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「指定文化財等 中国書画特別展」藤井斉成会有鄰館 はじめての美術館84

「指定文化財等 中国書画特別展」藤井斉成会有鄰館 5月1日(日)と5月15日(日)12時~15時半のみ
http://www.kansai-chinese-art.net/fu03.html
美術館公式サイト→ http://www.yurinkan-museum.jp/index.html

今年は、中国書画コレクションを所蔵する関西の9館が、約1年にわたり関連展示をリレー式で行う「関西中国書画コレクション展」を開催している。
「関西中国書画コレクション展」の公式サイト→http://www.kansai-chinese-art.net/

先達を担ったのが、京博で開催された「上野コレクション寄贈50周年記念 筆墨精神-中国書画の世界-」と「中国近代絵画」展だった。
そして、この5月第1、第3日曜日藤井斉成会有鄰館で「指定文化財等 中国書画特別展」を知り、第3日曜日は予定が既に入っていたため、狙うは5月の第1日曜日と、3連続の関西・名古屋方面の遠征となったが行って来た。

藤井斉成会有鄰館の存在はかねてより知っていたが、何しろ2月と8月を除く第1、第3日曜日の12時~15時半までと極めて開館回数と時間が短いため、なかなか行けず。
今回の関西遠征は、藤井斉成会有鄰館のために出かけたようなもの。場所は、京都国立近代美術館から徒歩3分程度。地下鉄五条駅から京近美に向かって歩くと、左手に屋上に朱塗りの八角堂を乗せた東洋風の建物が見えて来る。
ほぼ12時ちょうどに到着し、受付で本館と第2館の共通券かバラ券どちらにするかを尋ねられた。もちろん、初めてなので、共通券を購入(一般:1,400円)。

まず、本館から。本館の中国様式の建物を設計したのは武田五一で、1926年建築当時のまま。
1階~3階までが展示室になっているが、入ってビックリ。まさに中国美術のヴンダーカマー!
1階:仏像・彫刻、画像磚石・瓦当、石経・経石を展示。
2階:青銅器、銅仏、玉器、漆器
3階:陶磁器・玉器、寝台・衣裳、書蹟・古文書、絵画 

3階の書蹟、絵画は常設展示ではなく、5月と11月に中国書画指定文化財等が公開されるようだ。
何しろ、大半の展示物はケースに入っておらず、ゴロゴロと部屋に所狭しと置かれている。

絵画も巻物は別だが、掛軸はケースなし。

1階~3階まで、仰天しながら見て回る。
2階にあった科挙試験の際に使用されたとされる、カンニング用の下着。肉眼視できるかできないかという程、極小漢字で埋め尽くされている。科挙試験に対していかに必死であったか、そして古の他国においてもカンニングはあったということが妙に感慨深い。

3階でいよいよお目当ての中国書画に対面。
何と言っても一番感動したのは、黄庭堅「草書李太白憶旧遊詩」北宋。黄庭堅の行書は、永世文庫所蔵の「伏波神祠詩巻」がつとに有名。
しかし、今回の黄庭堅は草書体。2006年に東博で開催された「書の至宝展」図録を確認したが、有鄰館所蔵の本書は出展されていない。草書であっても、黄庭堅のものと分かる書風である。あの美しく長いハライ。踊るような流れるような書風である。墨色も美しい。
この書の前を行ったり来たり、他の絵画を観て再び戻ることを繰り返す。
書巻であるが、最後の4行を除き一挙に展示されている。最後の4行は、展示ケースのサイズが足りないため、本物を展示できず巻かれたまま。代わりに、コピーがケースの外に貼られていた。
館長らしき男性の説明によれば、「この最後の4行が今回公開されるのか?」というマニアックな問い合わせもあったとのこと。でも、その気持ち分かる気がした。

そして、日本ではめったと観られない北宋山水画、許道寧 「秋山蕭寺図」(重文)こちらはそれ程大きいものではないが、樹木の様式が北宋山水画の特徴、蟹爪樹を示す。2008年、私が中国北宋絵画にはまるきっかけとなった展覧会「崇高なる山水」大和文華館で一度観ている。許道寧は北宋画家、李成の作品を学んだという。

作品リストがなく、メモを取る時間も惜しいので、他にも大幅な山水画がいくつかあったし、小品の画冊なども展示されていて満足。

次回の11月には、季節の作品だけを春から秋ヴァージョンに変えて展示する予定とのこと。こちらも楽しみ。

中国絵画だけでなく、青銅器や清の乾隆帝龍袍やら寝台やらとにかく、中国美術満載の館であった。
収集したのは、近江商人だった藤井善助(4代目)、詳細は美術館やWikipedia等に記載されている。

第2館は、金沢より移築されたフランス人の設計によるアールヌーボーやアールデコ様式の建物で、中には日本美術が無造作に展示されている。登録有形文化財に指定されている。

中国美術も日本美術も保存方法にやや難あり。第2館の円山応挙作品、鶴の図が真筆だとすれば、気の毒な感じがした。

藤井有鄰館 京都市左京区岡崎円勝寺町44番地 
開館日:・一月、八月を除く毎月第一、第三日曜日の正午~午後三時半まで。

「チェルノブイリから見えるもの/追悼 針生一郎」、原爆の図 丸木美術館 はじめての美術館83

「チェルノブイリから見えるもの/追悼 針生一郎」 丸木美術館 5月3日(火)~6月11日(土)
 美術家公式サイト → http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm

丸木美術館は、5月5日の今日が開館記念日。
この美術館は、丸木位里、俊夫妻による「原爆の図」連作であまりにも有名。

もちろん、私も存在は知っていたが、埼玉県東松山市と交通の便があまり良くないせいもあり、なかなか足を運べずにいた。しかし、今年の年明け東近美で開催された「日本画」の前衛 1938-1949展で丸木位里の作品を何点か拝見し、やはり丸木美術館に行かねばという思いが強くなった。

そして、開館記念美の今日は記念イベントで、4月から目黒区美術館で開催が予定されていた「原爆を視る」展担当の正木基学芸員による講演とその後、チェルノブイリに訪れたことのあるフォーク歌手・小室等さんのコンサートが開催されると知り、いよいよ訪れることとなった。

その前に、埼玉県近美のアールブリュット展に寄ったため、大宮→川越→森林公園に行く筈が、逆に向かってしまい、なぜか気付いたら赤羽という大失態。
今日は記念美ということで無料送迎が12時半にあったのに、間に合わない~と半ば諦めモードで南浦和→朝霞→森林公園へ。12時45分に到着したのに、送迎車は待っていてくれた。

東武東上線森林公園駅より車で10分。本当に周囲には何もない場所に丸木美術館はあった。
開館記念美は通常900円の入館料が800円。
シールが入場チケット替わりで、着衣の見えるところにペタンと貼る。
間口は狭いが奥に長い建物で、1階と2階に「原爆の図」連作や丸木スマ(丸木位里の実母)の作品がある。そして、新館棟とホールには晩年の大作4点「水俣の図」270×1490(cm)「南京大虐殺の図」400×800(cm)「アウシュビッツの図」340×1610(cm)「水俣・原発・三里塚」の4作品が壁面を全て覆い尽くす。

「原爆の図」もさることながら、私は最初に講演会が開催されるホールに向かったので、いきなり晩年の4大作と向かい合うことになった。
これが、すさまじかった。筆舌に尽くしがたいとはこのことか。
特に、横16メートルにも及ぶ「アウシュビッツの図」、同じく横約15メートル「南京大虐殺の図」は高さも4メートルと超大作。
背筋が思わず寒くなったのは、今日の東京が季節外れの寒さだったからというのもあるが、その大きさ、迫力、そして墨の力強さ、線の確かさ、全てが私を包みこんで離さなかったからだと思う。

今まで、私がここに来れなかったのは、これらの作品、過去の歴史と向き合うのが怖かったから。
交通が不便というのは実は単なる言い訳にすぎず、原爆の図や大量殺りくを描いた作品に向き合うのに怯えていたのだろう。

しかし、やっと史実にそして丸木夫妻の作品と対面した時、畏怖ではなく戦慄の方が先に立った。と同時にこれだけの大作を描き上げた丸木夫妻の画力にほとほと感心した。

紅蓮の炎だけ赤を取り入れ、晩年の4作品は基本的に墨一色で描かれている。

「原爆の図」連作15点は、日本画らしく多色作品も数点(9部~11部)あるが、基本は墨と赤のみ。
これら屏風仕立ての15連作は縦1.8m×横7.2mと前述のホールにあった超大作よりサイズは小さい。第1部の「幽霊」は1950年制作、最後の第15部「長崎」は1982年制作と実に30年あまりをかけて完成させたシリーズは、1点1点胸を打つ。

特に、忘れがたいのは第8部 「救出」。たロシアのイリヤ・レーピン「ヴォルガの舟曳き」はたまた青木繁の「海の幸」が頭をよぎったが、いやまさに地獄絵図のような作品。


常設展示だけで、完全にノックアウトされたが、企画展が2つ開催されていた。

「チェルノブイリから見えるもの」
ここでは、本橋成一のチェルノブイリ写真、広河隆一の福島原発事故写真、チェルノブイリ写真の展示、そして貝原浩『風下の村 チェルノブイリ・スケッチ』などが展示されていた。

貝原浩のデッサンとスケッチはまさに叙事詩と言っても良い。写真は、広河のチェルノブイリの村をカラーで撮影したものが印象深かった。はっとするシーンが何枚も続いた。

また、昨年急逝された針生一郎氏は、丸木美術館の元館長であったことを私は知らなかった。
館長追悼企画としてゆかりの芸術家による30点の作品展示だったが、これがまた秀逸。小品主体だが、これまで観たことのない作品ばかりで驚いた。
特に、長谷川利行「題名制作年不明」の赤い籠に盛られた草花の作品、瀧口修三「壊れやすい夜か、または・・・」、小山田二郎「顔」、難波田龍起の作品など、どれもこれも、思わず足を止めさせる。


目黒区美術館の正木学芸員による講演は、「原爆を視る」展開催に至る経緯や出展予定作品をスライドを交えながら解説。
同展は、現在のところ、来年6月以後の開催を目標に動いているとのこと。
恐らく、来年には同展を観ることが可能のようです。

小室等さんの楽しいお話を交えた歌を聴きつつ、開館記念イベントは盛況に終わった。

美術館のすぐわきに、休憩棟があったので、のんびりおにぎりを食べていると、眼下には都幾川のせせらぎと小鳥の鳴き声、そして河原の菜の花、丸木夫妻がここをアトリエに選んだ理由が分かったような気がした。

「半農半アート-水ありて-」 東広島市立美術館 はじめての美術館82

下線文35887.jpg

東広島市立美術館で3月21日まで開催中の「半農半アート-水ありて-」に行って来ました。

今回の旅は、夜行バスで京都入りし、京芸の卒展や大山崎山荘美術館、京都芸術センター、@KCUAなどをまわって(鑑賞記録にアップ済み)、19時前には再びバスで高松に向かい1泊。翌朝、高松→丸亀→広島→東広島→広島空港→羽田という旅でした。

東広島市立美術館は、丸亀→広島の移動がスムーズに行くか、広島市現代美術館のサイモン・スターリング展にどの程度時間がかかるかで行けるかどうかが微妙な状態でしたが、広島駅から広島空港へ向かう途中にあるため、これなら行ける!とスケジュールに組み込みました。
今回の企画展では、笹岡啓子さんの写真が出展されているとのことで、例によってtwitterで本展の情報を発見し、これは行かねばと思った次第ですが結果は大正解でした!

同館は広島駅から岡山方面へ向かうJR山陽本線(在来線)で30分、八本松駅で下車し、まっすぐに南下徒歩10分程度の場所にあります。駅から案内板が見つからず、建物が見えないので途中不安になり道を確認しましたが、間違いなし。程なく看板と美術館らしき建物が見えてきました。
この日は、小雪が舞い散る非常に寒い1日で、美術館までの道のりが寒かった!

閉館が17時で到着したのは16時20分頃だったでしょうか。
展示室は1階と2階、そして別棟に八本松歴史民俗資料館があり、そちらにも作品が館内に1点、屋外に1点あります。

「半農半アート-水ありて-」というタイトルは、東広島の営みに主眼を据えて「農(農業)」と「水」をテーマに展開。以下、同館ホームページの本展概要を引用させていただきます。

東広島市は、往古より稲作を基幹とした「農」を営んできました。市内では、古墳時代の水田遺構が見つかっており、現在でも、県内最大の水田地帯となっています。三大銘醸地として名高い酒造業をはじめ、産業も「農」を基盤として発達してきました。「農」は古代より続く本市の根源的な営みなのです。
また、本市は、国土交通省によって水の郷100選に認定されるなど、親水都市として知られていますが、全国有数の溜池群があり雨乞い慣行が伝わるなど、水不足に悩まされた土地でもあります。水に事欠く土地でありながら、稲作や酒造業など水に立脚した産業を営むこの地にあって、人々は水を希い、水と葛藤し、豊かな水への創造(想像)力を常に抱きながら暮らしてきました。「水」は本市を象徴するエレメントなのです。


同市を象徴する「農」と「水」を出品作家が、それぞれの表現方法や作品を通して生活と郷土と美術の関連を見せる内容で、まさしくこの東広島美術館ならではの展覧会となっていました。
私は、まずそのことに深い感銘を覚えたのです。
ただの通りすがりの旅行者である私が、本展の作品を通じて、いつしか東広島市がどんな土地でどんな歴史を持ってどういう生活が営まれているのかが、何かしら見えて来たのには感動しました。
市内を回ることはできなかったけれど、作品を通して東広島市がどんな土地柄なのか、それが感じられたのです。

また、各作家が本展テーマを自身で解釈し、その結果生み出した表現であり作品であったことが伝わって来て、会場を出た後もじわじわと私の中で旅の良い思い出としてじんわりと残っているのでした。

出品作家は次の15名、地元広島にゆかりのある作家さんや広島市立芸術大学の教授・学生の作品中心に構成されています。
石丸 勝三、伊東 敏光、川崎 義博、黒田 大祐、久保田 辰男、腰本 悦二、桜田 知文、笹岡 啓子、鹿田 義彦、
増田 純、松尾 真由美、丸橋 光生、宮岡 秀行、祐源 紘史、吉村 芳生 アイウエオ順
各作家さんの紹介は同館のサイトをご参照ください。→ こちら

どの作品も楽しめましたが、特に印象に残った作品について振り返ってみます。

・川崎義博 ≪伏流/quiet underflow≫2011年
川崎は、東広島の「水」に注目した映像と音(川のせせらぎなど)を使ったインスタレーションを展開。映像を見せる映像ディスプレイを置く台に使用していたのは、映像と音を採取した市内の川にあった石だと思われる。
ディスプレイは全部で5つか6つはあったと思う。
各ディスプレイでは全て水の映像が映し出されているが、それらは全て市内の別の場所で撮影され、ディスプレイに映し出された水音が展示室内にまるで、私がそこにいるかのような錯覚を覚えさせるほどリアルに迫る。
展示室内に創り出された、疑似的水場であったが、美しい水の映像にしばし見とれ流れる水音に耳をすまして佇んだ。

・伊東敏光 ≪流体女神-初見≫、≪水源-奥行き12000m-≫、≪流体女神-偶然≫ すべて2010年制作
≪流体女神≫2点は、御影石の彫刻で、石彫に彩色が施され、石造りの神像のように祈りの姿勢を取っているように見えた。着彩が、かなりしっかりとされていたが、寧ろそれが自然な感じがして、こけが生えた石のようにも見える。
≪水源≫は、木彫であるが、一木造とは逆に、小さな木片をパッチワークしたような木彫と言えば一番分かりやすいだろうか。パッチワークの布を1枚の木片にたとえ、それをつなげて山の形体を生み出す。
色や質感も木片の種類を変えることで、山として平面的な木彫であるにも関わらず、奥行きの感じられる作品になっている点が素晴らしい。

・吉村芳生 ≪未知なる世界からの視点≫2010年
吉村と言えば、新聞シリーズで著名だが、本作品は色鉛筆で描かれた風景画である。
描かれたいるのは東広島ではなく、山口市仁保川の川べりに咲く菜の花。
6月になると田んぼに水がはられ、水面に風景が映り込むために天地がなくなる状況を絵画化している。この作品は天地逆に展示してあるので、もちろんそのまま観ても良いが、股のぞきして天地逆さまに見ると、また違った風景がみえてくる。
吉村の色鉛筆絵による風景画は初見、しかも本作品は非常に大きく202cm×1022cmで迫力十分。

・笹岡啓子 ≪風水里山≫2011年 ピグメント・プリント 20sm×30cmサイズの写真が15点。
この東広島市美に行った翌日、私は笹岡さんの写真を考察する「Researching photography」に参加した。そこで本作品についての笹岡さんご自身のコメントも拝聴することができたのだが、撮影期間は5日間。予算の関係上、今回の作品はデジカメの一眼レフを使用し、インクジェットプリントで出力したため、これまでの作品よりサイズが小さくなったとのこと。
5日間で700枚~800枚の画像を撮影し、15枚をピックアップしたとのこと。
私はこれらの15点を眺めつつ、なぜこの15点を選択したのかを考えながら1点1点追っていった。

笹岡さんお写真と出合ったのは愛媛県の久万美術館での図録だったのだが、今回の企画も久万美術館の展示を観た学芸の方から声掛けがあって参加に至ったとおっしゃっていた。里山と言えば、久万もそうなのだが、同じ里山でも東広島は農業が盛んなのか、大きな農家が多く久万町との違いを踏まえつつ撮影したのだそうです。
私は、彼女の風景写真を観るとき、いつも大地の質感に注目する。皮膚のように触角を刺激する。

・桜田知文 ≪MINORIの雫≫2011年
鉄、鋳金のオブジェ作品。四角い鉄板を「田」に見立て、その板の上には水のようなアルミニウムの造形物が乗せられている。これがとても美しかった。
アルミニウムが輝くと水の輝きのように見える。

・増田純 ≪豊作≫2011年
人体より大きなサイズの米袋を肥大化させたオブジェが1階ロビーに発見。ご丁寧に米袋には、それらしく文字が描かれている。

・鹿田義彦 ≪Shortage/Filling Namings≫2011年
この方も写真作品を展示。笹岡さんの写真と比較してみると面白い。同じ東広島を撮影した写真であるにも関わらず、切り取り方、写真メディアでの表現化がまるで違う。
彼の場合は、地元の中心産業の一つである日本酒作りに目を向けた。
市内にある酒蔵を訪ねて、土地ならではの日本酒をコップに少しずつ量を変えて横に並べている。
そしてご当地の日本酒の銘柄の名前にちなんだモチーフ(鶴なら鶴を選ぶなど)を1点、1点関連付けて撮影していた。

他に祐源 紘史の小さな昆虫彫刻が愛らしかった。

*3月21日まで開催中。お近くの方はぜひ!お薦めです。

「開館記念名品展」 センチュリーミュージアム はじめての美術館81

本年10月4日から新築オープンしたセンチュリーミュージアムの「開館記念名品展」の最終日に駆け込みで行って来ました。

センチュリーミュージアムは旺文社の創業者である故:赤尾好夫氏の書画骨董仏教美術のコレクションを財団法人センチュリー財団に収蔵し、同財団により運営されている。
私は知らなかったが、以前は別の場所にあり2002年に一旦閉館し、このたび2010年10月4日に東西線早稲田駅から徒歩6分の地に新築移転オープンしました。

地上5階建の建物で、4階と5階が展示室として使用されています。
受付で入館料500円を支払、丁寧な「開館記念名品展」作品解説をいただきました。全頁数16ページ。これも保存決定。
まずは、4階の展示室から。センチュリーミュージアムは、とりわけ日本の奈良時代から江戸時代に至る文字文化に焦点を当てた収集がなされており、「書の美術館」として高い評価を得ています。

そして、その評価は正しいことをこの目でしっかと確かめて来ました。
今回は2つの展示室合わせて65点の作品が展示されています。
4階は書画中心、5階は仏像や古鏡が中心です。

65点のいずれ劣らぬ名品ぞろいで、本当に驚きました。
何しろ、東博の「東大寺大仏展」で拝見したばかりの「大聖武」はあるは、正倉院御物を思わせる唐時代の螺鈿花鳥文鏡はあるはで驚くばかり。
しかも5階の仏像は、私が最近好きになっている平安仏が中心。それに加えて唐時代や北朝時代の石造の仏像がコルビジェのLC3のソファが配置された空間で鑑賞できる鑑賞環境。

さて、65点の中で忘れ難い作品を数点挙げます。

・≪金銀泥下絵詩書巻≫ 本阿弥光悦筆 江戸時代 絹本
今回、もっとも驚いたのはこれ。琳派の作品展でも拝見したことがない。しかし物凄い代物でした。光悦の書作品の中でも壮年期の名品ではないかと思います。
下絵は伝俵屋宗達とされていますが、そうであってもなくても、素晴らしい書と絵巻物。明治の元勲:福岡孝弟の旧蔵品。

・≪三十六歌仙絵巻≫ 伝冷泉為相賛 鎌倉時代
状態が非常に良い上に、断簡にせず絵巻のままの状態であることに感銘を受ける。絵は勿論非常に丁寧で線が美しい。

・≪古筆手鑑「武蔵野」≫ 平安~鎌倉時代
数奇者の蒐集した古筆切の中でも名物切を19葉貼り込んだもの。光明皇后や小野道風のものあり。
素晴らしい。古筆。

・≪揚柳観音図≫ 伝牧谿筆 南宋時代
牧谿ではないにせよ、南宋時代の傑出した画家の手による作品と言われている。

・≪山水図≫雪舟等揚 双幅 室町時代
画面は縦11.5×横25.1 小品ながら雪舟らしき、墨の濃淡で輪郭線なく表現した山水図。

・≪紺紙金字日蔵経巻第八≫(神護寺経)平安時代 12世紀
見かえしの美しさは、他にも展示されていた紺紙金字経の中でも随一であったと思う。
センチュリーミュージアムの古写経コレクションは素晴らしいの一言に尽きる。

この他「滑石経」という石に発願を行った遺品が8枚出展されていた。ここまでくっきりと文字が見えること自体が素晴らしい。平安時代の末法思想を反映した作品。紙では信じられず、より保存が安全そうな石に願いを彫った。

なお、次回展覧会は「古鏡-漢鏡と和鏡の変遷」で1/6(木)~4/2(土)まで。

センチュリーミュージアム午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 毎週日曜、年末年始、展覧会準備期間(不定期)
入館料 【一般】
500円(団体20名以上 400円)
【高校・大学生】
300円(団体20名以上 200円)
【中学生以下】
無料
東京都新宿区早稲田鶴巻町110-22
センチュリーミュージアム
TEL: 03-6228-0811 東京メトロ東西線 早稲田駅下車 1番出口 徒歩6分

「宮本三郎1940-1945」 宮本三郎記念美術館 はじめての美術館80

setagaya

宮本三郎記念美術館で11月28日(日)まで開催中の「宮本三郎1940-1945」に行って来ました。

宮本三郎記念美術館は、自由が丘駅から徒歩7分程度。
世田谷美術館の分館として、宮本三郎のアトリエがあった土地および作品の寄贈を受け、2004年4月に開館。
かねてより、気になっていた存在でなかなか足を運べずにいたが、漸く会期末ぎりぎりで行って来ました。

自由が丘というのは、実に良い雰囲気の街で、特に美術館のある奥沢は閑静な住宅街。
住宅街の中に、溶け込むように美術館はありました。
展示室は2階のみですが、まずまずの広さ。そして何より一番驚いたのは、それ程広さはないにも関わらず、作品や資料がびっしり展示されていたこと!

「宮本三郎1940-1945」展は、1940年から1945年という激動と混迷の時代を軸とし、これに相前後する滞欧期、そして戦後の荒廃した時期のそれぞれに描かれた作品を豊富な資料、宮本自身が撮影した写真類などと一緒に展観しています。

それにしても、これほど充実かつ丁寧な展示をされているとは!もっと早く伺えば良かったです。
展覧会を辿って行くと、当時の世相の変化と共に、宮本の心境まで察せられ切ない気持ちになりました。特に最終章に展示されている「死の家族」はピカソの青の時代の作品を思わせるような、「え、これが宮本三郎の作品?」とこれまで持っていたイメージを覆されるような大作があって、しかも、この作品展示するあてもなく、それでも描かずにはいられなかった宮本の画家としての気持ち、そして戦後を迎えた一日本人としての心境が強く反映された傑作でした。

1.ヨーロッパでの日々/1938年10月-1939年12月
ここでは、宮本のヨーロッパ留学時代に描かれた、作品、主に模写を中心に展示。やはり、彼の画力は相当なものであったことが作品から読み取れる。
オリジナルが良いから尚更なのだが、レンブラントの「聖家族」の模写1939年は美しい。そして、国立西洋美術館の「コロ―展」で来日したコロー「青い服の女」ルーブル美術館蔵まであった。
彼は器用だったのか、その後の作品を観て行くとヨーロッパ留学の成果や影響が後の作品に強く現れている。

2.戦時下での日々/1940年9月-1944年8月
ここからが、今回の展覧会の核である。1940年、陸軍の依頼を受け、宮本は中国に従軍画家として渡航する。
以後、マレー半島、タイなどを巡る。
ここで、印象深いのはかの「マレーの虎」と言われる山下将軍を描いた「山下、パー縛る両司令官会見図」であるが、本展では本画はなく下絵のみ。それでも、十分に、むしろ下絵があることで、彼がこの作品をどうやって描いて行ったかの過程を知ることができた。
1943年に描いた「飢渇」からは、この時宮本は何を思って、絵筆を取っていたのかその心情を思いやると非常に複雑な感情が沸き起こって来た。宮本自身、非常に苦しかったのではなかろうか。
従軍画家の戦争責任について取りざたされることがあるが、あの時代の日本人の正気を問うたり責めたりすることができるのかと私は思う。

20点以上の素描はすさまじく、軍用機、兵士、落下傘部隊メナド奇襲の下絵など、素描ゆえにいっそう生々しく状況が伝わって来る。これらに加えて、宮本が撮影した写真も如実に過去の史実を伝えていた。

また、興味深かったのは大日本航空美術協会・編集『航空美術』航空美術普及部、1942年発行の全40点。
これには驚いた。
いや、こんなものがあったとは。
しかも出品してる作家40名のメンバーが凄い。
伊藤深水などの日本画家まで含まれている上に、鳥海青児、藤田嗣治、向井潤吉、清水登之らが軍用機をモチーフにした作品を出展しているのだった。
彼ら40名のそれぞれの表現の違い、モチーフの選択と比較していると時間がどんどん過ぎて行った。
モチーフや描き方ひとつにしても、画家の戦争に対する気持ちが反映されているのではないかと推測する。

Ⅲ.疎開生活、そして戦禍のあとに/1944年8月
宮本は健康上の理由をきっかけに、故郷石川県小松市に疎開。
本展で初めて知ったが、小松市に宮本三郎美術館がある。今度金沢に行くので、行ってみようと思った。

戦後の作品は、やさしい穏やかな作品が多い。
「ピアノ」「編み物」「風景/四手網」。風景画は日本海を描いているのだが、彼が描く日本海はそれ程冷たくも暗鬱でもない。

そして、前述の「死の家族」である。ここに、彼は自身の戦争への思いをぶつけたかったのではないだろうか。
青色の背景に、亡くなった人物が中央に横たわる。
周囲を取り巻く家族の表情はもちろん暗く沈んでいる。

なお、宮本の描いた作品は当時絵ハガキとして流通していたようで、かなりの数の絵はがきも展示されていた。
また、宮本の挿絵や装丁を手がけた本も展示されていて、これも新鮮だった。次回の展覧会ではこの宮本の挿絵がテーマになっているので、こちらも楽しみ。
今度はもう少し早く出かけようと思っている。

美術館のミュージアムショップに月光荘の品物も扱っていました。落ち着ける素敵な美術館です。

*11月28日まで開催中。

平櫛田中コレクション2010 東京藝術大学 正木記念館 はじめての美術館79

東京藝術大学の藝大アートプラザの手前に古めかしい門と2階建の建物があるのをご存知でしょうか?

京美術学校の第五代校長である、正木直彦の長年にわたる功労を記念するために昭和10年(1935)7月に建設(金沢 庸治 設計)されました。近世和風様式の鉄筋コンクリート造2階建で、1階部分は平櫛田中をはじめとする彫刻作品を展示するスペースとして1年に1度、不定期に公開されています。
東京藝術大学公式サイト⇒ http://www.geidai.ac.jp/museum/concept/masaki_ja.htm
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2010/denchu10/denchu10_ja.htm
正木記念館の存在を知ったのは、まだ昨年のことで、その時には開館タイミングを逃し拝見できず、今年こそと漸く念願かなって行って来れました。
今年は10月26日~11月7日(日)の開館で、既に公開は終了していますが、素晴らしい作品が展示されていたので、感想を残しておこうと思います。
関心を持たれた方は、恐らく例年秋の公開のようなので来年訪れてはいかがでしょう。

それ程広くないスペースに44点の作品が置かれています。

入口で表面には、全部の作品の画象と作品タイトル、作家名、制作年、素材、像高が記され、裏面に作家のプロフィールが掲載されたリストをいただけます。
特に印象に残った作品は次の通りです。

・橋本平八 「幼少の孟子像」 1931年
・橋本平八 「良寛」 1934年
いずれも図録で確認したが、現在世田谷美術館で開催中の「橋本平八と北園克衛」展に出展されていない。
実は、正木記念館のことは、昨年9月に日本橋高島屋で開催された「滝上優展-佇む人間-」の彫刻家滝上氏から教えていただいた。滝上氏も橋本平八の彫刻がお好きとのことで、早逝した橋本作品はどこで見られるのでしょうかとお尋ねした所、正木記念館のお話を伺った。
2点とも像高30センチ弱なので小さめの木彫だが、特に「良寛」はその人柄までもが彫刻から滲み出ており、人格さえも彫刻で表現できるのかと改めて感嘆した次第。
1点でも多く橋本作品を拝見できるだけで、幸せな気持ちになれる。

・宮本理三郎 「海幸」4点、「茄子」、「蛙」2点、他5点
今回一番、驚いたのは宮本理三郎だった。彼のことはここで初めて知ったが、プロフールによれば、1904年生まれ、佐藤朝山の門下生となり、日本美術院に参加、1934年に院友に推挙されている。戦後は平櫛田中のもとで、生活のために仕事の手伝いをすることがあったという。田中コレクションの中で宮本作品は12点と最も数が多い。

何と言っても衝撃的だったのは「海幸」シリーズ4点である。昭和9年頃の制作された4点は、良く見ればすべて干物!とりわけ、メザシの彩色された木彫は、大きさから形状、色まで本物そっくりで、下手するとコンロであぶりかねないほど。
真剣に欲しいと思った「海幸」シリーズ。
しかし、なぜ干物を彫刻対象に選んだのか、日常生活そのもの。動物を対象にした作品が多いのも特徴。

・吉田白嶺 「岩雲雀」 木彫
白嶺は他にブロンズで「翡翠」もあったが、やはり木彫の方に味わいを感じた。彼は岡倉天心の日本彫刻会に参加し、精緻な小禽類の作品を多く残しているという。

・平櫛田中 「霊亀」「転生」「平安老母」「島守」「禾山笑」
全部で5点出展されていますが、いずれも田中らしい写実的な表現としっかりと裏打ちされた技術が垣間見れる木彫作品。やはり「禾山笑」は好み。すべて木彫です。

この他、石井鶴三の「浴女試作」、竹内久市「久米舞」、藤川勇造「兎」「ミスターボーズ」、米原雲海「鶴の子」など見ごたえがありました。

ぜひ、来年も再訪したい空間でした。

*展示は既に終了しています。

豊島美術館 はじめての美術館78

昨日アップした「瀬戸内芸術祭 最終日 豊島美術館」続編として画像アップします。
大変下手な写真で申し訳ございません。ご容赦くださいませ。

まずは、外観から。貝殻のようなシェル構造で柱は1本もありません。

外観1

チケットブース(外からは入口だけしか見えないので画像省略)を出て、美術館に向かう。最初のアプローチ。

アプローチ1

緩やかな坂を上ってカーブを曲がると、こんなベンチが見えてきます。アプローチのカーブとベンチのカーブそして色が同じなので、画象だとベンチが分かりづらいですね。

アプローチ2

ベンチからの景色。瀬戸内海を一望できる絶景ポイント。

アプローチ3

更にアプローチを進むと、今度は緩やかな下りになり、美術館の入口が見えて来ます。

アプローチ4

これが美術館の入口です。靴を脱いで、靴置きに。入口にドアはありません。ここから先は撮影不可。中には内藤礼「母型」があり、信じられないような光景が待っていました。

入口

美術館を出て、小道を下って行きます。これは美術館を振り返った所。名残惜しさ一杯の1枚。

出て来た所

こちらの小さなシェルがshopとcafeスペース。

shop入口

外からは見えませんが、こちらは外界と遮断できるクリアなガラス?製のエントランスの自動ドア。カッコイイ。

shop入口

中に入って、向かって左側がcafeスペース。ドーナツ型のベンチで休憩。天窓から自然光が入ります。
メニューはドリンク中心。豊島で収穫したおにぎりが販売されていました。

cafe1

窓のアップ。こちらは、ガラスの窓付ですが、美術館の方にはガラスなしで外界との遮断はされていません。

shopwindow

ミュージアムショップもドーナツ型に陳列。

shop2

チケットブースに戻って来て、たどった道を振り返った所。左の方が、最初に美術館へ向かうアプローチ。右が美術館を出て、ショップとカフェの前を通って、チケットブースまで戻って来た道です。こうして見ると、アプローチがループ状になっていることが分かります。上空から撮影できれば、アプローチがループ状になっていることがはっきりする筈です。

外観3

画象見ているだけで、また行きたくなってきました。豊島美術館は世界に誇る美しい建築と作品であることは間違いありません。

豊島美術館 公式サイト
http://www.benesse-artsite.jp/teshima-artmuseum/index.html

「岡倉天心と日本彫刻会」 小平市平櫛田中彫刻美術館 はじめての美術館77

tanaka

小平市平櫛田中彫刻美術館で開催中の『岡倉天心と日本彫刻会‐日本木彫の「伝統」と「革新」‐』に行って来ま
した。
美術館の公式サイトはこちら

平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は、1872年岡山県に田中家に生まれたが、10歳で平櫛家に養子に出される。本名は、平櫛倬太郎というが、生まれの田中家の苗字を通称として使用していたらしい(Wikipediaより)。日本近代を代表する彫刻家で、何と昭和54年に107歳という長寿に恵まれ、小平市には亡くなるまでの約10年間を過ごした。

小平市平櫛田中美術館は、この平櫛邸を広く後悔するため昭和59年に「小平市平櫛田中館」として開館。平成6年に点時間を新築し、旧邸と展示間の2館を美術館としている。平成17年に遺族から作品寄贈を受けたことを契機に、平成18年4月に現在の「小平市平櫛田中彫刻美術館」と改称された。~美術館リーフレットより~

木彫に関心を持ち始めた数年前から行ってみたいと思っていたが、漸く今回初訪問することができた。
JR中央線の国分寺駅で西部多摩湖線でひと駅、一橋学園駅南口を出て徒歩10分程度。一橋大学小平国際キャンパスに程近い。行ってみたら、意外と近く西部多摩湖線も10分に1本程度で運行されているので、中央線からの乗り継ぎもスムースだった。

2年に1回、隔年の秋に特別展が開催され、本年度は「岡倉天心と日本彫刻界」展を開催中。本展は、これまで取り上げる機会の少なかった日本彫刻会-日本で最初の本格的な彫刻団体-の作品を紹介し、岡倉天心の彫刻振興策を検証するものです。

日本彫刻会の名は、木彫が好きだの何だのと言っておきながら、今回初めてその名を知った。明治以後の近代彫刻家として著名な高村光雲(高村光太郎の父)の高弟である米原雲海、山崎朝雲、平櫛田中、加藤景雲、森鳳聲、滝澤天友ら6名により1907年、最初の文展が開催された記念すべき年に結成されている。

高村光雲には非常に多くの弟子がいたようで、彼らの名前には光雲の「雲」の一字が入っている。平櫛田中は、青年期に人形師のもとで木彫の修業をした後、1897年(明治30年)に上京し高村光雲の門下生になっているのだが、彼の名前には「雲」の一字が入っていない。1907年(明治40年)から1913年(大正2年)まで岡倉天心の指導を仰ぐ。「雲」の字が入っていないのは、私の勝手な想像だが、高村光雲の影響度が小さいことが理由なのかもしれない。

展示作品は、ホール、第1展示室、第2展示室、第3展示室、第4展示室、地下展示室、記念館など全部で約80点と想像以上に見ごたえがある。

平櫛田中の木彫は、東博を中心に他館でも見かけるが、彼以外の作家で名前を知っていた作家が一人もいないのは何とも情けない。しかし、他館で彼らの作品が紹介されることはあるのだろうか?私の記憶が頼りないだけなのか。
出品作家は以下の通り。
米原雲海、山崎朝雲、平櫛田中、加藤景雲、森鳳聲、滝澤天友、吉田白嶺、吉田芳明、平坂芳文、林美雲、山本瑞雲、下村清時、内藤伸、畑正吉、川上邦世、石本曉海、関野聖雲、中谷翫古、松尾朝春、太田南海、三木宗策、長谷川栄作、牧俊高、沼田一雅、西村雅之

近代彫刻家をすべて網羅している訳ではない、例えば、先日三重県立美術館で観た橋本平八も、同じく木彫制作が主体の近代彫刻家の一人だが、彼は「日本彫刻会」に参加していない。橋本の場合、平櫛より25歳年若く、やや彫刻会の活動に加わるには若すぎたか、もしくは橋本は佐藤朝山に師事しており、彫刻会に参加するきっかけや動機もなかった可能性が強い。
しかし、これだけ大勢の作家が何らかの形で「日本彫刻会」に絡み、一度は会員としてその名を連ねたことは、彫刻界の一潮流であったことは間違いないだろう。

印象に残った作家は次の通り。
・米原雲海 ≪仙丹≫1910年 東京国立近代美術館
雲海は、高村光雲の代表作である≪老猿≫1893年・東京国立博物館蔵は、雲海の代作と噂されるほどの腕前の持ち主で、光雲の信任も厚く、息子の光太郎の木彫指導を託される程だったという。
雲海の作は、この他個人蔵の≪竹取翁≫1912年や≪月≫1910年・島根県立美術館など、表情や動きの表現が実に自然で、滑らかな木肌の美しい作品が多い。
光雲の作品より線は細いように思えたが、小品が多かったせいもあるのかも。

・平坂芳文 ≪老農夫と孫童≫1919年 富山県庁、≪伝・中大兄の皇子≫1910年 個人
牙彫から木彫に転じた。
平坂の作品は上記2点しか展示されていないが、日本彫刻会の活動全体を捉えた研究がおこなわれることはなく、また消息の分からない館員が多く、作品の多くが散逸してしまった影響が大きい。今回の2点のうち個人蔵の一点は、本展開催を機とした新出品。
≪伝・中大兄の皇子≫は2階に展示されているが、実に凛々しくもあり格調高い。着彩なしの木彫で、木自体の美しさも作品からにじみ出ている。

・川上邦世 ≪女性立像≫1917年 個人、≪雲≫1915年 熱海市立澤田政廣記念美術館
彫刻会の作家中、もっとも個性的な作風を貫いていたのが、川上邦世だ。彫刻会にも短期間しか関わっていなかった。彫刻会を脱退後、フュウザン会(斎藤与里、岸田劉生、清宮彬、高村光太郎らで結成)に参加し、より新しい作風、表現主義というのか、≪女性立像≫はプリミティブな印象を受け、浮かんだのは「埴輪」だった。
他の作家は、光雲の薫陶を受けた作家が多いせいか、どこか皆似たような作風が多いので、非常に目立っていた。

他に平坂と同じく牙彫から木彫に移行した吉田芳明、中央の彫刻家同士の諍いに疲れ野に下ったというエピソードと彼もまた川上同様、青木繁の≪海の幸≫を彷彿とさせる≪五人の比丘≫制作年不詳 個人が忘れ難い。

日本画家の下村観山と兄である下村清時、両者の合作≪三番叟と稚松図≫大正中期も興味深い。

記念館(旧平櫛田中邸)は国立能楽堂の設計者・大江宏による書院造の名建築。建築を観るのもまた楽しい。
こちらには、田中の晩年の傑作≪鏡獅子≫1965年や個人的に好きな≪気楽坊≫1961年などが展示されているので、お見逃しなく。

玄関脇にある巨木は、田中が100歳で購入した20年後の制作のための材料だそう。
余人に真似のできない制作・生存エネルギーだと感心した。

*10月17日(日)まで開催中。会期中無休。10時~16時。ぐるっとパスが使用できます。
なお、本展は岡山県の井原市立田中美術館へ巡回します。

「開館10周年企画展 印刷博物館10年のあゆみ」 印刷博物館 はじめての美術館76

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印刷博物館で9月23日まで開催中の「開館10周年企画展 印刷博物館10年のあゆみ 文字と図像による印刷美」に行って来ました。

印刷博物館は、東京文京区のトッパン小石川ビルにあり、凸版印刷株式会社が母体となって運営している博物館で、同社創立100周年を記念し、2000年す。以前から、面白そうな企画展を開催されているので、行きたいと思っていましたがなかなかその機会がありませんでしたが、漸く行って来ることができました。
地下1階に広がる広大なスペース(本当に広くて驚いた!)は常設展示コーナー、企画展示コーナー、印刷工房「印刷の家」、そして東京国立博物館でお馴染のトッパンシアターが鑑賞できるVRシアタールームまで併設されています。注意:VRシアターは土日と、土日に続く祝日のみ上映(9月23日の上映は恐らくないと思われます。

印刷博物館の公式サイトに掲載されている、活動方針は以下の3つ。
1.広く世界の印刷を視野に入れながらも、日本/アジアの印刷に重点を置いた活動を行っています。

2.「かんじる」「みつける」「わかる」「つくる」といった体験を通して、印刷との関わりを自然に発見できる博物館を目指しています。

3. いままでの技術中心の印刷研究に加え、文化的側面からのアプローチを積極的におこない、「印刷文化学」の確立を目指しています。

噂には聞いていましたが、常設展示だけでもかなりの物量と丁寧な解説機器で、いつの間にかどんどん時間は過ぎて行く。あっという間に1時間は遊んでいました。
印刷のイロハと歴史が、様々な資料によって理解と体験できます。

私がはまりにはまったのは、「活字パズル」。
多分このパズルで20分くらいは遊ばれていたと思う。モニター画面に現れる言葉の通りに、四角の積木のような活字模型を組んで行く。ただ、それだけのシンプルなパズルなのに、全然できない!
制限時間内にクリアできた数によって、初心者、中級、上級とランク分けされるのだが、多分5回はやって結局初球をクリアできない。

ポイントは、活字模型なので反転していること!

これが、やってみると上下反対になっていたり、画面モニターと全く同じ順に組んでいたり。
係の方があまりに長時間パズルと格闘する私を見かねて、「機械の調子が時々悪くなることがあります・・・。」と声をかけて下さったが、調子が悪いのは私の頭の方だと思った、いやこれが実力か。

博物館の学芸員さんのブログに模型画像があります。ご参考まで⇒http://www.printing-museum.org/blog/?p=1675

活版印刷体験で、コースターを作れるようだったが、こちらは開始時間と上手く合わなかったので諦め。

常設展示を満喫した後、企画展示へ。
10年間に開催された企画展(年に1~2回)をダイジェスト版にして、まとめて紹介している。
展示作品数はダイジェストだから少ないのが、残念だったが、展覧会の概要は十分つかめた。

すごく観たかったのは、以下の企画展。

2002年「ヴァチカン教皇庁図書館展」書物の誕生:写本から印刷へ

常設にも展示されていた聖書の装飾美とデューラー黙示録の版画、1498年の活版印刷の特大サイズ。刷りの良さと言ったらもう、ため息モノ。活字体の美しさにも心奪われる。
日本の仏経典も平家納経を代表とする、装飾経の美も素晴らしいが、西洋においても紙モノにおける宗教美術展開はすさまじいものがある。いずれも根本は宗教美術であることに変わりはないが、発露の表現方法の違いが興味深い。

2001年 「シネマ・オデッセイ-映画ポスターの20世紀

お願いだからもう1回開催して欲しい。これは観たかった。数枚のポスターしか展示されていなかったのは残念。
図録も完売(涙)。

2002年 「1960年代グラフィズム」

これも、すさまじい物量の展示だったらしい。前期後期とで総入れ替えしたとか。1960年代のグラフィックデザインに焦点を当てている。横尾忠則さんや宇野亜喜良さんのポスターなど、図録見ているだけで、涎が。。。

2003年 「ブックデザインの源流を探して チェコにみる装丁デザイン」

チェコのヨゼフ・チャペックやらチェコ・アヴァンギャルドの装丁を中心とした展覧会。どうもチェコには弱くて、やっぱり好きなんだなチェコデザイン。現物が観たかった。

2007年 「美人のつくりかた-石版から始まる広告ポスター」

先日、三菱一号館美術館で「三菱が夢見た美術」展で観たばかりのビール会社のポスターや日本郵船のポスターがぞろぞろ展示されていらしい。今回はそのうち4枚くらい。でも、赤玉ポートワインのポスターが観られて良かった。このポスター何度観ても印象に残る。当時セミヌードのポスターは型破りであっという間に街中から盗まれてなくなったというのも頷ける。肝心のワインの売れ行きは如何だったのだろう。もちろん、北野恒富のポスターも図録に掲載されている。

2008年 「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」

2002年の「1960年代グラフィズム」の続編だと思われる。50年代に焦点を当ててグラフィックデザインを回顧する。この調子で1970年代と1980年代あたりも振り返っていただきたい。開催が待ち遠しい。

図録が欲しいなと思って、1階のミュージアムショップへ向かった所、9月末まで図録が千円均一のセール中。10周年記念だから千円で設定したとサイトに記載されていた。
ここに記載した企画展のうち、既に完売の映画ポスター展以外の図録は買ってしまった。
実物を見ていただければすぐにお分かりいただけると思うが、定価の半値以下で質・量から言っても最高。
この分野に関心がおありの方なら、ぜひともご購入をオススメする。通信販売も可能で、5冊買っても送料は350円。「本当に有難うございます。」とこちらの方が御礼を申し上げたくなった。

図録についての詳細はコチラ(ミュージアムショップのサイトへ)。

図録以外にも、こだわりの封筒やお値打ちなのに丈夫なトートバック、アイディアと他では決して販売されていないオリジナルグッズが沢山ある。普段、ミュージアムグッズにはあまり関心はないが、ここだけは別。食指が動くものがいくつもあって見ているだけでも楽しい。

印刷物博物館の企画展は9月23日まで。
その後、企画展示室は9月24日(金)~2010年10月1日(金)休室になります。ご注意ください。

また、2階のカフェとレストランは日曜に完全休業するため、こちらもご注意ください。

「タムラサトル 小山マシーン」 小山市立車屋美術館

昨日の旅の続きです。
最初に向かったのは、栃木県の小山市立車屋美術館で、目的は「タムラサトル 小山マシーン」展(9/5まで)。
チラシがカッコよくて、黒地にオレンジのサメが何とも印象的だった。

tamura


アクセスは、東北本線の間々田駅西口から徒歩5分。駅に到着したのは9時半前でしたが、たった5分で到着する筈が、道に迷って炎天下10分以上さ迷った。小山市立博物館の道案内はあちこちで見かけたのに、車屋美術館の案内板が見つからなかった。帰路に駅を出てすぐに道案内があったのですが、改札から出て来る人にとっては背後に位置する場所なので、気付かなかった。もう少し、案内板を増やして欲しいなと思う。

さて、行ってみて初めて知ったのだが、こちらの美術館は2001年4月に開館したばかり。
美術館のある敷地は、江戸時代より思川の乙女河岸で肥料問屋「車屋」を営んでいた豪商で、小川家のもの。現存する五棟の建築物は、乙女河岸の繁栄を伝える貴重な遺産であると同時に近代和風住宅としての価値も高く、平成19年8月国登録有形文化財に登録されている。

美術館は、小川家住宅が登録有形文化財に指定されたことをきっかけに、旧米蔵を改築したもの。細く長い平屋造で、確かに言われてみれば外観は米蔵っぽいかもしれない。小川家住宅と美術館の入館料は別々なのだが、小川家住宅鑑賞料はわずか100円。これは、絶対見た方が良いです。詳細は後述。

タムラサトルは、2年前の川崎市岡本太郎美術館で拝見した「 第12回 岡本太郎現代芸術賞 展 」特別賞受賞作品:“ 50の白熱灯のための接点 ”が忘れられず。他の作品を観てみたいなとかねてより思っていたので、今回行ってみることにした。
“ 50の白熱灯のための接点” 画像はこちら

受付で、手作りの作品リストや作家プロフィールを頂戴する。こういう丁寧な仕事をして下さることが、美術ファンには嬉しかった。
出迎えてくれたのは、新作≪小山マシーン≫2010年。最初、何だかよく分からなかったが、ちょっと離れてみたらしっかと分かった。チェーンとモータなどを使用して「小山」の文字を作っているのだ。文字の部分がチェーンで作られていて、それがモーターでゆっくりと回転している。
これが、一番今回好きだった。

その後、旧作が約20点、新作3点が展示されている。

中で忘れられないのは、≪catch and release≫2010年。これは釣り竿が獲物を釣り上げ、リリースするまでをゆっくりとモータを使って再現している。竿のしなり具合に作家の関心があって、制作された。
ゆるゆると竿が獲物ならぬ錘を持ちあげる様がいい。よくできているなぁと感心。
延々と繰り返される動作をなぜか見守ってしまう。

そして、最奥の展示室では本展チラシ掲載の≪モータヘッドシャーク≫2010年がお待ちかね。
まさか、本当にサメがいるとは思ってもみなかった。しかも、1720×4800×2025mmと部屋一杯の大きさは、近くで観るにつけ、なぜ、こんなでかいサメを作ってしまったのかと素朴な疑問が浮かんだり・・・。
???はまだ続く。巨大なサメは不思議なことに微振動を続けているのだった。
私は、以前スキューバをやっていて、幸いにもシュモクサメに出くわしたことはなかったように記憶しているが、別種のサメなら、何度も海中でお目にかかっている。
そう言えば、アメリカ人ダイバーはサメ大好きで、彼らのためにサメ狙いのダイビングもしたような気がする(余談)。
サメが揺れてる。。。不思議な気持ちを抱いたまま、美術館を出て、小山家住宅に向かった。

さすが、文化財に指定されただけのことはある。ここは古建築がお好きな方にはオススメしたい。私はこの明治期の建物を本業の観点から眺めてしまった。
1階和室のガラスも当時のままの古ガラス。雨戸も付いていないので、台風などの天災によくぞ持ち堪えたものだと思う。襖は沖縄の芭蕉布が使用されていたり、長い縁側の梁には、立派な一本柱が通っている。壁は珪藻土。
建築の専門家ではないため、案内して下さった監視員の方のご説明を傾聴。

和室以外に7畳の茶室も設えられていて、行った時は風炉が供えられていたし、生花もあちこちにあり、このお家を大切にしていることが実感された。床の間に活けられていたガマの穂がはるか昔を思い出させた。懐かしい気持ちでいっぱいになる。

トイレのつやつやした板は桑だったか。和室にぶら下がっているガラス照明も明治のまま。
そして、この住宅の特筆すべき点は2階にあった。
純和風の京都宮大工が手がけたという1階に対して、2階に突如、濃厚な洋風装飾を持つ洋室が現れる。ここだけ、絨毯。天井にも内壁にも装飾的彫刻が施されている。これも当時の日本人の仕事なんだそうで、明治という時代、急激な西洋化の一端をこんな所で実感できるとは!
室内にある、テーブルや椅子3脚、室内を飾る数点の洋画は、海外から明治時代に輸入したそのままが展示されている。
テーブルに置かれている煙草入れも洒落ているのでお見逃しなく。

なお、残念ながらこの洋室に入ることはできず、廊下から障子がわりのガラス窓を通して中を覗くことになっている。

住宅を出て、お庭をまわる。入口から見ていた以上に中に入ると庭が広いことが分かった。1周すると、小さな神社が2つあるし、細長い蹲やら、ハート型が彫られた石灯籠など、面白いものがいくつか見つかる。
入口近くにある巨大な土蔵には、番頭さんのための小部屋も設置されている。こちらも、外から中を覗くことは可能。

タムラサトル展を見に行ったはずが、小川家住宅にすっかり魅了されてしまったのでした。

小山家住宅詳細については同館ホームページをご覧ください。
http://www.city.oyama.tochigi.jp/contents/7d9318133038000/7d931813303800012.html
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