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「水戸市立博物館コレクション展」 水戸市立博物館 はじめての美術館47

sonae

今回、水戸行きをあせった理由の一つは先にあげた「冨田渓仙展」後期展示を見ること、そしてもう一つの大きな理由は、この「水戸市立博物館コレクション展」(10月1日水曜日まで)を見ることだった。

展覧会チラシ表面に「徳川光圀、徳川斉昭、横山大観、中村彜etc.博物館が集めた水戸のお宝大公開」とある。以前にも書いたが、私は「お宝大公開」という謳い文句にとても弱い。
早速、水戸市立博物館のHPをチェックすると大観の「水温む」がど~んとトップに貼られている。
う~ん、どんなお宝を拝見できるのだろう、気になる、気になるという訳で行って来ました。
場所もろくに調べず、水戸に到着したが水戸芸術館から徒歩10分もかからない場所にあって嬉しくなる。図書館も同じ建物に併設されており、博物館の入口は外階段を上がった2階にある。
今回の展示は2階~4階までの展示室全てを使用して行われていました。

水戸市立博物館の総力をあげての盛り沢山な内容で、個人的には大満足。入館料は通常無料で、本展は今回特別展ということで、それでもわずか200円!200円でこれだけ見せていただけるなら十分です。前に行った茨城県立歴史館も150円とお値打ちでしたが、水戸市も負けてはいません。

以下展覧会の概要です。~チラシより抜粋~
2009年にあたる今年は水戸にとって、市制施行120周年・水戸藩開藩400年という記念の年にあたる。本展は、同館開館から現在まで30年間にわたり、水戸に関する歴史、民俗、美術、自然といった各分野のコレクションの中から代表的なものを展示公開します。
貴重な資料・作品を一堂に公開することにより、水戸の長い歴史と文化を振り返り、将来を展望する機会とします。

では、前置きが長くなりましたが早速展示を振り返ってみましょう。
展示品画像の一部は博物館HPで見ることができます。⇒こちら

<2階展示室>(歴史)
○水戸黄門 徳川光圀の冒険
ご存知水戸と言えば黄門様。私もどれだけ長期間TVドラマのお世話になったことか。
黄門様が蝦夷探検に向かわせた船「快風丸」の復元想定模型(1/20)などがあったが、恐らく光圀屋斉昭関係の資料は、水戸市内にある徳川博物館の方が豊富にのこされているのではないか。

○お殿様の仮想戦略
・備人形(土製295体の人形・31頭の馬) 水戸市指定文化財 1779年頃 (冒頭画像)
3センチ~4センチ程度の大きさのミニチュアフィギュア。この人形を使って当時のお殿様は軍略、軍学を行っていたのだ。よくぞこれだけ沢山の数残っていたもの。
しかも、単なる人ひとがたではなく、かなり精緻に作られていてかわいい。

他には○水戸藩の殿様関連資料、○斉昭と幕末など歴史関連資料が続く中、私が一番ひっかかったのは○弘道館の誕生のコーナーだった。
弘道館は徳川斉昭により1841年幕末に創設。今回私が拝見したのは弘道館の図面、や俯瞰図など。また授業で使用された佐藤中陵『山海庶品』『海河魚属写真』などの詳細な図譜。
当時としては、先進的な授業に取り組んでいた様子がはっきりと感じられた。

ごった煮的で面白かったのは○ニュースのインパクトと題したコーナー。なぜか、ここで錦絵新聞が大きく採りあげられていた。
落合芳幾の「東京日々新聞」はじめ、月岡芳年の「郵便報知新聞」など、千葉市美術館で開催された「芳年・芳幾の新聞錦絵展」以来、久しぶりにお目にかかった。更に、印象深かったのは「諸国珍談新聞ばなし」1876年3点である。これは、初見でまさになかなかお目にかかれない代物だった。

<3階・4階展示室>(美術)
3階・4階は展示室も広めに取られている。
最初にあるのは水戸の彫刻家、木内克(きのうち・よし)のブロンズ作品。これが大量な数で、約35点ほどある。朝倉文夫に師事したせいか、作風は朝倉のそれと似ていた上に、「猫」の彫刻がとても多かったのも同じ。
木内も師匠に似て、猫好きだったらしい。木内克について詳細はこちら(Wikipedia)。

○知られざる水戸の洋画家 五百城文哉(いおき・ぶんさい)の植物画
私にとって今回の展示の目玉的存在。強烈なインパクトを残してくれた。五百城文哉については、今年の2月~3月にかけて出光美術館で開催された「小杉放菴と大観」展で初めて知った。この出光での展示の冒頭に掲げられていた作品を覚えておられるだろうか?
文哉筆「日光東照宮」(水彩)。

文哉は放菴の最初の師であり、水戸藩士の子として幕末の文久3(1863)年に水戸に生まれ、明治39(1906)年に満42歳の若さで日光に没した明治の洋画家。
文哉については、2005年に東京ステーションギャラリーで「五百城文哉展」が開催されていたようです。詳細は「弐代目・青い日記帳」様の記事でご覧下さい。
いかに、素晴らしい画家であるかがお分かりいただけるかと。

今回は3階・4階2つの展示室に文哉の作品が溢れかえっていた。
文字通り溢れかえっている状態であることは、ご覧になっていただければ分かる。特に4階展示室には所せましというか絵がかけられるスペースにぎっしり文哉の作品が展示されていた。

・「高山植物写生図」 16点・3階、72点・4階
・「百花屏風」 1900年頃 油彩・屏風
・「晃嶺群芳之図」 1903年頃 絹本水彩軸装 以上3階
・「輪王寺大猷院」 1893年 油彩
・「子ども」
・「農夫達」
他「日光東照宮」関連水彩画多数などなど。
もう、どれもこれも1点1点がいとおしい。日光東照宮の作品は外国人向けのお土産用(生計を維持するために売っていた)だろうが、「子ども」に見られるような人物画のまなざしの優しさも好ましかった。
植物の写生図に至っては細密かつ色の美しさ、そして背景まで描き上げる、これは植物を余程愛していないとできないだろう。

○水戸ゆかりの洋画家 辻永(つじ・ひさし)の植物画
五百城の植物画だけで驚いてはいけなかった。次に現れたのは、水戸ゆかりの洋画家として紹介されていた辻永の植物画、何とその数4000点!
彼が残した大量の植物画がいまだ未整理のまま渦高く何列にもわたって積み上げられていたのには驚く。4000点展示されていたことは間違いないが、積まれていて見えるのは一番上だけというのが面白い。さすがに、もはや展示室の壁のどこにも展示スペースが余っていなかったと見える。とにかく数に圧倒された。あの山をどこかにこもって、どの植物か調べ上げる作業やってみたい。
ただ、量だけでなく作品自体も美しい。
五百城作品と併せて、植物画展を過去に開催したことはあるのだろうか?
ど~んと茨城だけで留めることなく、ぜひ東京あたりでどんと展覧会を開催して欲しい。

○水戸の生んだ美術の精華 横山大観と中村彜
大観はともかく、中村彜の未見作「芍薬」1912年、「果物」「玉葱」(裏表になってる)は希少。

○水戸に集まった絵画たち 益子コレクション
材木商であった益子氏親子の集めた絵画コレクション。大観、玉堂、青邨など小品の軸物中心に展示。

○江戸時代前期・後期の水戸の絵画
東皐心越、桜井雪館3点。いずれも知らない江戸前期の作家。雪館の「龍虎蝦蟇仙人図」1767年(三幅対)はあくの強い作風で印象に残った。

そして、目当ては後期の立原杏所林十江の作品。
これがとても見たかった。水戸のお宝と言えば、きっと二人の作品も出てる筈と予想したのが大当たり。
個人的に立原杏所と林十江は好きな画家。林十江は板橋区立美術館で初めて作品を見て気に入り、以来追っかけている。
立原杏所の品のある清冽な色遣いの南画も良いが、どっきりするのは林十江の作品。
林十江は杏所に最初の絵の手ほどきをしたことでも知られるが、悲しむべきは37歳の若さで亡くなってしまった。

・「野菜売図」
・「雷公釣鼓図」
・「夜梅図」
・「葦図」
・「鶺鴒図」
以上5点十江の未見作品に出会えた。特に「野菜売図」以外の4点は、前述の板橋美で過去に開催された「林十江」展図録にも未掲載の作品。
格別印象深いのは「夜梅図」(下)。
yabai

もはや、梅には全く見えずある種抽象画の趣すら感じられる。
このような大胆な画風の画家が江戸後期にいたことにほとほと感心するのだった。もっと、注目されても良い江戸期の画家だと思う。

大満足のはじめての水戸市立博物館訪問となった。

*10月1日(水)まで開催中。渓仙展と併せて強くお薦めいたします。

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