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高山登 退任記念展 「枕木-白い闇×黒い闇」 東京藝術大学大学美術館

高山登

高山登 退任記念展 「枕木-白い闇×黒い闇」 東京藝術大学大学美術館 11月17日~12月4日
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2011/takayama/takayama_ja.htm

高山登(1944年生まれ)の東京藝術大学退任記念展で、初めて同氏の作品を拝見することとなった。
2010年1月から3月にかけて宮城県美術館で開催された「300本の枕木 呼吸する空間」展の評価が高く、恥ずかしながら私はそれで初めてお名前を知ることとなった。

高山登の枕木を使用したインスタレーションは「物質と記憶の関係」をテーマとして制作され、同氏によれば「かつてアジアを侵略した日本の鉄道敷設の記憶に結びつくことを」と制作動機として語っている。
アジア侵略の鉄道敷設と言えば、満鉄のことだろう。当時の多くの日本人が抱いた野望の象徴ともいえる存在だろう、しかしそれはこと満鉄に限らず満州、そして大陸自体がそうだった。

展示室に入った瞬間、視覚より臭覚が刺激された。
鼻をつく油もしくは強烈なタールの匂い。
衝立の向こう側に、黒いシートの上に重なった大量の枕木があった。
照明は落とされ、黒い枕木だけが不気味な程、存在感を放っており、正面スクリーンでは映像が、私が行った時には目、瞳孔が投影されていた。
そして、暫くすると、何か呼吸音のような音が聴こえて来る。等間隔に発生するその「シューッ」という音は、蒸気の音らしいが、私には心肺蘇生機の呼吸音のように聞こえた。
息絶えそうな死と必死に戦う病魔に襲われた存在が横たわっているような。

そうこうするうち、映像は瞳から、水打ち際に変わった。全部で3パターンのイメージ映像が繰り返し流れる。

目の前にある重量級のインスタレーションにはなぜか思ったほどの感動が得られない。
これはごくごく個人的な問題なのだが、どういう訳か最近大掛かりなインスタレーション、よく耳にする言葉で言えばスペクタクルな傾向の強いインスタレーションに感動しなくなってしまった。
どうにも作り物感を先に感じてしまって。美術は元々作り物なのだから何をいまさらと思うのだけれど致し方ない。
なので、この感想はあまり参考になさらず、どんどんご自身の目で確かめていただきたい。

奥のスペースは半分に分かれていて、向かって左側がドローイングと版作品、右側がこれまでの展覧会記録映像や枕木制作映像の上映が行われている。

冒頭、作家のテーマは「物質と記憶の関係」と書いたが、ドローイングや版作品の方がインスタレーションよりこのテーマを強く感じた。
ドローイングは石炭で描いたのか?黒鉛の粒や重なりは物質の構成要素であり、物質を分解されたものが紙に留まる。
留まったその時間から今現在、私たち鑑賞者が作品を観るその時間を含み、時間の重さが黒鉛から表出していた。
版≪転写≫(1966年~1968年)は物質そのものの痕跡を象り、平面作品であるが姿を変えて物質化されたもののように思う。

黒鉛だけでなく≪コールタール・コラージュグラフ2003≫も同様に物質をそのまま紙に押しとどめた姿で私たちに語りかけて来る。

ご自身の記憶を昇華しようとされていたのだろうか。

インスタレーションもドローイングも拝見する機会を得られたことを有り難く思った。

なお、12月4日(日)14時~関連イベントとして田中泯によるパフォーマンス「場踊り」が開催されます。
会場は同展が開催されている東京藝術大学美術館展示室3
同展、パフォーマンスともに入場無料です。

小瀬村真美 「闇に鳥、灰白の影」 ユカササハラギャラリー

小瀬村真美 「闇に鳥、灰白の影」 ユカササハラギャラリー 10月29日~12月3日
http://www.yukasasaharagallery.com/exhibitions/index.html

artist Website → http://www.db-beam.com/mk-works/j/

小瀬村真美さんの4年ぶりとなる個展を拝見した。
今回は映像インスタレーション作品「Frozen」(20min.)と写真ドローイングを展示。
写真ドローイングは、先日京橋で開催されたヴィラ・トーキョーで初めて拝見し、今回展示されていたのも同じレースのシリーズだった。

さて、写真ドローイングはひとまず脇に置いて、ここでは映像インスタレーション「Frozen」の感想を。

壁のスクリーンは恐らく白い布だろうか?映像サイズ以上の長さで床に設置している。下方に垂れさがる布を見ながら、なぜスクリーンを床に広げたのかを考えることになった。
スクリーン前には折り畳み椅子が2脚。
到着した時には、ちょうど小さな染みが少しずつ広がりを見せ始めた時だった。
しばらく画面を見つめる。
徐々に黒い染みが少しずつ、茶色になったり濃紫になったりして、色面を広げていく。ごく僅かな動きでうっかりすると、どこが広がって行くのか見逃してしまう。
そして、上方からザーザーという波音のようなものが聞こえ始めたが、これは映像のサウンドなのか、はたまた隣接する首都高速を走る車の音なのか判断できなかった。帰り際に、ギャラリーの方に確認したら、映像サウンドとのこと。
とすれば、やはりあの音は打ち寄せる波の音だったに違いない。

そうこうするうちに、黒い染みはどんどん広がって行き、スクリーンの半分程の大きさになる頃、画面中央に島影が見えて来た。「ん、これはもしや?」。島影はやがて本当の島もしくは岩になって眼前に登場。大小大きさが異なる岩が3つ程見えて、黒い染みだと思っていたものが、今度はうっすらと消えていき、海面に変化していくではないか。

黒の靄は雲のようにも濃霧のようにも見え。魔界が現実界になって眼前に現れたかのような、白昼夢を観ている心持がした。
そして、すっかり海と岩の風景がはっきりと現れたその時、1羽の海鳥が飛び去って行く姿が見え、やがてその姿が別の右側にあったスクリーン(存在にその時迄気付かなかった)へと移行、鳥はスクリーンからスクリーンへと渡って行った。

制作技法についてはギャラリーサイトに掲載されているが、以下一部引用させていただく。
和紙にジークレー・プリントで印刷されたイメージの上に水彩で加筆されたドローイングは、これまでの小瀬村作品同様、時間のながれに着目したものになっており、2007年発表のイングジェットでプリントアウトした架空の風景写真のインクを溶かして再撮影した作品 「Under Water」がベースになっています。

染みのようなものはインクを溶かしていく過程で発生したものなのだろう。

大元は写真、これに彩色を加え、更にそれを溶かして膨大な量のスチール撮影、そのコマ撮り画像をアニメーション同様につなげて映像化している。

作家もステートメントで述べているように、写真として過去の時間を留めた像が再び新たな時間を追加され復元してくる。
先週まで、馬喰町のギャラリーαMでは「風景の再起動」と題した個展が開催されていたが、小瀬村の作品は「時間の再起動」とも同じく「風景の再起動」いずれにもあてはまる作品だった。

おびただしい時間の集積は、コマ撮りされた写真1枚1枚の積み重ねと比例し、その時間を追体験する鑑賞者は、作家の描いた時空の中に取り込まれる。
知らず知らず、時の物語に入り込んでみると案外居心地の良い世界だったのは、好きな水墨画の境地を感じさせたからかもしれない。

素晴らしい映像インスタレーションだったが、併置された写真ドローイングとの関係性が分からなかった。関係ない2つのシリーズであれば、単純に隣接させない方が良いのではと思った。

梅田哲也展 「大きなことを小さくみせる」 神戸アートビレッジセンター

梅田kavc

梅田哲也展 「大きなことを小さくみせる」 神戸アートビレッジセンター 11月12日~12月4日
http://kavc.or.jp/art/eam/umeda/

「小さなものが大きくみえる」の大阪、新・福寿荘の個展と同じタイミングで始まった神戸アートビレッジセンター(KAVC)の大きなことを小さくみせる」。
こちらは、1階のKAVCギャラリー、1roomと地下1階のシアター&スタジオ3他を使っての展示構成となっています。
KAVCシアターの展示を観る場合は500円が必要ですが、これは500円払っても観ることをオススメします。
入場料500円というより、梅田哲也さんのイラストによる特製入場バッチ(500円/全8種類)(以下)を買うと言った方が良いかも。
http://lockerz.com/s/157177280
入場料500円を払うと、もれなくこの特製入場バッチを貰えます。既に人気で品切れの種類のものもあるそうです。
ちなみに、私は以下画像の中で6番に決めました。

さて、展覧会。
梅田哲也さんの作品を楽しみにはちょっと我慢が必要です。
何もない、何だこれだけ?と思っても暫く我慢。まず間違いなく数分後に何かが起こります。
この待ちの時間が長いような短いような。じりじりした気持ちというのが、お預けをくらった犬のような状態といいますか。

1階の作品はあやうく1つ見つけて満足し帰る所でした。実は最低でも4つあります。
地下のシアターはかなり大掛かりな仕掛けなので、これも必見。
いや、これは良かったですね。
もうひとつ、スタジオの作品も今まで観たことのない音を使ったもので、こちらも楽しい。
何でもできてしまう、スタジオを使って何をどう見せるのか、考えどころだったと思います。そして、場所はシアター。
シアターである点を活かした作品で、観ることを意識させられる内容だったことは間違いありません。

全体的に大阪のよりも大掛かりで作り込んだ作品が多いのが神戸の特徴。
これは、梅田さんが会場に合わせて作品を変えているから。
初日にこの個展に出向いてオープニングトーク「大きなことを小さくはなす」も拝聴。
対談ゲストはクワクボリョウタさん。インターネット交換手として、本展の制作サポートもされたという堀尾寛太さんとの3人でのお話。
クワクボさんは国立国際美術館で「世界制作の方法」に出展されているのでご存知の方も多い筈。メディアアーティスト。

梅田さんのご指名でクワクボさんとの対談が決まったとのこと。
お二人のお話で印象に残ったのは、作品制作する際に鑑賞者をどれだけ意識するかという点。
梅田さんは一人の鑑賞者を浮かべ、クワクボさんは逆に1人を意識せず不特定多数、フローとしての観客しか考えていない。
梅田さんはリピーターとしての一人を想定されているようで、大阪、神戸でも同じ作品にはしていない。無論彼の場合、場所に影響を受けるため同じというのはあり得ないのかもしれないが、「今何をすべきかを考え抜くと仰っていた」その態度は非常に好感が持てた。
翌日、大阪で知恵熱が出るほど考えていたという話をスタッフの方から伺って、それもありえるだろうと思った。

また、「予定通りになってしまっては逆につまらない。」発言も私が梅田さんの作品を楽しみにしている要因のひとつで、だからこそ何が起こるか分からないワクワク感が私を作品に向かわせるのだった。

大阪も神戸も、今の梅田さんの思考を垣間見る内容でした。名古屋でまたライブをやって欲しいです。

福居伸宏展 「アンダーカレント」 TKG エディションズ京都

福居伸宏 展 「アンダーカレント」 TKG エディションズ京都 11月11日(金) - 12月10日(土)
http://www.tomiokoyamagallery.com/exhibitions/nobuhiro-fukui-exhibition-undercurrent-2011/
*作品画像は上記ギャラリーのサイトよりご覧いただけます。

福居伸宏さんの個展「アンダーカレント」へ行って来ました。

小山登美夫ギャラリーでは2008年の「Juxtaposition」、2010年の「アステリズム」に続いて3度目の個展となりますが、京都では初。今回は2004年以来撮影を続けている夜の都市シリーズ「アステリズム」と新シリーズ「undercurrent」と3枚組の「one and one」を含め約10点を展示しています。

私が初めて福居さんの写真を拝見したのは2010年の清澄白河での個展「アステリズム」でした。
その時は、夜の都市、住宅の風景が無機質で取っつき難く私の手に負えない気がして、それでも記憶に強く残り、自身の中で上手く消化できないことへのもどかしさを感じました。

そして、2度目の出会いとなる本展では旧作シリーズも、2つの新作シリーズも楽しむことができました。
ここでは、特に好と強く惹かれた新シリーズについて感想を書いてみようと思います。

その前に、今回の記事を書くに際し、『Researching Photography』でのインタビュー記事を読み直し、大変参考になったので改めてご紹介させていただきます。非常に充実した内容でPart1、Part2の2部構成(以下)。2010年12月5日、ゲストに福居伸宏さんを迎えて行われた「Researching Photography – Nobuhiro Fukui」に基づき、、ンタビューと書き起こしは良知暁 氏による。
http://researchingphotography.blogspot.com/2011/07/rp-record-part-1.html
http://researchingphotography.blogspot.com/2011/08/record-rp-part-2.html

まず「undercurrent」、モチーフになっているのは雨後のアスファルト道路だろう。そこには単に雨粒の残る道路の表面が撮影されているのみ。しかし、提示された像は、私たちが普段肉眼で見えていると認識しているものではなかった。
同じ光景は幾度となく目にしているけれど、残念ながら目の前の写真のように私の目も脳もそれらの色や形や質感をとらえていない。
通常眼下に見るものを正面で見ているという位置、角度の問題では無論ない。それも多少影響はしているかもしれないが、一見した時、抽象表現形の絵画にのように感じた。
今回プリントされている「undercurrent」シリーズのうちプリントされて展示されているのは2点。

雨の雫が落ちているアスファルトは、ライトの光を反射しとても美しい。夜間はアスファルトがコールタールのような粘り気のある液状に姿を変えているようで、2点のうち1点は水滴に赤っぽい色が重なっていた。赤信号時の光の反射が水滴に写り込んだのだろう。
ポートフォリオには上記2点以外に約10点程がおさめられていて、プリントされたもの全てを並べて、微妙な質感や色、痕跡の違いを楽しんでみたい。
抽象絵画のようなイメージが広がり、数を増せば増す程、作品間にある僅かな違いを感じ、その差に新たな別の気付きが生まれる可能性を秘めている。

再び展示された写真に目を移してみると、白っぽく残っているのが横断歩道の白、車の轍を見つけ、道路はこんなに人の営為を写しとっていたのかとはっとした。
光を発する水滴の質感は思わず触れたくなるような、平面であるのに、雫の感触、形を見出し触角を刺激された。
抽象絵画で時間軸を表現するのは難しいと思うが、「undercurrent」では、写されている痕跡と観者との間に横たわる時間の流れに思いを馳せることができる点にも惹かれる。

タイトル「undercurrent」はビル・エヴァンス、ジム・ホールのアルバムに同名のものがあり、過去の個展でも音楽からタイトルを採用されているケースが多い。文字通りの意味としては、「底流」もしくは「表面にあらわれない暗流」「とされる。
目に見える物質的要素を持つ「底流」(川底の流れ)と目には見えない「暗流」(感情や思想など不穏なもの)、この両義はタイトルだけでなく作品そのものが孕むものを反映している点は興味深い。

プリントサイズは96.0×144.0cmと「アステリズム」シリーズと比較してかなり大きく、このサイズも抽象絵画を想起させるのに一因と言えるだろう。

もう一つの新シリーズは、「undercurrent」以上に興味深い作品だった。
3枚セットという組写真の形式で、特に気になったのは3枚組という点。日本古美術の浮世絵3枚続きを思い出した。
浮世絵に限らず古美術の世界、特に日本美術では3幅対など3枚セットでひとつの作品とするものが旧来から存在する。
それを意識されたとは思えないが、この3枚組の写真は、どこか3幅対の掛軸のような面白さがある。

ひとつでも完成されているように感じるが、3枚並べることで、その連続性、拡張性は増幅している。
また、作品の並びを入れ替えたら果たしてどうなるのか、といったことも試してみたくなる。
背景は、単一のトーンを持つからし色。これに柿がアクセントに加わる。
ベタな背景によって奥行きがなく、柿の木の枝がぺたりと画面にコラージュされているかのよう。
注視すべきは、枝の画面上の配置で中央の1点を除く左右の2点の構図やモチーフの様子は似ているが、よく見ると違う。
中央の1枚では、左下から右上に向かって斜め上方に伸びる枝の先にあるものは柿ではなく別の果物のようで、この果物らしきものは、右端の1点の左側にも配される。
何とものどかな秋の風景。。。と言っていられない3枚の像で見れば見るほど引きこまれてしまう。

「アステリズム」シリーズの空でも見られたトーンを均一ににした背景からは非現実的な印象を受ける。この3枚組は通路脇に展示されていたため、最初、写真だと分からなかった程。被写体は住宅の外壁材として使用されるカラーサイディングだろうか?
各々54.0×36.0cmという縦長のフォーマットもまた掛軸を思わせた所以だろう。

少し時間が経過した今でも、この3幅対が気になって仕方がないのはなぜなのか。もっと気付かない見る喜びが潜んでいる予感がする。


空間の広い清澄白河のギャラリーでの新シリーズ発表を心待ちにしています。

「西野トラベラーズ ─行き先はどこだ?─」 京阪電車なにわ橋駅「アートエリアB1」

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「西野トラベラーズ ─行き先はどこだ?─」 京阪電車なにわ橋駅「アートエリアB1」
10月22日(土)─12月25日(日) 12:00─19:00 月曜休館
http://artarea-b1.jp/schedule.html

京阪電車なにわ橋駅「アートエリアB1」は、なにわ橋駅コンコース内に開設されたギャラリー(オルタナティブスペース)である。2010年度は「京阪電車開業100周年」にちなみ、沿線図、イラスト、映像など京阪電車の鉄道コンテンツを中心に展示。本格始動第一弾となる今年は、鉄道芸術祭「西野トラベラーズ ─行き先はどこだ?─」と題し、西野達をメインアーティストに迎え、ギャラリー内にインスタレーションや壁面一杯、約20メートルの巨大絵図「京阪沿線ご案内」を展開中です。
本展は、西野達の関西初個展となります。

ということで屋内の関西初個展ということで、期待を胸に行ってみました。
これがとにかく理屈抜きで楽しい!
西野のドローイングは初めて見たが、元々武蔵野美術大学では絵画専攻(油画?)であっこともあり、リーフレットのインタビューによれば「元々描くのは好き」とのこと。
「京阪沿線ご案内」(下、一部)では京都の出町柳から中之島までの各駅の名前と駅周辺の情報、特に名所、美術を中心に観光案内宜しく、見どころが案内されている。

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思わず、京阪列車で気になった駅で降りて、食事をしたり観光したりしてみたい!と思わせるような内容。
個人的にツボだったのは、「土居駅」と「滝井駅」間に書かれたコメント(絵ではないですね。。。)「この間たった二百二十三歩」(西野達調べ)。笑いました。実際に歩いて歩数計測したのかな?と想像するとおかしかった。

他にはご当地グルメポイントもしっかり押さえていて、例えば、伏見近辺のあんぱん専門「都麗美庵」(トレビアン)、香里園駅近辺では中華料理の「大三元」をメガ盛りの聖地として紹介。

持ちかえりたくなると思っていたら、この絵図を20分の1で縮尺したリーフレットを300円でアートエリアB1にて300円で発売中。縮尺絵図だけでなく、裏面には西野達へのインタビューも掲載。読みごたえもあり、この沿線案内をポケットに京阪電車で旅するも良し。
リーフレットは、蛇腹折り済のものと、折られていない長い絵巻状態のままのものに2種類から選択可能です。

会場には巨大絵図だけでなく、西野らしいインスタレーションが4つも!設置されています。

中でも最奥のインターネットカフェ(下)、2階建てで1階につき2部屋、計4部屋。靴を脱いで実際にネットカフェとして利用可能。
ここで、気になった旅情報などについて更に検索できる仕組み。

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そして、豆腐大仏に続く新作として取り組んだのは「リンゴ噴水」(下)、後は街中でよく見かけるものを組み合わせたオブジェ、そして、本展への入口にならんとするような住宅に設置されている玄関ドアがなぜか京阪電車のドアになっていたり。

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屋外を屋内に、公共を屋内空間に持ちこむ手法は健在。
また、電車のドアを住宅玄関にすることで、公共とプライベート空間の境界が曖昧になり、どこからがパブリックスペースなのか?と問いかけられているようだった。
インターネットカフェもしかりで、わざわざ正面からではなく裏手に回って靴を脱いで個室に上がった時、自分の中でここは公共なのか、思わず周囲の目を忘れてしまうような落ち着きを得たのが忘れられない。

また、西野達が選んだアーティスト、横山裕一、コンタクト・ゴンゾ、ジェコ・シオンボ、伊藤キム、山川冬樹、しりあがり寿が、アートエリアB1を離れ、京阪沿線にあるスペースを使って会期中、イベントやパフォーマンスを開催し、鉄道沿線をつなげる試みも同時に行っている。
中之島バンクスや京都にオープンしたばかりのAntenna Mediaなど、注目のスポットを上手く使うことで点を線でつなげる。

展示空間に留まらず、ネットを使用することで更に活動域を広げ、更に鉄道芸術祭であるという本来テーマに則り、沿線各駅を上手く使い紹介する。なんだか分からないけど、面白いというのもありじゃないかと思わせる。

「自分の作品がどこへ行くかわからない」というようなことをやっているアーティストが好き、という西野達。
次は何をどこで巻き起こすのか、これからも目が離せない。

「成層圏 vol.5  風景の再起動 宮永亮」 gallery αM

風景の再起動

「成層圏 vol.5  風景の再起動 宮永亮」 gallery αM
10月22日~11月26日 12:00~18:00 日月祝休 入場無料
http://www.musabi.ac.jp/gallery/2011-5.html

昨年春の児玉画廊東京「地の灯について」、夏の児玉画廊京都「making」から、はや1年。

そして、馬喰町のgallery αMで高橋瑞木氏のキュレーションによって待望の個展「風景の再起動 宮永亮」が開催されています。
初日に開催されたアーティストトークも拝聴し、それらも踏まえつつ今回の展示について振り返ってみようと思います。

昨年の「making」展あたりから、映像を単に見せるだけでなくインスタレーションの要素を取り入れ始めていた。例えば京都展では、映像の素材撮影に使用していた実父から譲り受けたというローバーminiが1階会場にどんと置かれていて、車内は煙草の吸殻やらぬいぐるみやらが、普段撮影に使っているのと同じ状態で置かれていて、今にして、この時も映像作品制作の断片を見せていたのだと気付いた。

本展では、このインスタレーション的な要素がより増幅されている。
愛車の代わりに会場に置かれているのは、木造の小屋で構造下部4隅に車輪を取り付けてある。車輪を取り付けた理由は、作家によると「生活者としてどう生きていくのかを考えると定住するのか疑問に感じた。そこで仮設空間としての小屋、車輪付きで移動できるような空間を考えた。」のだという。

小屋は同寸の木製パネルを使って組み立てられており、パネルは展示室内のあちこちに点在し、中には床置きされているのもあったりと、さながら工事中、未完成の状態を見せていた。
これらの展示空間に散らばっている木製パネルをスクリーンに見立て、完成作の≪arc≫(7分51秒)は、小屋の横長壁面の投影し、反対側の壁面には≪arc≫を構成している映像の素材を全てつなげた作品≪raw≫(52分22秒)といった具合に、更に点在した木材もスクリーンとして≪boats≫(3分3秒)、≪snow sun,sun≫(1分50秒)、≪joy≫(1分38秒)などが単体の素材としての姿で映像化されている。

つまり、完成作の素材と仮設小屋の素材とをリンクさせて、空間内に配置し映像を見せていて、作品の見せ方としては非常に興味深いものがあった。
と同時に、単に映像を見せるだけでなく、見せ方、素材の扱い方、更には映像制作の過程を見せることで、映像そのものの特性を鑑賞者に問いかけているのだった。
通常、私たちが映像作品を観る場合、目にするのは完成作であり、その膨大であろう労力には、例えば素材集め、アニメーションであれば大量の絵コンテなど、更に長大な時間を要する編集作業にまで思い至らない。
それを完成作をバラバラにして見せることで、完成作と素材との可逆性を提示し、また時間の逆行をも視野に入れたインスタレーションを構築した。

次に完成作である映像自体を考えてみる。
宮永の場合、映像となる素材群はすべて実写で得られたものであることが大きな特徴で、撮影で採集した素材の中から、どの部分をどのように繋げ、重ねていくか、殊に重要なのは完成作で見られるイメージの積層だろう。
作家の住む関西や実家のある北海道、そして今年旅したスウェーデンの風景など、作家が実際にある時間に存在していた場所の風景が、いくつも重なって≪arc≫は制作された。
車載機に設置したカメラと定点に設置したカメラで撮影した2種類の方法で得た素材で、いずれも作家の目や身体性が排除されていることに注目したい。
したがって、作家の意図や感性、バイアスがかかるのは、少々乱暴かもしれないが編集作業だけと言えよう。
しかし、編集に際しても作家が心がけているのは、ノイズの排除、すなわち作家の思考や感情を抑制し、心地よさを重視するという。
映像そのものは、光の集積であり作家の言葉をそのまま借りれば「自らの映像にそこまで没入や同化して欲しくない。目の前にあるように見えるものは光が映っているだけで、一歩引いて観て欲しい。」と言う。

作家自身の映像作品への信頼のなさというか、強度への心もとなさが現れた言葉だと思ったが、かといってそれを不安視している訳ではなく、問題を踏まえつつを逆に面白さとして扱っていこうというのが作家の意思であることを忘れてはならない。

最後に作品に使用されている音について。
これも実際に採集した音、具体的には青森県の竜飛崎にいた時17時に鳴る時報を引きのばし反転再生したものだそうで、ここでも素材は実際に作家本人が実在した時間の存在とその編集という映像と同じ構造がみられる。

こうして完成した≪arc≫はじめ、映像インスタレーションは実に見事だと思った。
映像の完成度は非常に高く、そして美しく、作家の心地よいものという意図が反映している。

その一方で私が気になったのは素材の内容であった。
確かに作家が実在した時間と場所を扱ったものではあるが、素材採集時には、採集しようと思ってカメラを携帯する訳で、そこに発生する作家の意図や考えを排除することはできないだろう。
それを前提にした場合、異なる場所の意味性について、どうしても考えざるを得ないのだった。特に震災前後に訪れた東北地方の風景について、また唯一の海外からの風景も異質で、単純に出かけた場所です、という説明だけでは、物足りない気がしたのだった。

「風景の再起動」、まさに採集された風景は宮永の手によって私たちの眼前に再起動したことは間違いない。

*最終日11月26日には以下トークイベントが開催されます。
トークイベント 11月26日(土)16時~17時 宮永亮x下道基行x高橋瑞木 ギャラリーαM

ヴィラ・トーキョー 京橋2丁目再開発地区

ヴィラ・トーキョー 京橋2丁目再開発地区 11月11日~11月18日
http://www.newtokyocontemporaries.com/

ヨーロッパを拠点とする10ギャラリーと、東京を中心に活動する9つのギャラリが、1週間の期間中、東京において現代美術の展覧会および上映会、コンサート、パフォーマンスやトークなどのイベントを開催。ポーランド、ドイツ、フランス、イギリス、オランダ、イタリアのヨーロッパ諸国で活動するギャラリーが参加来日し、東京からは、ニュートーキョーコンテンポラリーズの7つのギャラリーを初め、タカイシイギャラリー、小山登美夫ギャラリーが参加しています。

何やらよく分かりませんが、会期も短いので展示だけ観て来ました。
イベントやパフォーマンスが金、土、日と開催されるようなので、関心がある方はそちらと合わせて行かれた方が楽しめるのではないでしょうか。

場所が分かりにくいので、まずは明治屋ビルを目指して、最初に起点となる会場番号①のnfomationに行くのも良しですが、私は最初に見つけた会場⑤に入りました。
各会場で地図やアーティスト名の記載されたパンフレットがあるので、それを入手。
展示会場は全部で5つ、これ重要です。
地図には①~⑧までの番号が振られていますが、京橋の⑥会場⑦の清澄白河ギャラリーコンプレックスで、⑧青山のLabはイベントだけ開催するスペースで展示はありませんので要注意。

ということで、5つのビルはそれぞれ、徒歩1分かからない場所にあるので、移動にそれ程時間はかかりません。EVのない雑居ビルもあるので、階段だけは覚悟がいるかも。

さて、気になったアーティストは海外作家がほとんど、国内作家では岩崎貴宏さんや南川史門さんが気になりました。田中功起さんは、青山|目黒での個展で発表されていた映像作品と写真などを展示。小瀬村真美さんは現在開催中の個展と関係のある作品とのことなので、個展も伺わねばと思ったり。
木村友紀さんの写真とインスタレーションは、う~ん、写真はあの室内にはピタリとはまっていたと思いますが、どこか物足りなさを覚えました。

海外作家では①のビル1階を使用していたアネタ・グシェコフスカ。ボレロの音楽と共に美しい肢体による動きで様々な形を創り出す映像「Bolimorfia」2008/2010は良かった。演技者は作家本人だろうか。同映像につながる写真「Acrobat Book」と合わせて楽しめる。

アリシア・クワデのインスタレーションは2箇所で展示。いずれも錯視を利用するもので、いずれも好印象。しかけは単純だが、ランプを使ったも作品は危うく仕掛けに気付かず通り過ぎる所だった。鉄のオブジェを並べていた方は視線の遊びとオブジェが並んだ空間そのもの、いずれをも楽しめる。

また、⑤ビルにあったロンドゥーダ氏による5つの映像作品はかなり意味深で興味深かった。
5台のTVモニターのうち、正面から左2台は、映画のオープニング、本編が始まる前のカウントダウンや各映画制作会社のイメージ映像などが編集され集められていて、右側は逆にエンディングタイトルとエンディングロールを集めた映像2つ。
これで、思い浮かんだのはマークレーの「The Clock」。
先の5つの映像は作家も制作年代もバラバラ。かなり古い作品もあった。
つまり、類似の発想による作品は従来からあったのだと主張しているように感じたのである。
なお、中央はロンドゥーダ氏が自身の書いたあるパフォーマンスに関する解説を読み上げているものだとか。
中央の映像と左右の4つの映像の関係性が理解できなかった。ロンディーダ氏ご自身の存在をアピールした?もしくは過去にあったパフォーマンスに関係があったのか。

他に①のビルにて、菅志木雄さんと同じ部屋で展示していたペインティングのダン・リーズもなかなか。菅さんごの展示も良かったので、この2人の展示空間は楽しめた。

④のチプリアン・ムレサン(?)の段ボールにスライド投影していた作家のインスタレーションも良かった。

ということで、緩い感じはしつつ普段観ることのできない海外作家の作品やインスタレーションを思ったより楽しめました。

ビルを探す目印は「ヴィラ・トーキョー」のマーク。ビルからビルは地図で見るよりずっと近いのでご注意ください。

「素描/エクリチュール」 SPROUT Curation

素描
Koji ENOKURA C-13, 1982

「素描/エクリチュール」 SPROUT Curation 10月1日~11月12日
展示風景・詳細:http://sprout-curation.com/wp/2011/09/605

スプラウト・キュレーションは、雑誌『スプラウト』の編集・出版をされている志賀良和氏がキュレーションするギャラリーで2001年10月に清澄白河にオープン。

開設以後、清澄白河のギャラリーが集まるビルへ行くたび必ず覗くようにしている。
当初から、割と好みの作品が置いてあるなと思っていたが、だんだん毎回楽しみになっていて、前回の泉太郎展も狭いスペースながら、楽しませてくれた。

そして、今回は4名の作家の素描を集めた展示を開催している。
展示風景は、上記ギャラリーサイトをご参照ください。
奥のスペースには、今は亡き榎倉康二のこれまでほとんど公開されることのなかった80年代初頭のドローイング3点と、若手作家の揚妻博之、笹川治子、村田峰紀3名のドローイングが、絶妙な調和を奏でて展示されていた。

若手3名のうち知っていたのは村田峰紀さんで、彼はあいちトリエンナーレ長者町会場で長期間パフォーマンス・ドローイングを行っていた。
今回もその延長上というか、それが彼の作風であるパフォーマンスとからめたドローイング「アフターイメージafterimage」が1点あった。
身体の動きの痕跡や皮膚感覚がそのまま物質に展観されたかに見える衣服上のドローイングは荒々しい色と線の連なり。
激しさと動きを止めた時の静かな時間が同居しているような、ものとしての強い存在感を放っている。

ものとしての存在感、時間の静止を感じさせたのは、奥の榎倉のドローイングも同じで、土色に染まっているのは油なのだろうか絵具なのだろうか。
3色に画面分割された作品はアメリカの抽象表現主義の作家の作品を思い出させる。
強い黒と白のコントラストに土色が加わり、地球の大地を表現しているようにも見えた。

榎倉のこの力強いドローイングに一番近しいものを内実させていると思ったのが、村田峰紀の作品だった。

揚妻博之は、現在ドイツ留学中で、音を可視化させる方法を探求し作品化しているという。東京藝大先端表現卒とのことで、今春丸の内で開催された「a.a.t.m2011」でも天野太郎賞を受賞されている。卒展もa.a.t.mも観ているはずなのに記憶が。。。
ドローイングは黒一色で「あなたが持つ空間性について」というタイトルが付され、コイルと12 本の線からなる再生装置の振動から生まれる音のインスタレーションで鑑賞者が認識するであろう「音」をイメージして描かれたそうだ。
ギャラリーサイトにある1点が素晴らしく良かった。
シリーズなのか、複数枚作品はあるが、サイト掲載のものが特に印象深い。
私自身は、彼のドローイングから「音」を得ることができなかったのは残念だが、それでも強烈な印象はあった。

笹川治子は4点のドローイングで、「スキーマ 2011」とタイトルが付けられていた。
元々、インスタレーションや、監視カメラなどの情報管理社会を象徴するモチーフを、段ボールや中古の電化製品といったごく身近な素材を用いたシリーズを展開している作家だが、志賀氏の薦めでドローイングを出展することになったという。彼女も先端表現卒業。
ポートフォリオでインスタレーションを拝見したが、目の前にあるドローイングとはかなり印象が違う。
ドローイングは、緻密で彼女の脳内風景を描き出したような。シュルレアリスム風でもある。

独特のオリジナルモチーフがひしめきあう画面は、ややもすれば怪奇的でもあるが、その一歩手前で抑えてあるのも良かった。

大御所:榎倉康二の胸を借りた形での若手作家3名のドローイング競演、とても楽しめました。

平川恒太「豊かな絵画と、豊かな世界」 バンビナートギャラリー

hirakawa.jpg
「作品番号42、どこから来たか、どこへ行く」 2011 アクリル、油彩、キャンバス 116.7×90.9cm

平川恒太「豊かな絵画と、豊かな世界」 バンビナートギャラリー 10月14日~11月6日
http://www.3331.jp/schedule/001259.html

1987年、埼玉県に生まれた平川恒太さんは、多摩美術大学を卒業し、現在は東京藝術大学大学院修士課程に在籍しています。
本展では、、「豊かさ」とは何かをテーマに、人類の物語を描き出します。
この根底にあるのは、人間が人間であること、人間も生物体のひとつであること、動物の1種族であることの喪失に対する警鐘にもなっているのです。

過去にどこかで彼の作品は見ていると思いますが、本展で初めて意識した作家さん。
まず、バンビナートギャラリーに足を運んだのは冒頭の作品画像を見た時からでした。海を見つめて佇む少年の姿、空の青、海の青、白い雲、遠景の山、それらは渾然一体となった光の点の集積のようで、実際画面は小粒の点描で描かれている部分とフラットな部分の両方が混在しています。

しかし、色同士が上手く溶けあい、印象派絵画のように光をしっかりとらえている所は素晴らしい。
少年の足元に、たわんで落ちているのは何と熊の貴ぐるみで、野性を捨てたことを象徴させているのです。
作品タイトル「どこから来たか、どこへ行く」は、ゴーギャンの『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を連想させ、彼のテーマである人間の豊かさへの懐疑がゴーギャンの大作タイトルに集約されているのでしょう。

トップ画像の作品の2つ手前にあった作品が以下。作品を追うごとに少年が物語の1シーンを演じているかの如く、つまり絵本を絵画で見ているように展示構成されていました。
以下の画像は森の中で何事か、逡巡している姿に見えます。この作品も、先程の作品のように細部の仕上がりがきっちり完成されている点に注目です。光の入れ方はやはり白の点描使い。

hirakawa3

絵画だけでなく、毛糸を使ったミクストメディアも3点(うち1点が下のウサギ)紹介しています。3つはそれぞれ下方で毛糸により結ばれ、生命や自然の循環を表現しているように見えます。
きっちりと毛糸によって色彩分割された画面は、使用している糸色の影響もあり、くっきりとしていますが、逆にモチーフがあやふやで見えて来ない作品もありました。

hirakawa 2

この他、会場には人間が打ち捨てたであろう野性を象徴する着ぐるみやドローイングも合わせて展示。
空間すべてを多様な手法による作品でうまく結んでいました。

*作品画像はギャラリーの許可を得て掲載しています。

金子國義 「聖者たちの戯れ」 MEGUMI OGITA GALLERY

金子國義
金子國義「The Book」2007- 2011, 130.3 x 194cm, oil on canvas

金子國義 「聖者たちの戯れ」 メグミオギタギャラリー 10月14日~ 11月6日
11時~19時 (月・祝休廊) 会期中は日曜も営業

金子國義、ご存知の方も多いことでしょうが、私は失礼ながら本展で拝見するまで存じませんでした。

金子國義氏については、作家さんご本人の公式サイトでプロフィール、作品等ご覧いただけます。以下URL
金子國義公式サイト:http://www.kuniyoshikaneko.com/


メグミオギタギャラリーに入った途端、いつになく照明は落とされていて、スポット照明で作品を照らし、蛍光灯は極力控えめにしている。なんだ、この妖しげな雰囲気は。

金子國義氏は、1956年に日大芸術学部に入学し、同時に歌舞伎舞台美術家の長坂元弘氏に師事。
卒業後グラフィックデザイン会社に勤務するが3カ月で退社、1964年独学で油絵を描き始める。
そして、1965年頃、澁澤龍彦氏と知り合い、澁澤氏著書の装幀を依頼され、初の個展を薦められる。
以後は、舞台美術・装幀・油絵など様々な分野において活躍されている。

メグミオギタギャラリーのオーナーである荻田氏がかねてより金子國義氏の作品を好きであったことから、開催の運びとなった、念願の企画実現だとのこと。
本展では、金子氏の作品の中から「聖者たち」と題されたシリーズの作品を一堂に紹介、また、内側の小スペースではアリスシリーズの小品も販売展示されている。

いつものメグミオギタギャラリーではなく「金子國義美術館」の様相を呈していた。

まず、かの有名な、レオナルド・ダ・ヴィンチ≪最後の晩餐≫を引用した4年がかりの大作「The Book」2007年- 2011年(トップ画像)が強い存在感を放っていた。
ほのかな照明の中で白のシーツが映えるが、決して真っ白なのではなく血だろうか、薄汚れている。

本個展では「聖者たちの戯れ」と題しているように、宗教画や聖書などから引用したと思われるイメージを金子氏独特のエロスと自傷行為、「血と薔薇」を思い出さずにはいられない世界観を醸し出していた。
見ていて、こちらの方が痛みを感じるような作品が続くが、頽廃的でもあり時代のエスプリを感じさせる独特の世界。
そう、四谷シモンの世界に近いだろうか。

以下の作品では、バレエのポーズが取り入れられ、金子氏が舞台美術に関わっていたバレエの経験が油彩にも活かされている。

金子2
「聖なる惨劇の中で」 油彩・キャンバス 1620×1303mm 1998年


それにしても、エロス、頽廃というだけでは扱えない危険な香りがするのはなぜだろう。どこかしら同性愛的、特に男色の雰囲気が満ち満ちて、モデルの肉体美の誇示に息苦しくなってきた。
(参考)金子國義公式サイト「聖者たち」http://www.kuniyoshikaneko.com/art_gallery/?cat=15

小スペースに入ると、そこはうってかわった「不思議の国のアリス」などアリスシリーズの小品(以下画像)が多く展示されている。なお、今回は普段は使っていない奥の通路まで使用しての展示がされているので、見落としのないように。

アリス
(参考)「不思議の国のアリス」シリーズ:http://www.kuniyoshikaneko.com/art_gallery/?cat=19

「聖者たち」シリーズのような強烈さは薄まっているものの、アリスの挿絵は日本人離れした感覚であった。
西洋版画を見ているような、表現は悪いが良い意味でのバタ臭さがある。
しかし、アリスシリーズはかなり私の好みだった。

これだけの作品数を見られる機会はなかなかなさそう。
金子國義氏の世界を知ったこと、いつもと違うギャラリー空間を体験できたこと、は収穫でした。

コロナブックス刊『金子國義の世界』(以下)も出版されています。

コロナブックス
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