家の作品を紹介。以下同様に印象に残ったもの。
・渡辺豊洲 《月光》 明治後期
文子の父、豊洲の作品の中で、これが一番良かった。外国人向けの土産として日本の風景を作品としていた。

小杉未醒の作品は、出光美術館、栃木県美所蔵作品のみで、今年の出光美術館開催「小杉放菴」展で見た作品ばかりだったように思うので省略。

・中村不折 《桂樹の井》 1926年 東京国立近代美術館蔵
デッサンなどが多く出ている中、本作だけ突出していた。サブタイトルは「龍宮の婚約」。

満谷国四郎の作品をこれだけ一度に見たのは初めてだろう。彼の回顧展とか開催されないものだろうか。
今回私は満谷作品が結構自分の好みだと知る。
・《鷲羽山》1917年 財団法人両備文化振興財団蔵
・《若草》1922年 個人蔵
・《罌粟の花畑》 けしの花畑と読む。1928年 山陽放送株式会社所蔵
・《朝の身仕舞》 1931年 高子の《梳る少女》の着想になった作品ではないかと言われている。
元々横長の大作だったものを3つに分割し額装した。切らないで欲しかった。

渡辺与平作品。いよいよ最初の夫の作品が登場。亀高の展示になぜ出てこないのか不思議だったが、こっちにあった。彼の作品だけは、文子の作品と一緒に並べて欲しかった。
・《習作》 1910年 個人蔵
・《帯》 1911年 長崎県美術館 文子を描いた作品。温かい色使いが特徴で、どこか文子が描く作品と似ている。
・《自画像》 1911年 個人蔵
この最後の自画像は衝撃的だった。あんまり衝撃的で与平関連資料を見落とした。
何しろその前に展示されていた温かい色使いの作品とうってかわった暗い色で覆われた顔面が強烈。
どう見ても、自身の死期を察知していたとしか考えられない。まさに死顔なのだ。

亀高文子の子供2人も画業に携わり、亀高みよ子と渡辺一郎の作品の展示で終了。

明治から昭和を生き抜いた女性画家の人生をたどった展覧会だった。

*10月18日まで開催中。前期:~9月13日、後期:9/15~ 
展示作品が若干入れ替わり、後期には泉屋博古館分館所蔵の名作が出展されます。

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