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「Mot アニュアル2010 装飾」 東京都現代美術館

Mot

東京都現代美術館(以下Mot)で4月11日まで開催中の「Mot アニュアル2010 装飾」に行って来ました。

Motが若手アーティストを紹介する展覧会「Mot アニュアル」10回目となる今年は、「装飾」をテーマに10名のアーティストが作り出す作品を展観する。
出展作家は、次の通り(あいうえお順)。
青木克世、小川敦生、黒田潔、塩保朋子、野老朝雄(ところ・あさお)、松本尚、水田寛、森淳一、山本基、横内賢太郎。

全体としての印は、月並みだけれど「装飾」という単語ひとつとっても、そのイメージの捉え方は作る側である作家それぞれ違う。更に、観る側である鑑賞者の私の持つイメージと作家の思いは一致したりしなかったり。偶然、展覧会を観に行った日に小川敦生のアーティストトークを少しだけ聴くことができた。小川は「観てもらうお客さんが思ったことそれが答えです。自分と同じ見方を逆にして欲しくない気持ちがある。むしろ、その違いを期待している。」と話されていたのが印象的だった。自由な見方をして良いんだと、晴れてお墨付きをもらったような感じとでも言おうか。

テーマへの関与はさておき、印象に残った作家を挙げたい(展示順)。

・黒田潔
壁一面に描かれていたのは何だろう?虫?森?、得体のしれない何かに囲まれた感じ。線は全て黒くくっきりと迫る。「装飾」と向き合うための10の思考-参加アーティストからのメッセージには、「本展制作作品のために、アラスカを旅した」とあった。アラスカで出会った森の木々や植物、動物のイメージが作品として空間に表出したのだった。作品を観てアラスカにまで思い至ることはなかったが、不気味な気配を感じたことは間違いない。出口近くに円形の飛び出したパネルがあり、そこだけアクリルや色鉛筆で着衣彩された模様が描かれていた。作品タイトルは「風の通り道」2010年。黒の中に配置された唯一のカラフルな紋様は効果的だった。

・森淳一
どこかで以前、別の作品を観たことがあるような気がしたが、記憶は曖昧。2008年~2010年の作品まで7点を出展している。本展では、塩保さんと共に、お気に入り作家になった。あのエンブレムのような形、「flare」シリーズは一体どうやって彫り上げたのか?技法的な関心がひとつ。素材は本当に木だけなのか?到底、木彫と俄かに信じがたいものが目の前にあるのだが、よくよく眼を凝らしてみると、木そのものが持つ年輪のような文様が見えて来た。やはり木でできているのかという驚き、そして、薄さ、繊細さ、細かさは実際に観ていただくしかないだろう。
展示室を出たところに、木以外の素材を使用した「doll.hand」2010年はリンサムニウム、タグアナッツ、アクリルと木の実を使用した作品で、これも別種の美しさがあった。作家の意図は二つの要素を同居させながら、どちらに寄り添うことなく別の世界を浮かび上がらせるような作品とは、素材と、素材とモチーフ、全く別種のものから新しい世界を生み出すということだろうか。改めて、作家コメントを読んでみれば、そんな風に読み取れた。

・山本 基
山本の塩によるインスタレーションを最初に観たのは、金沢21世紀美術館のオープニング展だったが、一貫してその制作技法、作品は変化していないようだ。展示場所に合わせて如何様にも作品は変化させることが可能。今回は蟻の巣へ行く道筋のように通路が沢山出来ていた。
美しいくねくねと白い線で作られた模様がまさか塩だとは、言われて、そして近寄ってみて漸く分かるかどうか。作家は特に「装飾」というテーマを意識していない。それにしても、一人で最初から崩さず制作作業にあたっているのか?複数人で分担して作業を進めるのか(個人的には後者だと予想)、2月6日にあった山本のアーティストトークは聴いてみたかった。せっかく作った塩の「迷宮」2010年、も本展終了後は跡かたもなく消え去ってしまうのかとおもうと、インスタント作品=インスタレーションの意味が作品と結びつく。

・塩保朋子
森淳一と併せて、本展でもっとも印象深い作家のひとり。見せ方としては単純で、巨大な切り絵作品を左右上方に配置したスポットが照らす。すると、切り絵を通して、光は壁に新しい世界を現出している。部屋に入った時の驚き、高揚感が忘れられない。目の前の切り絵の模様と壁に映し出された模様は白黒反転している筈なのだが、まるで違和感を感じない。離れて観た方が、より美しさを味わえるのではないか。切り絵が巨大になればなるほど、壁の模様がよりダイナミックに、部屋中を模様で満たすことだろう。そんな世界を是非また味わってみたい。

・小川敦生
透明石鹸にカービングしたドローイング作品。表面に彫られたドローイング(模様)を鑑賞するために、巨大な長方形の石鹸自体を四方からライトで照らしている。小川は「本当は、お客さんに石鹸を触って、感じてもらいたかった。結果的に展覧会終了時には石鹸がすり減って消えてしまう。そんなことも考えて申し出たが、美術館、担当学芸員から許可が下りなかった」。担当学芸員「展覧会まで作品をカービングされたドローングを全てのお客様に観ていただきたかったので、作品が溶けてなくなる状態はマズイと判断した。」。と結果的に観るだけで、触ることはできなかったが、石鹸は既に何日か経過し、透明だったはずなのに、黄褐色に変色しつつあった。模様が全て一本の線でつながっているかどうか、気になる所だが、小川「確認したことがないので、1本の線なのかどうか分からない」とのことだった。石鹸まみれ、石鹸かぶれしつつ制作し、制作期間は3カ月。
冒頭の全体感想にもつながるが、今しばらくトークの内容を続けると、小川「作品やものづくりで人と人とはつ上がらない。むしろ、作品は人と人との切断面だと思う。作家が予想しなかった見方をしてくれるのが良い。個々人の見方が真実であり、観賞者の視点が大切。今後はめちゃくちゃ時間をかけてるのに、それが見えない作品を作りたい。」と切断面論など興味深い話を聴くことができてラッキーだった。

ペインティング作品もあったけれど、横内賢太郎は別として、水田寛の視点が面白いと思った。道路を俯瞰した図や、マンションで布団や洗濯物の並ぶベランダを描いた作品など、麻生知子とはまた違う、あちらはひとつをクローズアップしているが、水田の場合は全体を描いている点などが印象に残る。

*4月11日まで開催中。

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テツ様

こんばんは。
テンポラリーな時間間隔。
昨日、今日、時間の圧縮とか時間泥棒とか、今まで以上に
時間を意識するようになりました。
一時的というのが、東洋的な時間感覚は宗教思想に絡むのでしょうか。
奥深いです。

砂マンダラ

山本基の塩のインスタレーション。まるでチベットの砂マンダラのようだなと思いました。砂マンダラも何日間も僧侶たちが共同作業で作り上げ、完成して儀礼が終わると、はかなく消し去られていきます。そのようなテンポラリーな表現行為には、東洋的な時間感覚が関与していると思われます。
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