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藤井達吉の全貌-野に咲く工芸 宙そらを見る絵画- 岡崎市美術博物館

待ちに待った「藤井達吉の全貌」展に行って来ました。
当初、宇都宮美術館の単独開催かと思っていたら、岡崎市美術博物館と松濤美術館に巡回すると知り栃木まで行かずに巡回を待つことにした。
藤井達吉を知ったのは忘れもしない碧南市藤井達吉現代美術館の開館記念展「藤井達吉のいた大正 大正の息吹を体現したフュウザン会と前衛の芸術家たち」であった。美術館名に達吉の名前が入っていることから察せられる通り、同館および碧南市には達吉の作品が多数所蔵されている。この展覧会の感想は過去のエントリーの通り、こんな作家が愛知県にいたのかと驚愕した。続く2009年「画家としての藤井達吉ーその創作の原点を求めて」では画家としての藤井達吉に焦点が当てられ、2008年の展覧会以上に驚きとその創作活動に圧倒される。しかし感動と同時に功績程、国内・海外での知名度・評価の低さが残念でならず、工芸、陶芸、絵画と多分野にわたる制作活動が裏目に出て工芸作家の位置付けで評価されてきたことがその要因だろう。

本展では第1章:工芸では76点(展示替え4点)、第2章:絵画:53点(展示替え2点)、第3章:図案/資料:18点(図案は図案集を1点としているので実際の展示作品数はもっと多い)とやはり工芸メインでの紹介となっている。今回は《扇面流し》などの大作屏風数点の出展がなく、これこそ達吉の本領が発揮された瞠目すべき作品で藤井達吉の全貌は本展出展作品では語れないと声を大にして申し添えておきたい。

工芸で目をひいたのは、達吉が着物や帯にじかに筆をとり絵付けをした作品。今回は後期展示期間だったので《白地松葉散し着物》《白地梅絵着物》は工芸というより画家としての絵の才も感じられる見事な出来映え。
要所要所に達吉の言葉が引用されているが「工芸は生活で使ってなんぼ」が達吉の考えで、晩年に至るまでは草花や鳥、鹿と古典作品の研究と本歌取りで達吉の斬新な感性とアイディアが発揮された作品が多い。徹底的な写生、若冲や応挙、熊谷守一らも同様だが達吉にも共通する姿勢、いや何よりそれは基本・根本なのだ。

絵画では初期の貴重な油彩の他に絹本(これも比較的数が少ない)、紙本の作品が多い。紙本は小原和紙の制作に携わり始めた頃から手透き和紙に描いているのではないか。手で触っていないのでわからないが、よくよく見ると紙の繊維が立っているものが後半多く見られた。また表装にも注目してみると、軸棒が陶製であったり、様々で面白い、個人蔵の《日光》(朝)(昼)(夜)は傑作であったが、この3点は軸棒が竹であったり木であったり3点すべて異なる素材が使用されていた。愛知県美蔵の掛軸も表装も凝っている。裂は絞り風のものが使われ軸棒が茶系の陶製であった。達吉は掛軸の表装に指示を出していたのか関与の有無が気になる。所蔵者や表具屋任せであれば相当愛着を持って作品に接していたのだと思われる。

図案集『路傍』や『創作染織図案集』の50枚セットの図案は全部手に取ってゆっくり眺めたいほど愛らしく、モダンでデザイナーとしての達吉のセンスがいかんなく発揮され結実している。

達吉は東京在住時に妹2人と共同制作を行っていたことを本展で初めて知った。このため、達吉単独制作なのか妹達との共同制作なのか曖昧な作品もあるという。

達吉は1881年碧南市に生まれ、1964年岡崎に骨を埋めたいと岡崎市戸崎町で亡くなった、享年83歳であった。

ひとりでも多くの方々に藤井達吉の作品を、工芸だけでなく絵画にも注目していただければと願っています。

*本展図録は2500円、岡崎会場では上記に紹介した過去に碧南市藤井達吉現代美術館開催の2つの展覧会図録も販売されていました。

立ちのぼる生命 宮崎進 展 神奈川県立近代美術館葉山館

宮崎進さんの作品を見たい一心で、神奈川近美葉山館に行って来ました。

何年か前に日曜美術館(2010年8月放送)での特集をたまたま拝見して気になっていた作家さんです。美術館にこれだけ足を運んでいるのに宮崎進さんの作品を見る機会はなかなかありませんでした。あってもせいぜい1点。いつかまとめて拝見したいと思っていたところ葉山館での単独開催です。

いつもなら感想がすっと出てくるところなのですが、2巡しても言葉にできない。特に精神論で語ってはいけない、形式的に作品を客観視したいのですが、作品すべてが宮崎進さんの生き様そのものが表現、表出されていて作家の人生経験なくしてこれらの作品は生まれなかっただろうことは間違いないでしょう。

美術館のエントランスホールには本展タイトルになっている大型立体作品《立ちのぼる生命(いのち)》が置かれのっけからただならぬ雰囲気がありました。

展覧会構成は次の通りです。展示順序がややわかりにくく制作年代がいつもと逆まわりでした。
1.原風景
2.忘れえぬ人々
3.花咲く大地
4.立ちのぼる生命
5.創作の現場

1950年、1960年の作品は少なかったのですが、初期作品はシュルレアリスムを思わせるような油彩で最後に分かるのですが、取材写真をもとに制作されているようです。
麻布を板に貼付けた作品は1950年代に始まっていたとのことですが、作品が大きくなりかつ制作の中心になっていくのは1980年代以後。展示作品の中では1988年《絶望》や同じく1988年《ラーゲリの壁》が早い時期の作品でした。
1990年以後、麻布を使用した作品は大きさにも圧倒されますが、何とも言えない重苦しさが漂っています。最近亡くなられた山崎豊子氏著『不毛地帯』で読んだ凄惨なシベリア抑留生活を思い出しました。麻袋は重い土嚢を思わせ、凍てついた大地で生きるか死ぬか希望のない日々を生き抜いた作家の拭いされない過去を象徴させます。作家は作品制作によって自己の経験を昇華させんとしているのかもしれません。

板の下地には着彩されていますが、麻布にも着彩されているため、僅かにのぞく下地の色や麻布の上や板上に走る線描は立体と絵画の境界を試すような作家の意図を感じました。
決して抽象一辺倒ではなく、よく見ると作品全体が大地そのものであったり、人の顔や人体だったりとモチーフが見え隠れしています。特に印象に残っているのはチケットやチラシに使用された《花咲く大地》・《黄色の大地》《荒地の花》など春を迎えた頃のシベリア風景の作品群でした。そこには、それまで見て来た重厚感が薄れ、唯一希望の光が差し込んでいた短い春の息吹が感じられたのです。

4章の立ちのぼる生命での展示作品《すべてが沁みる大地》には材料として蜜蝋が使われています。蜜蝋の使用意図が生命を意図してなのか質感だったのかは分かりませんが、《すべてが沁みる大地》はサイズは小さめですが、もし1点好きな作品をいただけるなら、私はこれを選びます。

要所要所に配置された立体作品も非常に重要で、平面のための立体なのか、特に頭部や人体の立体作品に感銘を受けたのですが、その理由はうまく言葉になりません。平面では見えにくかったものがより可視化されていたと言えるでしょうか。

最終章の展示室にあったおびただしいデッサン、ドローイングの数々は、宮崎進の制作過程を知る上で貴重な資料ばかりでほぼすべて作家蔵です。
一見、無作為に貼付けているように見える作品は綿密なデッサンや構図、マケットによる試行錯誤の賜物であることが明らかになっています。

展示作品の多くが作家蔵、個人蔵となっています。
貴重な宮崎進の作品群を見ることができるまたとない機会です。本展は巡回がありません。

6月29日まで開催中です。なお、5月18日は無料観覧日となっています。

法隆寺-祈りとかたち  東京藝術大学美術館

東京藝術大学美術館で6月22日まで開催中の「東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年 法隆寺-祈りとかたち」展に行って来ました。

行ってから気づいたのですが、現在福岡市立美術館でも法隆寺展を開催しており、福岡と東京のは別の展覧会。岡崎市美術博物館に巡回してくるのは福岡市美で開催中の方で、東京藝大の方は仙台・新潟を巡回し東京が最終巡回地となります。

藝大開催だからなのか、展示は岡倉天心の法隆寺調査を軸に構成されていてあれ?と思ったのですが、どうやら地下の展示室は「第2章法隆寺と東京美術学校」と「第3章法隆寺と近代美術」で第1章は3階の展示室。係の方は地下から見るように誘導されていましたが、違和感があったのは構成上逆から見たせいだったようです。これからご覧になる方は3階の第1章から見た方がテンションがあがるように思います。地下階の第2章は岡倉天心の法隆寺調査やその後の影響と近代美術が紹介されていました。正直あまり第3章はひかれるものがなかったです。
地下階で一番圧倒されたのは秋田の孤高の画家:鈴木空如による「法隆寺金堂壁画模写」です。大仙市蔵のこの一連の壁画模写の出来映えは他の画家の壁画模写と比較し出来映えが素晴らしいとのこと(素人目には分かりませんが)。在りし日の金堂の姿がしのばれます。

3階の第1章「美と信仰 ─ 法隆寺の仏教美術」は実際に法隆寺宝物館に何度か行っていて、ありがたみは薄れるのですが、5つの舞楽面<1 胡徳楽、8 抜頭、9 還城楽、11 二ノ舞(腫面)、14 陵王>が印象深かったです。制作時期は平安〜鎌倉と幅がありますが、どれも非常に保存状態が良い。後補や修理がなされているのかどうかは分かりませんが、制作された当初そのままの状態であるとすれば、色彩もよく残っておりほぼ欠損もなく感心させられました。

重文指定の作品は展示期間が限定されているものもありますのでご注意ください。
また、当初予定されていた仏像が変更となっています。詳細は公式サイトでご確認ください。

小林徳三郎 研究図録のこと

ふくやま美術館で2013年12月21日〜2014年4月6日(前後期で展示替えあり)まで開催されていた所蔵品特集展示「発見!小林徳三郎」の研究図録が刊行された。図録刊行に関しては同展の案内にも掲載されていて発刊を待ち望んでいたが、残念なことに、一般販売はなく各県の公立美術館等に配布されたとのこと。
私も都内に出た折に、ある美術館の図書室で閲覧することができたため簡単に感想をとどめておきたい。私にとって、小林徳三郎はまさしく「発見!」そのものだったから。

研究図録<127頁B5判型>の構成は次のとおり(目次より抜粋)。
ごあいさつ
総論・小林徳三郎   平泉 千枝(ふくやま美術館学芸員)
Ⅰ  展覧会出展作品 ーフュウザン会・春陽会
Ⅱ  旧・小林家コレクションーふくやま美術館・広島県立美術館所蔵ー
Ⅲ  資料編ー日記・書簡・年譜ー
Ⅳ  画家のことば
主要参考文献
小林徳三郎作品を所蔵する美術館
ふくやま美術館所蔵作品目録


特集展示を拝見してからかなりの時間が経過してしまったため、あの日の感動をよみがえらせるのは難しいが、図録に掲載されている徳三郎の絵を見ていると、色づかいやかたちにマティスに近しいものを改めて感じた。展示では分からなかったが、徳三郎は文才もなかなかのもので、「画家のことば」では『中央美術』『アトリエ』など雑誌類に寄稿した文書を目にすることができる。いくつか気になる文章があり中でも「頌栄女学校の美術教育」の中で徳三郎が美術教師として女学生に与えた課題が目をひいた。一部抜粋すると
「私は一年二年には写生の時間を多くして、級が進むに従って図案を多くやらせます。(中略)此頃試みているのは最初は色紙で極簡単な形(三角とか丸とか)を切りぬいたものを沢山用意さして、それを白紙の上で種々雑多に並べさしている中に子供の感覚によって自然と単純な調和ある模様が生まれて来る、こんな方法をやらしています。そして段々と紙片の形を複雑にして行けば、その配列の結果も複雑になります。(以下略)」

徳三郎が手がけた図案で現存するものはごく数点だが、写生とは別に図案の制作課題で切り紙を使用している点もマティスを彷彿とさせる。
油彩に集中するために、芸術座の舞台背景やポスターなど舞台美術を親友:萬鉄五郎とともに手がけた期間は短いが、続けていればもっと興味深い舞台美術が写真として残されていたかもしれない。また、徳三郎の文章により、萬鉄五郎は徳三郎の誘いで芸術座の舞台美術に携わったことを知った。

両者の交流に関する文章を読んで行くと、フュウザン会で一世を風靡した後期印象派の画風を萬を通じて徳三郎は理解したというから、萬の影響いかばかりか、また、萬の傑出した画才と新しいものを解釈する知力をあらためて認識する。

が、徳三郎もまたもっと評価されても良い画家であると思う。
写真家の野島康三は若き芸術家のパトロンでもあったが、彼が徳三郎の才をいち早く着目し1922年自邸で「小林徳三郎個人展覧会」を開催。フュウザン会の後、春陽会という新たな作品発表の場を得る前のことで、徳三郎にとって初の個展だった。また、小説家の芥川竜之介も彼の絵を印象に残った作品として挙げている。奇抜で目立った画風ではないが、どこか人の心をとらえて離さない、これが小林徳三郎の作品の魅力だと思う。

偶然ではあるが、小林徳三郎の中学時代の同窓に福原信三、彼もまた写真を撮り企業家(資生堂)でもあり芸術家パトロンであった。中学卒業後、彼らは長く音信不通であったが、1924年3月春陽会の集まりで偶然再開。そして、ゴッホの『鰊の薫製(干魚)』の油彩が震災を逃れ福原の手元に残っていることを知る。徳三郎の油彩にも現存しないが『鰯』や『鯵』(神奈川県立近代美術館蔵)、『鯛』(ふくやま美術館蔵)がすり鉢に入った静物画がある。徳三郎の文章によれば(以下図録より引用)
「螺鈿で魚の形を塗りこんだ古い蒔絵やそれから北斎の魚の絵などを見て非常に面白くなって、初めて描いたのが鰯を三匹擂鉢に入れて描いたやつです。」 
福原が所有していた『干魚』が根底にあったことは本人が意識するしないに関わらず、その影響は少なからずあったのではないかと平泉氏が総論で指摘されているのは興味深い。


1912年のフュウザン会で発表された徳三郎の一連の木版画(京都国立近代美術館蔵)は玉乗りをしている曲芸師らを描いている。制作年代不明だが、木版画以外にも曲芸師を描いたグワッシュ着彩のものがあり、これは1912年頃浅草で興行した玉乗り一座を描いたものではないか。同じ頃、萬はじめ複数の画家がこの玉乗り一座を描いた作品を残している。案外、仲間の誰かと一緒に出かけてデッサンしたのかもしれない。

徳三郎の研究はまだ始まったばかり。徳三郎の没後もご遺族の皆様が大切に彼の作品を保管し、ふくやま美術館へ寄贈し寄付もされたとのこと。一途な思いがわずかずつでも結実することを願いたい。

*研究図録配布先等はふくやま美術館へご照会ください。

「桃山・江戸の華やぎ 古唐津・古武雄」 愛知県陶磁美術館

愛知県陶磁美術館で6月15日まで開催中の「桃山・江戸の華やぎ 古唐津・古武雄」に行って来ました。

図録を読んで知ったのですが、本展は昨年3月、九博でトピック展として開催された「江戸のモダニズム 古武雄 まぼろしの九州のやきもの」をベースに愛知県陶磁美術館独自に第1部に古唐津を追加し再構成されています。
そのため、古唐津は古武雄をメインで紹介するための前座的な役割が大きく、古唐津ファンにはちょっと物足りないかもしれません。
とはいえ、出光美術館蔵の重文「鉄絵柿文三耳壺(絵唐津)」や近年重文指定を受けたばかりの文化庁蔵「鉄絵芦文大皿(絵唐津)」をはじめ猪口などの酒器(酒器がのっていたお盆も素敵でした)や片口など賞玩しがいのある逸品が出展されていました。中で、面白いと思ったのはドリッピングよろしく釉薬を垂らした景色が粋な唐津で、桃山時代の陶工のチャレンジ精神が如何なく発揮され、後に続く古武雄との関連も感じられます。古唐津は絵唐津、斑唐津、高麗唐津などいくつか種類があり、パネル解説されているため初心者でもとっつきやすいのではないでしょうか。

古武雄はこだけおと読み、江戸時代前期(17世紀前半)から19世紀にかけて佐賀県西部で誕生した陶器で、大ぶりな皿が多く、大胆な釉薬のかけ流しや松や兎など多彩な文様がみどころ。古武雄は、雑器として民藝で紹介されてきたため美術品としての評価は近年になるまで低く、ここ最近再評価の気運が高まっているそうです。出川直樹著『やきもの鑑賞入門』(とんぼの本)新潮社刊で、民藝の功罪について述べられていましたが、こんなところにも弊害があるのだと思い起こした次第。

古唐津と同時に展示されたことで、特に文様の違いに目を奪われました。古唐津は比較的簡素で単純な線描、草や花文が多いのですが、古武雄はとにかくダイナミック。また文様も魚文やら貝がら装飾が施されたものなど装飾性も高いのが特徴で、釉薬も古唐津以上に垂れ流しや刷毛目を意図的に施したり、スタンプ状のもので文様を施し埋め込む象嵌技法も駆使され、より多様な表情を作り出しています。

陶器は立体であるため、絵付け部分を一方向からすべて眺めることはできません。そのため、会場では陶器の絵付けされた側面部分を開いて平面図にしたパネルが何点か掲示されていたため、より絵画的側面で古武雄を鑑賞することが可能になっていました。そうして見ると、特に松図が面白く、横に長い枝振りの松が文様として好まれたのは枝振りが横に広がっている植物的な特徴のためなのかなど疑問もいくつかわいてきました。釉薬のたれながした表情が面白い、好ましいと思った江戸時代の陶工と20世紀アメリカの画家も同じであったのでしょうか。陶器は絵具とキャンバスのようなしみ込むステイニングはさすがに難しいかなと思いきや、染み込むまではいかずとも奥行きを感じさせる濃淡ある色彩を見せるものもあり。

70点もの古武雄の名品が紹介されるのは東海地区初とのこと。また、古武雄が九州だけでなくアジア諸国からの出土が報告されており、海外へ輸出されていた可能性があるとか。今後の研究が待たれるところです。
桃山時代の古唐津、江戸の古武雄、九州陶器の変遷を辿れる好企画でした。

なお、敷地内の県民茶室では企画展開催中の特別企画として人間国宝の故荒川豊蔵と加藤唐九郎のお茶碗でお抹茶をいただけます。各1点のみなので、既に使用されている方がいらっしゃる場合は待つ必要がありますが、運良く荒川豊蔵の茶碗で一服することができました。やはり茶碗は手にもって、茶が入った姿を賞で口をへりにつけてなんぼかなと思うのでした。この2点のお茶碗は写真撮影不可とのこと。生菓子付で550円です。

同時開催中の「世界をみる眼 古陶磁とガラス:西垣千代子コレクション」は世界各地のビーズコレクションに惹かれました。一見海中のウミウシを思わせる文様やカラフルな色、様々なビーズは地域によって固有の特色もありましたが、共通点もあるのが面白い。個人コレクションというのは、所蔵家の個性が表れます。


そういえば、日本民藝館で「九州の陶磁展」が4月1日〜6月8日まで開催中です。こちらではどんな紹介がされているのかも気になります。

「荒木経惟 往生写集 顔・空景・道」 豊田市美術館  

豊田市美術館で6月29日(日)まで開催中の「荒木経惟 往生写集 顔・空景・道」に行って来ました。
雨天の中、館内は大勢の来客で賑わっていて客層の年齢幅が広いのも荒木経惟の写真展だからでしょうか。

約1000点もの写真で初期から本展のための新作まで一挙に紹介しています。

会場を一周して、生と死が交互に現れる展示構成で、生きていることは死と常に背中合わせなのだと強く思わずにはいられない。公式サイトで荒木本人が語っている「生と死や彼岸と此岸とか、この道を往ったり来たりして、よろよろしながら日記をつけるように撮っている感じなんだね。」(一部抜粋)そのままが展示に体現されているのはさすが。

シリーズ単位で展示され、各シリーズでプリントサイズはほぼすべて変えている。生を感じさせる写真、死を感じさせる写真、両者を往還するような写真をまじえ、1週すると荒木の言葉が反芻される。

三重県美でのア・ターブル展で食が生死をわかつものと書いたが、荒木の愛猫チロの死に行く様子を刻々と捉えた写真はやせ衰えて行くチロ、食事もとれなくなっている様子が明らかで、猫の瞳に光る涙のようなものに焦点をあわせた1枚は何とも言えないせつない気持ちにさせられる。

新作「道路」と「8月」の2シリーズのうち、後者は何をどう撮影しているのか抽象的な画面のモノクロプリント。これが一番不思議だった。

やっぱり「さっちんとマー坊」1964年、画面からほとばしるエネルギーと生が荒木の写真の中では一番好感を持っている。一瞬のこどもの表情や動きを絶妙に捉え思わずこちらも笑顔になる写真。このシリーズを初めて観たのは同じ豊田市美術館で開催された「内なるこども」展でチラシに採用されていたのでよく記憶している。

対照的に「センチメンタルな旅」から「冬の旅」へと続く私小説的な写真はひとりの女性の刹那が1枚1枚に写し出され、陽子さんはなぜいつも憮然とした表情なのだろうとこのシリーズを見るたびに不思議なのだった。

展覧会の最後は、「三千空」、仏教の「三千世界」を意識しているのは本展タイトルからも明らかだが、荒木の撮影する空は1989年から撮影を続けている「空景」シリーズ、近作の「遺作 空2」と常に空を見上げて生きて来た写真家の生き方を垣間みるようだ。この空景こそ彼の日記なのではないだろうか。

公立美術館ということもあり、いつものSMチックなヌード写真はさすがに展示されていなかった。

美術館の庭園にある菖蒲園のしょうぶが満開でした。

<関連イベント>
・対談 「寂聴とアラーキーの往生漫談」 5月11日(日)13時〜15時半 *チケット受付終了 
・映画上映会 「うつしみ」園子温監督/荒木経惟出演 2000年 108分 *当日正午から整理券配布
・学芸員によるスライドレクチャー 5月31日(土)15時〜16時

「チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊」 龍谷ミュージアム

龍谷ミュージアムで開催中の「チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊」の初日に行って来ました。

一番乗りで先着何人までに配布されたのかは知らないが、展覧会のポストカード2枚がプレゼントされ嬉しくなる。しかも、展覧会を観て分かったのだが2枚のうち1枚は青木文教が撮影したポタラ宮のモノクロ写真。青木文教の写真には強い感銘を受けたので後からプレゼントの嬉しさがじわじわ来た。

展覧会構成は以下の通り。
序章:目指せチベット
第1章:チベット仏教の歴史
第2章:チベットのさまざまな尊像
第3章:ダライラマ13世からの贈り物~釈尊絵伝~
第4章:若き二人の学僧がみたチベット

展示の目玉は第3章の釈尊絵伝25幅一挙公開だろう。ダライラマ13世から多田等観に送られた貴重なもの。25幅の展示方法がまた良かった。正面に本尊が来るように左右をぐるりと絵伝の順番に並べている。1幅に盛り込まれた情報が非常に多く、25幅をじっくり見るだけでも1時間は必要だ。1幅のポイントは拡大色付けして詳しい解説が添えてあるので、それらを追うとおよそのお話の流れが分かる。毎回感心させられること仕切りなのだが、龍谷ミュージアムの展示は図抜けて分かりやすく工夫されている。

今回唯一残念だったのは、併設のシアター(わざわざ大きく移動しないでも展示室の脇にあるので開始時間ギリギリまで展示を見てすっとシアターに行けるので便利)で企画展関連の映像が上映されなかったこと。いっそ釈尊絵伝を映像化しておよそのあらすじを知ってから実物に接したらより理解も深まったかと思う。

展示は西本願寺の第22世宗主、大谷光瑞師の命によりチベットへ仏教の伝統を探るべく現:龍谷大学在学中の1910年(明43年)に送り出された若き2人の学僧:青木文教(1886年〜1956年)と多田等観(1890年〜1967年)の現地での修行の様子をまじえてチベット仏教を紹介して行く流れ。チベット仏教特有のヒンズーと仏教がまじりあったような尊像や垂れ幕付の曼荼羅などやはりとても興味深い。
注:多田等観と青木文教のチベット行きは同時期であったのだろうか?Wikipediaを参照すると等観のチベット行きはダライラマによりラサに来るようインドで要請されるとある。

何より2人の学僧のチベットでの生活の様子がかなり異なっていることに興味をひかれた。青木文教は冒頭に書いたようにチベット行きに際し、カメラを持参。ラサでも寺でなく市井に居住し、街の人々から写真屋さんのごとく記念撮影を頻繁に依頼されていたようで、本人の日記に依頼された撮影に忙しく修行の時間が取れないという愚痴?があった。青木の撮影したガラス板現物も出展されており、仏教史的な研究のみならず写真史の文脈で青木の写真が研究されることを期待したい。
大正期のポタラ宮やチベットの写真を今回初めて観たが、現在とあまり差がないのではないかと思った。人々の笑い、街の賑わい、荘厳なポタラ宮が心に残る。

一方、多田等観は寺に居住しひたすら修行とチベット仏教の研究に明け暮れる。等観の1日の流れがパネルに記載してあったが食事の時間間隔が一定ではない。意外に就寝時間が遅いと思った。
展示品の中で、チベット仏教の経典は大変大きいもので薄い板状になっているため、これを広げるための机があり、折りたたみ可能なポータブル。機能的で素材・デザインが良く欲しいと思った。

両名の膨大な日記、彼らのチベットでの生活は展覧会ひとつでは語りきれないことだろう。
とても良い展覧会でした。

常設 「5月の風をゼリーにして 春から夏へ うつりゆく季節」 三重県立美術館

前回の続き。特別展の後、2階の常設コーナーへ。
第1室は近代の美術、ムリーリョや浅井忠、萬鉄五郎、中村彜、青木繁、村山槐多、藤島武二ら名画が並ぶ。
第2室は榊莫山の書画 書あっての絵だと思った。

そして第3室5月の風をゼリーにして 春から夏へ うつりゆく季節と題した特集展示が行われていた。
「5月のそよ風をゼリーにしてもってきてください」は若干24歳にして早逝した詩人立原道造が病床で見舞客の友人に語った言葉だそうで、立原道造の言葉のセンスに胸を突かれる思いがしたと同時に、それを見つけて常設テーマにされた同館学芸員のセンスもまた同様に素晴らしいと思った。ここで道造の言葉に出会えるとは予想だにしなかった。食をテーマにした特別展との関連もある。

道造之言葉は続く。
「非常に美しくておいしく、口の中に入れると、すっととけてしまふ青い星のやうなものも食べたいのです」

この言葉を残した1週間後の1939年3月29日に彼は亡くなります。
驚いたのは、5月でなく3月に彼がこの言葉を残していること。自身の生命がいくばくもないことを予期していたのか、季節で満ちあふれた青い星のようなものを食べたい。浮かんだのは両口屋の「淡雪」。お見舞いに持って行ったら立原道造は喜んでくれただろうか。


この特集で展示されている絵画は日本画、油彩あわせて約20点。
作品リスト → http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/event_perm/perm2014_1.htm

絵の方は、道造の言葉の衝撃が大きすぎてすんなり自分の中に入って来ない。
唯一、好きだという理由も大きいのかもしれないが、小川芋銭の絵が一番しっくり来た。
 

「ア・ターブル !―ごはんだよ! 食をめぐる美の饗宴―」 三重県立美術館

三重県立美術館で5月6日まで開催中の「ア・ターブル !―ごはんだよ! 食をめぐる美の饗宴―」展へ行ってきました。

食をめぐる美の響宴。
美術館や博物館へ足しげく足を運ぶようになって8年は経つでしょうか。
沢山の展覧会を観てきたけれど、「食」をテーマにした美術展は記憶になく、思い出したのは宮下規久朗氏著『食べる西洋美術史「最後の晩餐」から読む』(光文社新書」。

4章からなる構成で、美術館公式サイトに掲載されている作品リストの通り展示作品は古今東西、メディウムも絵画、写真、立体、映像と幅広く取り扱って作家が「食」をテーマに様々な手法による表現を比較し考察することが可能でした。
何度も観ている作品も、「食」に焦点を当てることでこれまで気づかなかった制作背景などを思い巡らし、食と美術との深い関わりそして人間にとっての「食」を再考する良い機会となりました。

出品作品を絞り込むのも相当ご苦労されたのではないかと思うほど多様なラインナップ。実に良い絵がたくさん出展されています。章単位に印象に残った作品をあげてみます。
第1章 芸術家たちの厨房
冒頭のブリヤ・サヴァラン『美味礼賛』1848年、これが本展の鍵かなとも思いましたが未読につきこれ以上は書けない。
香月泰男『椅子の上の章魚』1951年で足が止まる。
キャプションの作家名、タイトルにふりがなや英訳がないため「章魚」の読み方が分からないが椅子の上に描かれているのはどうやら蛸のようだ。調べてみたら「章魚」と書いてタコと読み、タコの意。ここで漢字の読み方を学ぶとは予想外の展開。余談はさておき、『椅子の上の章魚』は構図も面白く香月泰男の作風から考えるとかなり遊んだというか思い切った作品で見ていて飽きない。椅子の上になぜタコを置いたのかも気になる。

次に足が止まったのはシュルレアリスム作家の北脇昇『静物習作(かぼちゃと卵)』1949年。北脇昇のこの作品は初めて観たのではないか。東近美蔵だが、常設に展示されているのは『クォ・ヴァディス』であることが多い。非常に大きなかぼちゃの傍らに小さな卵がひとつ。空には鳥らしきものが不穏な空気を醸し出しながら飛んでいる。静物画も北脇の手にかかるとこんなに不穏でドラマティックになるのかと面白く忘れがたい。

ジュリー・ルーク『玉ねぎを切るたび泣ける』1988年は、女性がまな板で玉ねぎを刻みながら泣いているその姿をテーブルや玉ねぎもろとも情景一切合切を立体化した作品。表情が実にリアルに作り込まれている。見ているこちらも玉ねぎを刻んだ場面を思いおこし、ツーンとした玉ねぎの匂いが浮かんだ。と同時に、百瀬文の映像作品『calling and cooking』が浮かび、あの作品が出展されていても良かったなと思った。ジュリー・ルークはフィリピンの作家だが、万国共通玉ねぎに涙はつきものなのだった。

そして楽しみにしていた文化庁蔵『酒飯論絵巻』白描と本画の両方が横並びに展示されている。保存上の問題で絵巻の一部
しか公開されていないが、四季折々の食材、こんもりとした白米。。。活気に溢れた厨房。今より美味しそうな料理が出て来そう。『酒飯論絵巻』に関しては伊藤信博氏の論考「『酒飯論絵巻』に描かれる食物について ―第三段、好飯の住房を中心に―」がネットでpdf閲覧可能なので一読。

こうなると高橋由一の『豆腐』があっても良いよねとか、厨房を描いた作品が他にも色々浮かんで来て勝手に一人展覧会を開催するのも楽しい。

第2章 食卓をめぐる光景
しょっぱなからどーんと大作が。高山辰雄『食べる』1973年。前期は1946年制作の高山辰雄『たべる』が出展されていた。津がもう少し近ければ前後期来たかった。食べるとたべるをもう一度見比べたかった。同一主題で27年後に再び絵筆をとった高山。食べることは生きること、生きるためには食べること。生と死をわかつものは「食」なのか。
続いて麻生三郎『男』1940年、この並びは重い、深い。
麻生三郎がどんな思いをこめて『男』を描いたのかに思いを馳せる。食への貪欲な男の眼差しがこちらを射る。

絵画、版画と続く中、ジェフ・ウォールのライトボックス写真『Jell-O』1995年が。143.5×180サイズなのでかなり大きい。解説がないので分からなかったが、小説か何かの一場面ではなかろうか。静止した時間の中に、クラッシュしたオレンジゼリーが。ただ、この写真、食卓というより厨房では?
ロトチェンコの写真もあり、とどめは荒木経惟『食事』より7枚の組写真。
近くにいた母娘の「美味しそうね〜」という会話を耳にしつつ、アラーキーの写真は食べ物を取ってさえ妙に艶かしく、グロテスクであった。そして7枚の組写真は見事に起承転結があり彼の写真は苦手だけれど、やはり巧いのだった。

食卓で私が思い出すのは、小津安二郎の映画。『秋刀魚の味』ほか、彼の映画には食卓、食べ物がたびたび登場する。東近美フィルムセンターでの直近の展覧会を思い出す。イベントで小津安二郎の映画上映があっても良かったかもしれない。

第3章 夢の中で乾杯
第3章が私には難解であった。章解説によれば「食べ物や嗜好品は、異文化への夢や憧れを象徴的に示すこともあれば、描かれた世界の非現実感を演出する役割を果たすなど、多様なイメージを喚起します。」(一部抜粋)食べ物の擬人化、モチーフの普遍性を紹介する。

河野通勢『私も何か御役に立つそうです』1928年、これまたインパクトの強い作品。豚が一頭、「私も何か御役に立つそうです」という幟をくわえて横向きで描かれる。豚の身体にはHAM、BAKON、ラード、マーガリンと役にたった結果が文字で表現されている。風刺要素の強い作品、夢というよりリアルな現実を描き出しているように思える。河野はなぜこの絵を描いたのか。

椿貞雄『春夏秋冬極楽図』1936年、四季折々の食の風景が描かれる。まさに極楽。夢なら覚めないで欲しい。

第4章 フード・イン・ミュージアム
最終章では、「食」を扱う現代美術作家の作品を主に取り上げる。

アナ・ハスマン『青空市場』2006年(短編映画9分)が素晴らしかった。『美味礼賛』で始まりハスマンの『青空市場』でしめる(実際は近藤亜樹の「たべる地球」が最後に展示されている)。字幕は英語だけだが、椅子に担当学芸員の方による和訳が置いてある。和訳を先に読んでも後で読んでも良いので、映像をスルーしないで観て欲しいと思う。
コマ撮り手法(だと思う)による映像だが、食べ物についての多くの問題を9分にうまく纏めている。テンポが良いので見ていて飽きない。

アナ・ハスマンはクロアチアの映画監督、他の作品もあれば見たい。

第4章では、ベタかもしれないがリクリット・ティラバーニャのパフォーマンス作品『パッタイ』を取り上げても良かったのではないか。他に浮かんだのは2008年メゾン・エルメスギャラリーで行われたN.S.ハーシャ「レフトオーバーズ」展やChim↑Pom。

食を美術館に持ち込んだ現代美術作品として本展で紹介されていた作品は、ハスマンの映像作品など例外はあるにせよ第3章までで考察してきた作品と大差ないように思えた。小沢剛の醤油画やムニースの作品の先を見たかった。


最後は辛口になってしまいましたが、担当学芸員の方の工夫は図録やチケット、展覧会場外にあった食に関する本のコーナーなど関心すること仕切り。好企画です。アラーキーの写真を見て美味しそうと楽しく会話を弾ませていた母娘連れは本のコーナーでも座って、お二人で熱心に本を手に取っている姿がありました。学芸員の方が目指したのはこんな光景ではなかったのかなと思いつつ美術館を後にしました。

本展の巡回はありません。図録は1500円、オススメの展覧会です。

建築の皮膚と体温―イタリアモダンデザインの父、ジオ・ポンティの世界 INAXライブミュージアム

INAXライブミュージアム(愛知県常滑市)で開催中の「建築の皮膚と体温―イタリアモダンデザインの父、ジオ・ポンティの世界」に行ってきました。

ジオ・ポンティ。。。名前は聞いたことあるけど、どんな建築家だっけと思い巡らせて美術館のサイトで展覧会についてチェックしたもののピンと来ず。行ってみて、ようやくはたと思い出しました。私の記憶の中では建築家というよりデザイナーとして認識されていたようです。ポンティの作品で私が唯一知っていたのは名作椅子で名高い《スーパーレッジェーラ》。敢えてリンクは貼りませんが、検索するとすぐに画像は確認できます。
デザイナーの名前を忘れてもスーパーレッジェーラは見てすぐに思い出しました。本展では上からぶら下がっていたり、実際に座れたりします。

が、この展覧会はポンティの椅子に限らず、建築を中心とに彼の活動をとらえ展観するものです。
「イタリアモダンデザインの父」と言われるポンティですが、私も彼の建築の仕事をこれまで知りませんでした。プレスリリースを改めて読み返してみると、ポンティの建築は薄さ軽さを追求していたとあります。薄さ、軽さと言えば、前述の椅子スーパーレッジェーラも同じ。彼のデザイン哲学は薄さ・軽さで透徹されていたようです。
展示で薄さ・軽さを理解するのはちょっと難しいものがありましたが、写真が一番よく分かった、INAXでの開催ゆえ、ポンティがデザインしたタイルが本展の見どころと言って良いでしょう。実際にポンティが建築した教会やホテルで使用しているタイルをリクシル(旧社名:INAX)が
復原。
ポンティのデザインしたタイルは、トラフ建築設計事務所による展示空間で魅力を発揮し彼の哲学について考えさせます。

建築の皮膚ー建築の表面を覆うものーは何もタイルには限りませんが、デザインを活かすことが可能なのはタイルに勝るものはないと思います。
本展が開催されているのは、ライブミュージアム内の「土・どろんこ館」ですが、敷地内の「世界タイル博物館」のタイルコレクションを見ると多種多様なタイルのデザイン・色に驚くばかりです。古来より人類はタイルを建築に使用していたことがよくわかります。企画展の続きと思ってタイル博物館にも足を運ぶことをオススメします。

そしてもうひとつの目玉は、ジオ・ポンティ アーカイヴスの協力により、ポンティのデザイン画やスケッチです。
会場の展示物はすべて撮影可能なので、建築に限らず衣装デザイン画もあり、こちらも楽しめました。

ポンティのタイルデザインや復原タイルを見ていると、東京・清澄白河のアルマスギャラリーで開催中の保坂毅さんの作品を思い出しました。保坂さんの作品も立体と平面、そして絵画の問題を深く考察したアプローチですが、ポンティのタイルとの共通項は何だろとうまく答えが出せないでいます。

3月18日まで開催中です。
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