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うた・ものがたりのデザイン 大阪市立美術館

フライヤーに掲載された小袖の美しさにひかれて見に行ったら、いずれもがあやめかカキツバタといった具合にデザインが秀逸で丁寧に刺繍や染めが施された小袖や振袖が満載だった。

展覧会構成は次の通り
序 章 王朝のデザイン 葦手と歌絵
第一章 和漢朗詠集のデザイン
第二章 和歌のデザイン
第三章 物語のデザイン
第四章 謡曲のデザイン

染織品を含め蒔絵、漆芸を中心とした工芸品に日本の和歌や物語、能の謡曲のデザインがいかにとりこまれ日常において親しまれていたかを紹介する。
冒頭の展示ではかな文字を肩や背中に配した小袖が目に付く。タイプグラフィー原初の好例ではないかと思うが、それだけでは終わらない。かな文字とあわせて刺繍されている絵柄で古来より親しまれている和歌をイメージさせるものとなっている。教養ある人が見ればすぐに「古今和歌集のあの和歌のお着物ね!」といった具合に、教養を二重の意味で身につけている訳で、現在と比較すると何とも雅な世界。鈴木春信の浮世絵に隠しネタが織り込まれ、裕福な商家や知識人たちの間でクイズのような遊びとして親しまれていたことが思い浮かぶ。

物語のデザインになるとかな文字の導入は少なくなり、源氏物語や伊勢物語で人気の場面を象徴するモチーフが取り入れられて、ことによっては、その小袖を着用することで想い人に想いを伝えるなどと洒落たこともあったのではと推測され、これを発注した女性たちはさぞや楽しかっただろうと羨ましくなった。

能の謡曲のデザイン、実はこれが一番見たかったのだが、この1年半自分としては能楽鑑賞を頑張っているが、まだまだ未見の謡曲をデザインに取り入れた作品が多く、まだまだ未熟だと少々ここでは落ち込む。訪問の2日前に横浜能楽堂で見た「竹生島」だけは、はっきりと記憶が残っていて「竹生島」デザインの作品が数点あったので嬉しかった。知っている曲の作品はやはり嬉しい。能のデザインでは江戸後期〜明治にかけての小袖があり、能は明治時代に衰退期を迎えた筈だが、明治初期には商家?もしくは裕福な知識階級の間では愛されていたのだなと、これが現在まで能が脈々と続いて来た証左であるように思われた。

前後期で展示替えがあり、前期展示は見ることができなかったので図録(2300円)を購入し、母に見せたら昔の着物は手仕事で素晴らしい。今の着物は生地も薄く大半がプリントの大量生産の安物が多い、そういう着物はすぐに分かると嘆いていた。確かに、小袖にあった意匠も文字も手技による刺繍が施されているのが間近で見るとよくわかり、夏物は別として冬時の着物はずっしりとした重量感のあるものが多かったなと思い出した。

明確な企画意図が伝わる好企画。また、常設では近世絵画特集が行われているが例によって若冲はじめ常設とは思えない豪華な展示となっている。両展示を見て企画展を2つ見たような満足感と心地よい疲労が残った。

12月7日まで。11月30日には講演もあり。

信濃デッサン館と槐多庵 

無言館を後にして、車で5分も走らぬうちに信濃デッサン館に到着。こちらでは「夭折の画家」として有名な村山槐多、関根正二らのデッサンを多く収蔵し展示している。
入口手前の立て看板に立原道造記念室と書かれたものを見つけ、東大前にあった立原道造記念館が閉館し残念に思っていたが、もしやこちらに作品、資料類が移管したのか、と意気込みは更に高まる。

信濃デッサン館の文字が隠れる程ツタが絡まり入口のドアを開けると受付より手前に村山槐多のデッサンがガラスケースにびっしりと入り両側におさまっていた。チケットを受付の方に見せる前に食い入るようにそれらを眺める。村山槐多展は何度か拝見しているので、これらも大半は既に目にしているのだが、何度見ても力強い線に魅了される。

受付でチケットを見せ、まず最初に目にとまったのは村山槐多の《尿する裸僧》。何度見ても異様な絵画、ほとばしるエネルギーが尿となって表象されたか。どう考えてもこの裸僧は槐多自身であろう。デッサン館と銘打って入るが、油彩や後述するが関根正二の日本画(伊東深水旧蔵)等も展示されているので、見応えがある。夭折の画家たちなので、遺された作品は少なく、関根正二に至っては死ぬ間際に自分のデッサンを焼いてしまったので尚更貴重。関根正二は村山槐多に輪をかけて個人的には好きな画家なので、デッサンを見てやはり上手い、惜しいとしか感想が浮かばない。村山槐多にしても関根正二にしても感情が激しく、それゆえ却って命を縮めてしまったのかもしれない。
順序は逆になるが、村山槐多が画家を目指すにあたって従兄弟の山本鼎の影響は大きい。無言館の前に行った上田市立美術館の山本鼎展は槐多との関係もあり見ておきたかった。

更に奥に進むと、向かって右側にデッサン館内に更に周囲と独立した小部屋がある。内部を覗くと立原道造のパステル画が何点も目に入る。やはり、立原道造記念館の収蔵品が信濃デッサン館に収蔵されたのだ。それを知って深い安堵を覚えた。道造もまた夭折の天才詩人であり建築家であり画家であった。記念室に入るお楽しみは最後にとっておくことにして、さらに奥に進むと小熊秀雄の作品があり、これまた好きな画家なので大変嬉しくなる。数年前に豊島区立熊谷守一美術館で小規模だが展覧会があり初めて知った。小熊も立原同様、多彩な活躍をしており詩人としてつとに評価が高いが、SF漫画、小説、更に絵も描いていた。小熊の絵と言えば燃えるような朱色を思い出す。デッサンも漫画を描いていただけあり、線がきれいでユーモラスなものが多い。

最奥には、松本竣介、野田英夫(野田はあちこちで作品を見かけるので早逝した印象はなかったが、わずか30歳で脳腫瘍で亡くなっていることをここで知った)、戸張弧雁らの作品が。ここで、《笛吹き》というタイトルの縦長な油彩に目がとまる。画家の名は吉岡憲とあるが、その名に記憶がない。しかし《笛吹き》はとても良い作品だった。続いてデッサンが何点か展示されていたが、これらも情感あふれる筆致でやはり引きつけられる。吉岡憲とは一体どんな人物かとプロフィールを読むと藤島武二に師事した後、満州にわたりウラジミール専門学校に学ぶ。ジャワ戦線に出征したが無事に復員。帰国後も作画、出品を続けたが、画業のいきずまりにより電車に飛び込み自殺、享年40歳での死。戦争を生き延びたにも関わらず、命を自ら絶ってしまうという。無言館の後では何と命を軽々しく捨てたのかという想いで残念な気持ちになった。人の生と死は分からぬものだと改めて感じる。

最後に、立原道造記念室の小部屋へ。道造が設計したヒヤシンスハウスを模しているのか窓枠等が緑色で内部もこじんまりとして道造の作品展示にぴったりのスペース。彼の詩作の直筆原稿やパステル画を堪能した。

その後、デッサン館のすぐ側にある槐多庵、こちらも建物はおもむきがあった。中央にストーブがあり吹き抜けの空間の半地下と2階に作品が展示されている。野見山暁二の作品などもあった。

デッサン館には併設の喫茶室もあるので、時間があればゆっくりと秋の上田の自然を賞でつつお茶をしたかったが、時は既に閉館ぎりぎりの17時。楽しみは次回にとっておいて、デッサン館を後にした。

戦没画学生慰霊美術館「無言館」

窪島誠一郎氏が私財を投じて、戦没画学生慰霊美術館をオープンしたのは1997年5月、そして2008年には無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」がオープンした。

かねてより、「無言館」のことは窪島氏の著書や様々な展覧会を通じて知っていたが、上田市にあることは認識していなかった。今回、上田市に新たに上田市立美術館が開館し、開館記念展(巡回なし)が山本鼎展であったため上田に行こうと思い立ったが、その時点で無言館のことは頭になかった。
上田に行くための下調べの段階で、ようやく無言館と信濃デッサン館が上田市内にあると知り、せっかくの機会だしぜひ行ってみようと決めた。が、無言館も信濃デッサン館も公共交通機関利用では不便な場所にあり、半日で上田市美、無言館、信濃デッサン館を回るには車が必要だったため格安レンタカーを借り3カ所を回ることにした。
上田市美から無言館までは車で約25分。周囲を山々に囲まれ、この日は秋晴れだった。

前置きが長くなった。
無言館はコンクリート造の建物でまさに慰霊堂といった外観。木製ドアを開けるとひんやりとした空気に身を包まれる。十字架を模した構造で上から俯瞰して建物の形態を確認したかったが内部は十字に広がっていた。主に東京美術学校を卒業または繰り上げ卒業した画学生らの没年月日、亡くなった場所が死因とともにキャプションに記載されていた。
出征前日に徹夜で彫りあげた自刻像や妻や許嫁をモデルにした絵など、どれも時間を惜しむように制作した作品ばかり。親族にとっては何ものにもかえがたい貴重な遺作が1点1点展示されている。戦地でのスケッチ、手記、メモ、家族へのハガキ、出征前の写真など資料もあわせて展示されており、それらを読んでいると当時の状況がまざまざと浮かんでくるのだが、とりわけ写真は文字以上に無言で見るものに語りかけて来る。真摯な眼差しもあれば、美学校時代の同級生らとの集合写真や、家族との写真。まぎれもなく、当時生きていた姿がそこにある。
膨大な想いに飲み込まれそうになりながら、1点1点丁寧に眺めて行く。

今年、三重県美で企画展が開催された画家:中谷泰の東京美校の同級生で仲が良かった中村萬平の名に足が止まった。片や、戦後も行き残り自然を愛し故郷を愛し絵を描き続けた中谷対し、同様に画才を持ちながら戦地に散った中村萬平。生と死について、これほどまでに考えさせられたのは久しぶりだ。
そして、戦争が奪ったあまりにも多くの命や才能に言葉を失う。だからこそ、無言館なのだ。

中村萬平ともうひとり、気になった学生がいた。東京美校彫刻科卒業の高橋英吉。「日曜美術館」でも紹介された
高橋は31歳でガダルカナル戦線で戦死。出征前、そして出征中も自分で作った小刀で木を彫っていた。無言館では彼の作品として「筍」を展示していたが、そのリアルさが妙に物悲しく脳裏に残った。彼が母親と二人で写っている写真があったが、ほとんどの画学生もしくはOBが丸刈りなのに、英吉は前髪を長く伸ばした長髪に丸めがねで、昭和のモダンボーイといった雰囲気を醸し出していた。英吉の彫刻はたまたま宮城県美術館に行った際に、被災した岩手から移されて展示されていて、力強い漁師の彫刻をメインに彼の彫刻家としての才能をひしひしと感じたのを思い出す。

2008年に開館した第二展示館は、ドーム型の天井に亡くなった画学生のデッサンや下絵が隙間なく張り込まれていて天井画となっていることにまず驚く。首が痛くなるのと、双眼鏡を持っていなかったので詳細まで見ることができなかったのは残念だが遠目でも何が描かれているのか分かる作品もあった。
ここでは、2人の作家が目に留まった。ひとつは日本画の美しい小屏風で、作家を見ると小野姓。かの日本画家:小野竹喬の息子であった。いや、これは早逝するには惜しい才能だと素人の私でも思ったくらいなので、父親であった竹喬の想いやいかばかりか。
もうひとつは、今夏に茅野市美術館で企画展が開催された矢崎博信の作品。確か、茅野の企画展でも無言館から出展されていたことを思い出した。矢崎の絵画は、他の洋画と並んでいると、個性が際立っており矢崎と知ったのは絵を見てこれは!と思った後に確認してそれと分かった。
総じて、作家の名前や悲劇的な死は別として、純粋に絵画として鑑賞に値する(上から目線の表現で恐縮至極)作品が多かった。それゆえ、彼らが戦死していなければ、日本の美術界はもっと違っていただろうかと、歴史にもしは禁物と分かっていながら、もうひとつの過去を想像してしまうのだった。

亡くなられた多くの英霊にこの場を借りて、慎んでご冥福をお祈りいたします。

APMoA Project, ARCH vol.11 末永史尚「ミュージアムピース」アーティストトーク

9月13日(土)14時より開催されたAPMoA Project, ARCH vol.11 末永史尚「ミュージアムピース」アーティストトーク、司会・進行:副田一穂学芸員をテキスト化しました。聞き取りづらかった箇所には(?)を入れています。当日はスライドを使用したトークでしたが、画像は省略します。末永史尚氏の公式サイトにこれまでの作品画像は掲載されていますので、合わせて参照しつつ読まれると良いでしょう。冒頭にあった作家の紹介は省略しています。(敬称略)

副:今回元々私はタングラムとかそういうイメージで話を持ちかけたて、今回も旧作を交えながらやるかなと思ってお願いしていたのですが、良い意味で予想を裏切る新しい展開を見せてくれましたので今日はその辺の裏話も含めてじっくりお話を伺えたらなと思っています。

末:今日は来ていただいてありがとうございました。名古屋でこういうレクチャーをする機会がないので、一番最初の僕の制作のスタートからお見せして、後半に今回の展覧会の話ができたらなと思っています。
僕は、東京造形大学の卒業なんですがその時の卒業制作の作品なんですが、これを作った時考えていたのは、元々絵画専攻で絵を描く勉強をしていたのですが、油彩をやっていたのですが油彩画事態に馴染めなくて油彩画絵を描く時の色彩が表に立つ。三次元のものを二次元にするプロットに馴染めなくて自分にとって絵を描くことはどういうことなんだろうと考えて小さい頃の絵を描くときの原体験を思い出して二次元のものを二次元に描き写す方が馴染むことに気がついて自分が絵を見ている経験すらも画集を見ていたりということが多いということから、これがこの真ん中のはリキテンシュタインの画集の図版ですが、ずっと見ているとこれを拡大すると隣のこの絵はフェルメールなんですけれど、真ん中の端っこに光っている光がきらっと見えているくらいなんですが、こんなことをしていました。

副:これはアクリルで描いているんですか?
末:そうです。真ん中の絵は下地を塗っていない生のキャンバスに描いていますね。
点で型を作って行く。これほんとは一番最初に紙に描いたドローイングであまり見せることはないんですが。これもリキテンシュタインモチーフですね。そうこうするうちに画集、絵のモチーフを拡大してこうやって写真の斑点だけ描いていたり。印刷の中のグレーの状態をシアンタイエローが等しい状態を拡大して絵を描いていた。そういう制作を2000年くらいまでやっていた。
それを続けているうちに二次元のものを二次元に引き写す延長線上で漫画をモチーフにした制作を始めた。これは漫画の吹き出しを漫画から直接切り抜いてキャンバスに貼付けたもの。これは2003年か。これは漫画の中から巻き髪の部分、これはスクリーントーンですね。分かりますか。
副:巻き髪って具体的に何の漫画から? 
末:これがですね。デカスロンですね。
副:あぁ、デカスロン。デカスロンと言っても分からない方が多いと思いますが(笑)。こんな巻き髪が出て来ましたかね。
末:これがワンユニットで微妙に重なって、巻き髪の中のくるっていう丸くなっている部分だけを抽出してつなげてつなげて。
副:最初から基本的に元々二次元だった絵を絵として描き直すんだけれども、それが極端に一部だったり極端に拡大しされたりたりしているんですけど。描く時のモチーフの選択。リキテンシュタインはよく分かるんです。元々彼は漫画をコピーしたり拡大したりして重ね描きしているわけでコンセプト的によくわかるんですが、じゃ例えばフェルメールを選んだのはなぜなんでしょう?
末:一番最初に選んだのはリキテンシュタインで網点で絵を描くことの可能性をどこまで引き受けられるかなと考えたとき、対局にあるのがフェルメールだったんです。
副:あーなるほど。光、明暗の表現で。最終的にアウトプットとしては違うかもしれませんが、問題意識としてはつながっている気は何となくしますね。目に見えているものと実際に見えているものとの違うわけじゃないんですが、極端に変な見方をすると全然違うものに見えちゃうというのが、何となく繋がっているのかなという気がするんですが。
末:なぜこういうわかりにくいことをするかというと漫画を使っていることをシンボリックに使いたくなかったんです。ちょうどこの頃村上隆さんが華々しく発表された頃で、それはそれでよく分かったんですけど、引用した時点で完成している気がして、そうじゃなくて引用しつつ引用したことが伝わりつつ、あくまで抽象的な絵でありたいという思いがあったんで、だから何となく分かるけれども分からないみたいな、そういう状態にどうやったら絵を留められるかをずっと考えていました。スピード表現ノブ分だけを抽出して色を変えて層にしている状態ですね。漫画の中の小石(?)を拾い集めて色を変えて層状にして重ねている。これはサザエさんから来ている。
副:へぇ、確かに言われないと元ネタが全然想像できないないですね。
末:長谷川町子はやっぱり上手いですよね。描き分けとか。(ずっと初期の作品が続く。)
副田さんから最初それでやってみたいと話されていた「タングラムペインティング」というシリーズなんですけど、それを作り始めたのが2008年ですね。
明確にきっかけになった展覧会があって、「ニューバランス展」という自主企画展だったんですけど、僕と冨井大裕さんと村林基の3人でグループ展をやった時の写真ですね。結構変な展示になっちゃったんですけど。
これは展示のディレクションを知り合いの建築家の田中洋之さんという方に頼んだんですが、最初はディレクションを頼む作りはなくて展示をやってもらいたかったんです。
副:作家として参加して欲しかった?
末:いや、作品を託すので自由に展示してみてくださいというのをやってみたかった。
それはなんでかというと展示の方法自体は美術的な方法の当たり前なやり方にどうしても頼ってしまっていることに気がついたので別概念だったら崩してくれるんじゃないかなという期待を持って、だったら建築家さんだったら何かやってくれるだろうと思って依頼したんですが、思いのほか深く関わりたいというような返事で制作の前にお題を出すからそれにそって作ってくれと言われた。そのときは特に崩壊しなかったんですけど、お題というのが「与えられた展示空間の丁度半分の高さに透明の水平な面があると思って制作してください。」と言われた。
副:この辺に透明なフラットな面があると仮定してつくりなさいと。  
末:ものを作って配置してくださいとも言われない。
副:なるほど。
末:それを言われてそれぞれ作ったんですが、冨井さんはこれはストローでできているんですけど、会場に橋のような造形物を作り水平の面が水面であるような見立てをしたんですけど、村林さんがどういうアプローチしたかよく覚えていない。僕は、水平な面があるのだったらそれが会場を高さで区切っているので、どんな高さでも展示できるような絵を作ってみようと思ってそれでできたのがタングラムの絵。低い天井の高さでも展示できる絵。ただ小さい絵だけができてしまうのも面白くないし、分化されてしまうのができてしまうのも面白くないし。
低いところでも展示できる絵なんだけれども、状況が変わればどこでも展示できるもの。そういう絵を作りました。これはどういう仕組みなのかというと1枚はこういう形ですね。1辺は60センチ×60センチ。この形が何の形かというとタングラムパズルというシルエットパズルで、本来はお題で形が組んであってそれをどうやったら7つのピースで作れるかとかを考えて遊ぶパズルなんですけど。その形でパズルを作って絵を描いて展示する状況に組み替えて使うと。
ただこの時はいきなり建築家の田中さんに展示をしてもらったら、結構立体的に展示された。床に置いて立てるとか角を使うとか床置きとか。いきなりこう僕としてはイレギュラーな使い方だったんですけど。
本来は、この次の個展でやったような、これが同じ年の個展で東京のスイッチポイントで展示の時のですね。これは形を組んでいるんですけど壁面を水平的に平面でギミックに組変えられるというような作品です。

副:ちなみに話それるかもしれないんですがタングラムの世界共通でこの切り方なんですか?切り方が決まっているんですか?正方形の切り方は決まっている?かなり古くからあるんですか?
末:そうです。元々は中国のパズルです。100年前だか300年前だか忘れちゃったんですが、昔からあってそれが19世紀にヨーローッパに渡って大流行してそれが日本に入って来た。
副:私、実家の冷蔵庫にマグネットにして貼ってあったんで、魚にしたり兎にしたりやってましたけどして遊んでいた。なかなか意識的にタングラム買ってやるという人はいないですけど。すいません。話がそれました。
末:壁画っぽい洞窟っぽい洞窟壁画のような壁に付けた時にそういうイメージがあったのでイメージをふくらませられないかと思って作っていた。その後いろんなところでタングラムで展示させていただいていて。これは名古屋のシーソーギャラリーで2011年ですね。ちょっと変わったた空間なので遊びがいがあったというか。カフェ・ギャラリーで、カウンターもあるし奥の部屋もあるし、とはいえ大きい窓があって、普通のギャラリーとは様子は違うんですが。こういう展示をしていました。(展示風景のスライド)

副:必ず意味のあるというかイメージの形にするわけでもないんですか?場所と合わせながらなんですが、例えば階段状だったり狐みたいなものもあれば。よくわからないけど、どうにでもできるわけじゃないですか。
末:中にある図が結構影響していて中の絵によっては組めないものも出て来るんですよ。木の形が多いんですけど中が緑一色なんで基本的には、この外の形を使いやすいんですよ。

副:はっきりと見えてこない。
これは猫のつもりで組んだんですが、中に点形があるので、ここが目になるなと思って。
これは正方形の状態だと斜めのストライプだったんですけど、組み替えるとちょうど縦の線があるので、形が生まれたんでこの形を選んだ。会場の条件と中に描いてある部分の関係で形の組み方が決まって来る。
副:元々の中に描いてある絵と言うのは柄のようなものはどういう風に考えているんですか?
末:この頃は、後々の自分に対する問いかけみたいな。組み方に影響するんだけれども、あまり答えが読みやすくないような図を描く。組み替えた時にこことここの線がつながるだろうと思いつつ、もう少し分かりにくくする。伝わってます?
副:いや分かります。じゃあこの時はいったん何かからの引用とは離れるんですね
末:その後一昨年くらいからまだタングラムペインティングは続けているんですけど明確にモチーフを用意し始めて、それが去年の春のVOCA展に出品したんですけれど、その時の絵です。東京の上野の森美術館で毎年春にやっているVOCA展に出展したんですが、そのときは衣服の柄をモチーフに制作していまして、これがタータンチェックでこれふぁアーガイルで、これがストライプ、肩の所(?)ストライプを使うところを描いたんですけど。展示の時はこういう状態。これが迷彩柄。
副:やっぱりこう柄を活かした形にするということはは引き続きいきているんですね。
末:そうですね。特にこのストライプのはそうですね。このアーガイルのはこの形にすると蛇の鱗っぽいかなみたいな。なんでこの分け方にしたかというと、明確にこう人が見たことのあるものが形が組変わることによって別のものに見えて来る状態に関心が移って行ったんです。画像を用意してないんですけど、直前にタングラムの絵を使った子供用のワークショップをやって、それぞれに絵を描かせてタングラムの形に切ってもらい別の形にしてみようというのをやったら、その時にやったものが非常に面白かったので何かに使えるなと思った。だから、実はここでタングラムは変わってきつつある。
その間にまた別の作品があって、これも見てもらってましたよね。これもシーソーでさっきのタングラムは前期でこっちが後期だったんですけど、この時に初めて発表したんですが、1個1個がバーネット・ニューマンというアメリカのペインターの作品がずらずらずらっと並んでいる状態なんですけれども、これが何をモチーフにしたかというとインターネットで画像検索をして、関連した画像が出てくるんですが、それで画家の名前で検索した時の検索結果画面を描いたのがこのシリーズですね。これはアド・ラインンハートかな、これはエルズワースケリー、これもニューマン、これはマーク・ロスコ、これはラインハートか。
副:このシリーズはシーソーでの発表が初?
末:そうですね。
副:これがすごく面白くて、本当は今回はこれでお願いしてみようかと思ったのですが、紆余曲折があり、実際に今バーネットニューマンで検索してみるとこんな小さい感じになる。
末:最初に見せた卒業制作を作った時の動機とちょっと関係してきていて、自分の絵を見る関係、経験みたいなものが、ふっと気がつくと卒業制作の時は画集だったんですけど、ネット上で見る経験がかなり増えて来ていて画像検索の視覚経験が記憶されていないなと思って、この経験をそのまま絵にできないかなと思って作り始めた。
副:そういう意味では卒制の場合は複製図版の拡大で、デジタルというのは縮小されている。抽象表現主義の絵画は巨大な画面であることがが多くこうやって整然と並んでいることは現実的にはあり得ないし、大金持ちで沢山買って並べたとしてもスペース的にこんな風に並べて見ることができない。これって特異な経験と言うかインターネットでしか見ることができない。
末:それぞれ3メートルとか4メートルとか。
副:色見本帳みたい。
末:あと、マケットシリーズ。これもシーソーが初めて、いや違うかな。これがシーソーのですね。これは何をやったかというと展覧会の前に、必ず会場のマケットを作るんですね。会場のサイズ(?)と同じ六面体を作って、各面にそのマケット通りの図を書き込んで塗り分ける。そうすると会場の六面体の縮小版みたいなのができて来る。これはさっきのスイッチポイントのですね。
副:原画状の模様はどうなんですか。現実には。
末:天井にパネルが付いてるんですよね。ちょっと分かりにくい。
副:今回の展示でもこういう形ではないですけど三次元、立体的なものが出てて、普通に考えれば彫刻に見える んですが、タングラムを一番最初にたてているのを見て行くと六面体は組んだだけなのであくまでペインティングとして作られている。こうやってみていくと腑に落ちる。ペインティングとして意識してつながっているんですね。
末:そうなんです。一面一面描いていて、かといって独立しているわけではないので。
更に、違うものが出て来たのがこの時でこれは去年か。去年、所沢市にある旧給食工場今は使ってないんですけど。去年の引込線、昔は所沢ビエンナーレと言っていたんですが、去年から改称して「引込線」。そこの給食工場の休憩室で展示したときの写真で、日用品と同じサイズでパネルを作り着彩する。これはチョコレートですが、ガーナですね。これはイレギュラーなんですが牛乳パック、これはカップヌードル。
名刺500枚、名刺注文して届いた状態はビニールの帯が付いてるんですが、それを描いている、会場自体はタングラムのペインティングを展示しつつ、新作も作った。
副:マケットの延長線上に出て来たような感じですか。
末:それは確実にそうだと思います。これは今回も展示しているのですが、これも去年、これは日本大学の芸術学部の彫刻科のアトリエの廊下。掲示板を使って5人で展覧会をの企画をし、それに参加した時の展示です。今回も美術館の掲示板、ポスタースペースにこれをそのまま使プラス枚数はちょっと追加してますが、何をしているかというといろんな所のポスター掲示スペースに行って、ポスターを止めてある部分を写真におさめ、それをポスターサイズに出力してポスター掲示板に貼る。
副:注目しているのは止め方なんですよね?止め方と中身と色味の関係ですか?
末:両方。
副:一番分かりやすい内容は瀬戸内のポスターなんか。はためいている内容で、実際ポスターもぴらっとはためいている。中の画像と外側の矩形がなんとなく響き合って馴染んでいる。必ずしもそういう関係にある訳でもない?
末:1個1個関心の持ちようが違うのかなという気はします。これもやっぱり止め方なので。でも止め方、その場所によって止め方の個性みたいなのがどうしてもあるので、それが分かりやすく伝わるような部分を切り取っているつもりではいる。これだと絶対パネルの継ぎ目にあわせなければいけないんだなとか。
副:暗黙のルールみたいなのが多分どこの掲示板でもあって、暗黙じゃなくてマグネット式だったら画鋲を押せないとか物理的制約もあるわけですが、この作品を見てから私うちの10階の掲示板にポスターを貼る係なんですが、すごい無意識に今迄貼っていたのが気になっちゃって、これを見てから自分が何をルール化して貼っていたのかと貼りづらかったです。
末:混乱はないですか?
副:混乱はないですが、気づかないお客さんが多いですね。ぱっと一瞥しただけだと多分自然に見えるんだと思います。ポスターなんて誰も見てないということなんですけど悲しいことに。何でもつなげて考えちゃうんですけど、検索結果の描いたのもそうですが、ぱっと見た時の印象ってそんなもんなのかなと思って。ちゃんとしたポスターが同じように貼られていたとしても、よほど関心を持っていないと、ポスター掲示板だなと思ってすっと行っちゃう。そのときの持ってるイメージって断片的な色がぱぱぱとあるなとか、知ってるアーティストがいればそこだけ少し強い印象があるとか。そのくらいのことなんだろうなと今回の反応なんかを見ていて思いました。
末:僕の場合1個1個の作品のシリーズって結構ばらつきはあるんですけど、作った後の経験が他の作品に引き継がれているので、それで広がった視覚みたいなものが次の作品につながっていて1個1個は直接関係していなくても一個の線につながっているんですけど。作ることによって別の細かい部分が気になって次へ育っていくんで。
副:だからすごく流れるように展開している感じがして、確かにひとことでこういうルールで作ってますというわけではもちろんないんですけど。
末;それは最初から結構考えていたというか一つのスタイルに自分のすべてを押し込むことはできないなと出発時点で考えていたので、ほんと今は理想的な状態ではあります。もう1個これが去年スイッチポイントで個展を開催した時の会場。この時に段ボールを出品しています。展覧会タイトルを「目の端」と付けたんですけど、自分的にはすごい苦労したんです。
副:今回私リーフレットのテキスト書かせていただいたんですが、必要ないのにわざわざ「目の端」を引用したんですが、すごく言い得てるなと。末永さんのそういう関心をさっき一言で言えないと言いましたが、象徴的な言葉で言うとすると「目の端」というのはすごくぴんとくるなと。目の正面に捉えて焦点化してしっかり見てる以外のものの見方というのが常に出てくるような気がして。目の端っこって見えてるんだけれど、見えてない。けどやっぱり見えてる。光は入って来てなんとなく意識の中に入ってきているんだけれどもしっかりと焦点化はされていないようなものが何となく作品の中に常に出てくるような気がしていて。

末:ちょっとここで目の端はカットして。これはスイッチポイントでやったもの。DMの束のような作品を置いいたり、会場の隅に段ボールを置いていたり、壁には絵も描けていたりしていたんですけども。逆にこれがあるたことによって脇にあるものも簡単に焦点化されないというか、これを端っこに置くためにこっち置くような状態だったんですけど。
で、今回の展覧会の話にしましょうか。
これが今回の展覧会の会場です。皆さんもうリーフレットとかお持ちなんで大体のことはご承知だと思うんですけど、美術館にある備品なり美術館にあっておかしくないものを選び焦点をあてて作品にした。メインは、コレクションが付いている額縁ですね。 
副:今回額縁で行こうというきっかけってどの時点で何だったんですか?
末:元々いつか描こうと思ってたモチーフに額サンプルというのがあったんですよ。額屋さんに行くと額の隅だけ三角形の額サンプルがずらずらっとあって、これは面白いのでいつか描けたらいいなと思っていて。聞きましたよね、額サンプルがないかとでもなくて。よく考えたら美術館の作品って全部額が付いているよなと気づいて、だったらこれそのまんま同じサイズで描いて絵はつぶしてしまえば額だけの絵ができるんじゃないかなと思ったのがこの作品です。
さっき目の端のお話をしたんですけど、これこそまさに目の端にあるものなんで。とりあえず1点2点描いてみて判断しようと思って、描いてみたら思いのほか納得できる状態だったんで、これでいきましょうという話になった。
副:うちの所蔵作品から結局10点でしたっけ。
末:うーん、もうちょっとあるかな。
副:ピックアップしていただいて採寸して全部実物通りに作っていただいて。採寸が結構大変で。
末;申し訳ないことに僕、東京にいるんでこの辺にいれば僕が採寸したんですが、採寸の方は副田さんいお願いしてしまって。
副:本物の額もフラットだったら楽なんですけど、本物は結構でこぼこしてるじゃないですか。柔らかいメジャーを使ってこう(はかるポーズをする)。装飾が結構こまかくて。どこまで末永さんこのデータ使ってるのかなと思って送って。
末:結構使ってないんですよね。
副:結構省略してるんですよね(笑)。
末;(副田氏が送った採寸の結果のスライド)ここまで用意してもらって。額の仕様書っていうのが残っているものもあって。
副:ちょっと話それていいですか。作品を購入した時に額が付いているんですけど、状態が悪いと付け替えたりするんです。パウル・クレーの蛾の踊りという作品とジョアン・ミロの額は愛知県美術館が発注して新たに作った額なんで、デザインも今はもうどちらの学芸員も別の職場に移ってしまいましたが、それそれ別の学芸員がデザインを考えてこの絵にはこんな感じだろうと他の額もリサーチしながら作ったもの。そういうものだとバチッと仕様書が残っている。結構、額ってただ木枠でしょみたいに思っているかもしれませんが、結構複雑な形をしていて。購入時に付いた額のままだと当然額の仕様書なんてないんで作り始めないといけない。
末:いろんな経緯で額がついているんだなというのも今回結構面白かったんですよ。元々付いている額、買った人が付けた額、美術館で付けた額。
副:それこそ目の端で焦点化されないから、その来歴なはんかに普通は意識が向かないわけなんですよ。クリムトの額は派手だなと思う人はいっぱいいらっしゃるんですが、じゃあいつの段階ででどういう経緯で付けたのかまで考えないんです。なかなか追えない場合も多いんですけど、みんながみんな関心を持つ訳ではないので作品のデータは受け継がれて文献に残ってたりするんですけど、額についてはほとんど記述がないことが多いんで。
末:これは絵にはあってますよね。
副:基本的には描かれた絵の時代の様式の、額も様式の変遷があって、その地域の様式の額がしっくりくるんです
末:そういうデータは結構残っているものなんですか?額が元々どういうものだったかというのは購入時点でわかるものは残してある?
副:調べてわかるものは残っています。状態が悪くて保存に向かない額は付け替えるんですが、画家が明らかにオリジナルで自分で作った額もあるので、そういう場合はそれ自体が作品と一体化しているようなものなので、そういう場合は外してしまわず別の保存方法を考えますね。
末:そういう経緯も含めて結構今回は面白かったんです。ちなみにせっかくなんで、ほぼ全部の元作品ネタばれ。これです。絵を入れた画像を紹介。これだけはちょっと並べた写真なんですけど。
副:展示作業の途中でちょうど良い機会があったのでぱっと並べて写真を撮ったんですよ。感動しましたよね。当然現物を見ながら描いている訳ではないので色もイメージで描いていることが多い。
末;写真と実際見て描いてるわけなんですけど。
副:もちろんきっちり現物に合わせようという意図はないですよね。光らせ方なんかも。
末:それは無理ですよね。元々立体物なんでそれを同じ平面状にするわけなんで光るなんてのはあり得ない。
これは苦労したんですよね。金色って普段使わないんですよ。計測不可能なところは拡大写真を送ってもらって。これは熊谷守一ですね。今、ちょうど岐阜県美の熊谷守一に出品されてましたけど。
副:今回選んだ10数点はミュージアムピースというだけに、うちが持ってる中ではトップクラスというかいわゆる名画なんですが。熊谷だけが結構地味なんですが、実はうちのコレクションの熊谷のほとんどいいのが持って行かれちゃってなかったんですよ。これだけあんまりミュージアムピースじゃないんですけど。
末:でも額は同じでしたよね。
副:額はいつも同じ仕様でいくつも作ってるんで。
末:そして額だけじゃないな。油彩画だけに偏るのもどうかなということはもちろん考えたので、表装も描いてみようと思って描いた。これが白隠ですね。これにあわせて今回は表装特集の展示も。
副:私はいつもアプモアプロジェクトをやるときはコレクションと何らかの形で絡めるという裏テーマを持っていて、別にそんなこと決まってるわけじゃないんですけど。最初今回の展示は仮面にしようと考えたのですが、末永さんの作品の後に仮面を見るのかと思ってなんか全然うまく結びついてこなくて、で、面白い表装のやつを探して出してくれと担当者にお願いして実現しました。結構わがままというか無茶を言っている。
末:額の時には思わなかったんですけど、表装、絵としてうーんていうものでも表装がいいっていうのも結構あるんだなと(笑)。
副:禅画なんかだと、絵の善し悪しは別として労力的にいうと、圧倒的に表具の方が手はこんでるわけなんですよね。禅画はぱっと3秒くらいで描いちゃってるみたいなのもあるわけで、表装の方が時間がかかっている。
額縁は絵の本画部分に比べて影響の少ないものなんですが、日本画の場合、軸に仕立てちゃうとこれなんか本紙より表具の方が面積的に計ると絵より大きいんじゃないかなと、目の端におさまりきらず、視覚の中にもっと入りこんでくるんじゃないかな。だから影響は大きいんじゃないかなと今回思った。
末:最初すごく違和感はあったんですけど、これもいつの間にか見ないことになっている。鑑賞体験のかなりの部分を占めている筈なんですけど。この作品を作るまではそんなに意識してなかったんですけど。これは『蛾の踊り』ですね。これなんか最初に仕様書を送ってもらったんですけど。
副:なんか違いますよね。仕様が変わったのかな(笑)。
末:幅がもうちょっと段々になっていたのが二段減ってたんですよね。次は表装。これはもう完全に表装だけで選んでますよ。
副:でも絵もいいですよね。
末:いやもちろんいいんですけど。いやほんとこれはほんとにかわいいですよね。
副:このセンスというのは自分でいざやろうと思ってもなかなかこんな組み合わせはできないですよね。
末:これは計測は大変でしたよね。
副:これは面倒くさい形をしてましたね。でもこの額って何額っていうんだったかな割とよくあるヨーローッパの額のタイプのひとつらしくて。同時期のこれも多分当時からある額だと思うんですけど。
末:そりゃそうですよね。でも絵にはあってましたよ。
副:そうですね。
末:まわりの(かちぬき?)が気になって目を引いたんで選んだんですけど。出てましたっけ?これは誰がネタもとがわからないですよね。
副:これはマットの付き方が。
末:油彩額だけじゃと思って表装もやったんですけど、マットが大きいのと思って気になって描いたのがこれだったんですよ。
で、あとキャプションか。人によっては全然気づいてもらえないというか、なんなのか分からないと言われることもあるんですけど、作品は木製パネルの色付なんです。これが実はキャプションモチーフだったんです。これも最後の最後に作るの決めたんですけど。一番最初、副田さんから何かできないかなみたいな話があったんですよね。
副:そうです。額縁で考えた時にキャプションをそのまま付けるより、キャプションも含めて作品にできないかと相談をしてずっと放りっぱなしにしてたんですけど。だからキャプションもさっきの掲示板と同じで各館で統一のフォーマットを館で定めてるわけなんですよ。うちの場合は15センチ×15センチ。何の根拠もないんですよね。15センチなきゃいけないわけでもないしある程度文字大きくないと見えないんで範囲というのはあるんですけど。根拠ないけど決まってるものというのはさっきの掲示板のルールみたいなもので、あぁこのキャプション15センチなんだなと思って見る人なんて絶対いないわけなんですよ。そういうものも目の端にならないかなと思ったのがきっかけです。

末:展示の中でも置いてるんですけど、アクリルケースの中に入れて展示している。
副:あまりおしゃれじゃないので、普段はアプモアアーチだと担当の学芸員が自分で板手で作ってすっきりしたキャプションを付けることが多くて、私もこれまで2回別の作家のアーチのときは自分で作った。今回はこうしちゃったんでこれを本物のキャプションとして使わないと意味がないわけですよ。ださいなと思いながらこれを敢えて付けるという変な気持ちになりながら作業しました。
末:でも実際付けるルール自体は常設展示のルール自体に則ってるんでしょ?
副:そうですね。高さや基本何センチなんていうのは決まってますね。
末:それを守りながらこういう違うことができたんで、このキャプションの付け方自体はすごく満足している。色付キャプション。さっきなんでキャプションを色付にしたのか聞かれたんですけど、過去にキャプションにアプローチしたことは1回やってるんです。秋吉台国際芸術村というレジデンス兼音楽ホールみたいなのがあるんです。山口県なんですけど、その時、色付キャプション展をやってるんです。こんな感じで。
副:実際に文字も入っていてキャプションとして機能するもの?
末:会場は音楽ホールで、あちこちに作品を隠していて見つからないような所に作品を置いていてそれを見つけるために目立つキャプションを置いて、キャプションがあるところを目指していけば作品を見つけられる仕掛けにしていろんなところに設置していて。
副:だから目立たないといけないわけですね。目印として。
末:そうそう、赤青黄緑(?)の4色、特に色に意味はなく会場のあちこちに色付のキャプションがあって作品を探す目印になる。キャプションに情報以外の目的を含めるということでやったんですけど。それもあってキャプションに色をつけることに抵抗はなかったんで、一度赤青黄でやってみたんですが、強すぎる。強すぎたんで額絵の色にあわせてやりなおしたわけです。キャプションを模したパネルではあるんですけど横にある絵をきれいに見せられたらなと思って色を考えて設置した。質問はないですか?
副:うーん特にないですね。色の組み合わせの基準みたいなものは聞かれたのかな。でも感覚的な部分ですよね。何色だから何色という決まりがあるわけではない。
末:でも一応こう合わせて。
副:違和感のない調子には。ああでもないこうでもないというのはある。
末:これはスポットライト。
副:これは伝わらないんです。Twitterでどなたかがトイレットペーパーと仰っていましたけど(笑)
末:これは元を見ないと分からないかもしれませんね。最初ここに何があるかなと見に来たときの写真なんですけど、裏を通って作品にできるものはないかなとうろうろしている時にスポットライトを見つけた。
副:愛知県美術館のオリジナル仕様で、20数年前に開館した時に当時いた学芸員たちでこうしてくれと特別発注したんですよ。これすんごく重くて首もすぐへたってしまうし、意外に現場の学芸員から評判の悪いスポットライトです。だましだまし使ってる。
末:この状態がすごいかわいらしく見えたんでこれは絶対作りたいなと思って作ったんです。これは普段の状態の掲示板(スライド)
副:一番右にうちの友の会のポスターがあって一番左にうちの館のものがあって、その間に他館のものがある。
もう少しこの展示の話をすると、元ネタ探しゲームみたいになるのは嫌だなと思ったんですよ。末永さんの意図はそこにある訳ではないですよね。ただもちろんやりたくなる気持ちは分かるし私自身もそう。展示作業中にみんな学芸員は覗きにくるんですよ。「これ全部うちの所蔵品だから当ててみろ」というと大体みんな半分当たれば良い方かなと。学芸員でもみんな額は見てないんですよ。学芸員ですら意識してないんですけど、さすがに館長は一点外したけど、すごくほっとしてましたね。後で私がこういうところで言うのが分かりきってるので。その時に館長が3点しか分からないと面目が立たないということらしく。そういうところを意識的に見ようとしている人は見るんですけど、それを意識化してないとどうしても意識からはずれちゃうところにある。僕自身もそう。
Twitterなんか見ていると具体的な感想があまりあがらなくて、難しいだろうと思うんですよね。結局額を描いた絵なので額だねでとしか言いようがないわけですよ。色んな鑑賞体験を引き出せると思うんですけど、私もリーフでは小難しく書きましたけどシンプルな言葉でこの絵の面白さを一言で言えというと一言で説明しづらいなと思って。
例えばぱっと見た時に、特にミロの絵なんてそうなんですが、単純にだまし絵的にでもあるんですよ。ぱっと見てすごく立体的に見えるんですよ。知らないで来たお客さんはあれ?立体だと思って見るんですが平面に気づく。まず単純にだまし絵になっているというのはひとつあるし。それが平面化しているのもそうなんですけど、表装の作品だと、額って立体的なものだから、絵って額の向こう側にあるんですね。表具はフラットなんで、もちろん0.何ミリぐらいの差はなんですけど、普段意識しないんですけど言われてみれば表装はフラットだなと。そういう鑑賞体験の違いもあるし。額縁は一歩前に出て来ているので窓枠なんですね。その向こう側に景色がある。再現的な風景画だとすごくしっくりくるわけですよ。
額があるとその向こう側に画家が描きたかった風景が、リアルな風景でも心象風景でもいいんですけど、リアルな奥行きが見えてくる。じゃ表装の場合、山水画の場合、風景であるわけですが、表具の裏側にある世界って考え方は確かにあんまりしないなと思う。上下の一文字に挟まれていてその裏側にあるという感覚はしないんです。西洋のペインティングって、窓で切り取っているんだけど、その向こう奥行きに何かあるっていう、そういう体験が出て来る。要するにフィードバックされるんですよね。普段の絵の見方に対して。末永さんの絵を見た時に違う違和感を普段の感覚にフィードバックして考えると、今まで見えなかったものが見えるみたいな。ただ、それは末永さんの絵の感想にならないんですよね。だから面白さを言うのが難しい。
末:だから装置みたいな。
副:そうですね。
末:僕もTwitterの感想は一応見るようにしているので、あまり反応がないなと思ってて、しばらく会場にいれないわけじゃないですか。初日来た以来来たんですけど、自分の絵が悪いのかなと思い始めて今日会場に来たんですが、いや全然悪くないと思ったし、ただちょっと絵の質が違うんだろうなとは思いました。ただちょっと変なものを作っちゃったなという気はしています。かなり納得しつつ作ったんですけど質の違うものを作った。
副:絵自体を楽しむこともできるんだけど視覚をチューニングするような。これを見てから普段の絵を見てみようみたいな構造になっている気がして。これが感想の少なさ難しさみたいな。逆にいうとしばらくたってから何か出て来ると面白いんですけど。
末:かといって、これが絵でないかというと絵なんですよね。
副:絵なんですよね。
末:機能的な問題だけを扱うなら写真にしてもいいわけで。
副:遠目に見えてもベタ塗りではないという明らかに絵画であることそこかしこに出てますよね。その体験をもう少しうまくすくいとれるといいなと思いつつなかなか語れてないことでもあるんですが。

(会場からの質問)
問1:作品の側面に液垂れのようなものがあるんですが、あれは敢えて残したんですか?
末:残っているとしたらそれを残したんです。
副:表面の色と違うんですよね。層になっていてわかんないやつもあるし、うっすらと見えているものもある。その辺の描き方みたいな、どういう風に色を選んで決めて行く?
末:なんとなく自分の中で色の作り方の定型みたいなものはあるので、それを使いつつ慣れすぎるとそれを外して使いつつ。やっぱり絵を描いているとしか言いようがないんですけど。この絵をどうやったら作れるかなと思った時に、絶対下にピンクが入った薄いグレーグリーンが出て来るんです。でその通り塗ったんです。
副:元のものを見てそれが何かの層でできているか分解して、それを組み立てて実際に再現する。
末:自分の中で見えたらそこからは一直線。何度も塗り直したりはしない。
副:じゃあ、あんまり行き当たりばったりに塗って行くということはそんなにない?
末:そうですね。自分の中でヴィジョンができたら進む。最終的におかしいなと思ったらそこは修正する。変えますが。こっちの段階では黄色だったんですけど、結構強かったんで、今黄土色になっている部分は合わなかったので最終的に変えました。
副:細かい風体の部分はラフなブラッシュストローク。横の部分は丁寧に塗られていて。風体は本物は少し下がってるんですよね。風体は細かく見るとすごく面白いし、模様のチェックもマスキングテープを明らかに使ってるだろうというところと、手技の部分の対比とかお客さんにこうもう少しじっくり見て欲しいなという思いはあります。

問2:絵画っていわゆるフィニッシュの仕方に対していわゆる抽象表現主義に対してご自身はどんな立ち位置にあるんですか?
末:最初に僕が言ったことと関係してくるんですけど、僕なりの絵の作り方をしたいんですよ。その時に伝統的な油彩画の質にたよらず日本画の質にもたよらない絵を作りたい。そのためにいろんな方法を描いている状態です。それで伝わりますか?
副:そういう意味では動機として、画家として絵を描くという前提条件があるんですよ。三次元的なものを再現するわけでなく、どこまで絵であれるかみたいな。
末:そこが伝わりにくさではあるとは思うんですけど。

問3:観る側に知識を求めているんですか?
末:見る人に求めているというより、自分がそこを基準にして作って行くしか仕方がない。
いろんなものを見てしまっているので、既にあるものになるべく頼らずに、かつ、いいものを作りたい。難しいこと言ってますかね。
副:コメントしづらいですね。ぱっと見て、そうですね。タングラムのシリーズは前提的な知識は要求されないですよね。タングラム知ってるかは別として。アウトプットのされ方が元の参照されているものがあれば、どうしてもそれに関する知識が鑑賞体験に大きく影響してくるんですが、全部が全部そういうアウトプットではないので。確かにそういう意味では揺れ幅振れ幅がありますよね。掲示板の作品なんていうのは誰が見ても同じ面白さを享受できる。

副:ここで末永さんに展示をお願いするにあたって、私が意識したことのもうひとつは、ここでしかできない展示他では見れないものをやって欲しいというのはあって、そういう中で、所蔵品の。ただ、常連さんにとって楽しくなってないかなというのが少し不安で、初めてうちに来たお客さんて、何回か来られていたらクリムトはピンとくるんじゃないかなと思うんですけど、初めて来たお客さんはわからないんじゃないかなとそこで鑑賞に差が出てしまうし実際悩みどころだったり、実際解決できてないですけれども。
末:なんでこれをやろうと思ったかと思い出したことでいうと、タングラムにしても引用したペインティングにしてもここに置くことに違和感があった。よそで組み立てた文脈のものをここで置くのに違和感があった。
副:流れはすごく意識しましたよね?常設展の一連の流れみたいな。末永さんの作品のを見てのフィードバックみたいな。すぐ出た廊下で表具が来て、その次に志賀さんのが来て。志賀さんのあれは愛知トリエンナーレで別の状態で2回出てたんですけど収蔵するのに額装したんですよ。
すぐにフィードバックして他のものに帰っていくような展示は心がけたつもりで、ただそれがうまくできているかどうかは別として。

フォートリエ展 関連講演 林道郎氏『層状絵画の不安』 豊田市美術館

8月10日(日)台風11号が中部地方にも迫り来る中、豊田市美術館で林道郎氏(上智大学教授、美術史家、批評家)のフォートリエ展講演「層状絵画の不安」が開催されました。以下、林氏の講演概要です。不完全なものですが当日台風により参加できなかった方、フォートリエに関心がある方のご参考になれば幸いです。文体が揃っていない点はご容赦ください。

なお、当日の事前予習資料として東京都現代美術館での林道郎氏の講演「アレゴリーとしての『人質』:アンフォルメルと 『具体』についての話」の案内がありました。以下、東京都現代美術館研究紀要2011(PDF)のリンク。
http://www.mot-art-museum.jp/others/docs/report2011_02.pdf
*前置き等は省略し本論より始めます。なお、講演では多数の画像や写真等を用いたスライドトークでしたが、掲載は割愛しています。

層状絵画の不安というタイトルを付けたが、フォートリエの絵は非常に複雑な構造によって成り立っている。しかも地層が何層も塗り重ねられているような構造を層状絵画といっている。
そこに読み込まれる不安というか最初は動揺という言葉を考えていた。いろんな意味でフォートリエの絵画が揺れ動くという話をしたい。それは構造的に揺れ動くだけでなく我々の記憶の問題や現実との関係、いろんな意味に揺れ動く、不安を抱える、動揺する構造をもった絵画を彼は作っていると思うので、そこを中心に話を進めていきたい。

フォートリエは人質の画家として知られているが、人質の連作が集められた部屋を見て分かるように圧縮度の高いシリーズが展開されていて、それを彼は45年の個展で一挙に見せることで現代美術の世界に名を馳せ認められることになった。
アンフォルメルの問題は後で詳しく話すが、画面に今出ているのは大原美術館蔵の人質の作品。人質の連作の中でもとりわけ大きい絵画で、カンバスの上に紙を貼って、その上に石膏で下地を作って、その上にグアッシュをつけていく。いろんな素材で厚塗りの絵画を作っている。塗りだけでやっているわけでなく、グアッシュで簡単な輪郭線を作り、顔の映像を二重化するということもやっている。したがって、イメージも二重化、イメージそのものも多重化されているのが人質の連作。45年に人質の連作が個展で開催されたのはパリのルネ・ドゥルーアン画廊。20点あまりの連作が展示され、ちょうど今人質がかかっている部屋と同じ位の点数がかかったんだと思う。
これで神話的名声を得るようになる。神話的名声を得る時代背景は第1次世界大戦で、フォートリエはレジスタンス運動に関連したため、一旦ゲシュタポに拘束されたこともある歴史も持っている。戦時中彼は身の危険を感じ、パリの郊外のシャトネー=マラブリという一画に秘密のアトリエ・すみかを持ちそこで制作を続ける。その時、近くにドイツ軍の捕虜収容所があり、パリのレジスタンス運動にかかわっていた人が拷問されたり処刑されていた。一説によると、そこから聞こえた様々な音によって反応して人質を描き始めたと言う話になっているが、音が実際どこまで聞こえていたのか分からず、その話の信憑性には疑問をもっているが、アトリエの近くに捕虜収容所があり、そこでフランス人の捕虜が処刑されていたのは事実。

首だけの顔だけの連作なので、殺された人間のイメージが投影されていると解釈するのが自然なことなのかもしれない。まだ戦争の記憶が非常にが生々しい時に発表されて一気に名を馳せた。
人質の連作をもう少し見せますが、油彩、紙、そしてカンバス。紙の上に直接、石膏塗ったりやグアッシュを塗ったりするのは20年代からその技法を発見したという記述がありましたが、30年代から紙に直接描くことで油が絵具が染み込みやすい。それによってこの技法を使い始める。ある意味で切断された首というものだけでなく、顔の像がデフォルメされて肉の塊のようなものに変換されているので、戦争がもたらした心理的トラウマが生起されていると人質の連作がレファレンスというか語られることが多い。実際トラウマ的イメージにだとは思う。しかしその時に忘れてならないのは、フォートリエが戦前からやっていた仕事との関係性、連続性が見失われて行くということ。例えば、今回の展示には出ていないが20年代に女性像をモチーフにした連作が沢山あるが、人間像は非常に単純なフォルムに還元されている。この場合は横たわる裸体で、例外的だが横たわる裸体が上から見下ろされた肉体が横たわっていて、白い・・・。 暴力的にデフォルメされた暴力的と言って良いかわからないが、デフォルメされた人間像、ことに女性像が戦前に多く描かれているのを見ると人質は突然出て来たものではなく戦前の仕事との連続性として考えるべきではないかと思う。
実際、人質だけでなく殺された兵士の像というだけでなくヌード、手のある裸婦、青いドローイングで描かれた形象は手で、ピンクの絵具の塊は女性像というか人間の肉体、肉を感じさせる。その上に記号的に手や身体の一部のような曲線が描きこまれている。
これは裸婦であってそれが非常にデフォルメされた形で人質の連作と関係してくる。実際に戦争の中で人質ー「
otage」を人質と訳すのが正解なのか捕虜と訳すべきではないかという説もあるが、捕虜を描いた連作の中にこういうヌードの女性像がある。
それともうひとつ面白いというか気をつけて考えないといけない問題は、人質の連作の中に顔を描いたものと肉のようなもの、顔ではないものと両方入っていること。
フォートリエの人体に関する関心は基本的に女性の身体に関する関心。男性の身体、裸体はほとんど出て来ない。裸の身体がデフォルメされた時のタイトルは「女性」とか「少女」とかになっている。顔の方は捕虜なので一義的には判断できないかもしれないが、ジェンダーレスというか男のイメージを思い浮かべる。顔をもった男性と顔のない女性。ジェンダーレス感を受けるアンバランスさがあり、その両者の間を揺れ動いているというのが人質シリーズ。
女性身体への関心は戦前から続いているのは戦前から続いている問題で、更に大きなコンテクストで言うと、肖像への関心も初期から一貫してある。しかもその肖像は顔を大体中心に描かれて成り立っている。フォートリエの画家としての資質の一貫したところだが、彼は構図にほとんど気を配らない。ほとんどすべてのモチーフは画面の中心に置かれている。それは肖像の時代からそう。構図に重きを置くある種の近代絵画の伝統から切れたところに彼はいるのかもしれないという気がする。

もうひとつ大きなコンテクストとして言っておくべきは、風景がまずないこと。フォートリエの作品には風景画が1点もないと言ってもよいかもしれない。後期に《草》とか《雨》とかいうタイトルのものがあるが、あるのは肖像画か静物。肖像と静物の間を揺れ動きながら仕事をしているのがフォートリエという画家。女性の身体への関心は、彼のなかで今回のキャプションの仲にもあったがプリミティズムへの関心につながる。原始美術への関心が20世紀頭からいろんな形で出て来て、ピカソやマティスがアフリカの芸術にインスパイアされ仕事をしている。その伝統の仲でフォートリエもプリミティズムに非常に関心を持っていた画家のひとり。

ところがここは重要かもしれないがフォートリエが見ていたプリミティズムはどういうものだったか。20世紀の頭に旧石器時代のヴィーナス像があいついで発見される。1908年に発見されたヴィレンドルフのヴィーナス。公にイメージとして共有されるのは少し後のことだが、それからこれの後に同じような発見が続く。これらはピカソやマティスが見ていたものとは違う。彼らが見ていたものは仮面や木彫の人間像。そうではなく20世紀に旧石器時代に石で作られた非常に量塊性の高い女性像が発見され、フォートリエはそちらにインスパイアされている。塊としての人体、ボリュームとしての人体に彼はすごく強い関心を持っていた。それがプリミティズムへの関心と直結するのがよくわかる。彼はその関心そのものは資質的にもっていたという気がする。女性の身体の量塊性というかmassとしての女性像、肉の塊としての女性像にずっと関心を持っていた。量塊性ということはもう一方では触覚性にも非常に通じる。したがって彫刻と絵画の間に連続性が出て来るが、触れるものとしての人体。触覚性がフォートリエの絵と彫刻を結んでいて彼の中で保持されている問題。因にピカソの例(《アヴィニヨンの娘たち》1907年では、右側の2人の人物の顔はピカソが当時見ていたアフリカの仮面、左端の人物はオセアニアの仮面にインスパイアされていると言われている。身体はフラットでぺたんとした形になっているのがよくわかる。こういうものとフォートリエの関心は恐らく対極的というものだったという確認が必要。

身体の量塊性に関心をもったのは同時代の画家のなかでフォートリエはとりわけそれが強かった人かもしれない。
同じような厚塗りのテクニックでパリの画壇をわかすことになった画家が2人いる。ひとりはジャン・デュビュッフェで46年にパリで厚塗りの作品で美術界を席巻する。右側の作品は線を刻み込んでへらのようなもので刻み込んで成り立ち、それだけで厚みがあることがよくわかる、人体蔵を何層もある壁のようなものとして描いたが、人体はぺたんとした鯵のひらきのような形でイメージとしてはフラット。もうひとりはヴォルスでドイツ人の画家。ヴォルスの最初の個展も45年。45年46年と戦後直後にこの3人がほぼ同時に画壇に衝撃的なデビューを飾る。

それに強く反応したのがミッシェル・タピエという批評家。フォートリエ=アンフォルメルという神話を作ったのはミシェル・タピエという批評家。1951年にタピエがシニフィアン・ドゥ・ランフォルメルという展覧会をパリで組織する。新しい絵画の体系を代表する作家を集めて近現代の美学はアンフォルメルだということを示そうとしたマニュフェスト的な展覧会として組織したのがシニフィアン・ドゥ・ランフォルメル。その翌年に彼は「別の美学」というテキストを書いてマニュフェストを発表する。それがアンフォルメルという運動の起点になっていく。基本的に彼は戦争以前の美術を捨てなければならない。戦後の美術はグランドゼロから始めなければならないんだ。グランドゼロはアンフォルメルという美学的概念によってとらえられるものだ。その出発点にいるのがフォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルスの3人だとタピエは主張した。タピエの文章『別の美学について』を瀧口修造が訳して『みずゑ』(56年12月号)に発表されたアンフォルメルについての一説を引く。
アンフォルメルはアンフォルムという不定形な・・・消極的な意味と・・・以下略。


何を言っているか基本的には分からない。
タピエは別の美学や新しい美学が必要だといった時に、別の美学が内示しているものをこういうものが必要だということがついに言えない批評家だった。ただ、こうではない、ああではないということだけは言っていた。近代的なノンフォルマリズムではないし表現主義的な抽象を意識しているものでもないし、考えられる可能なすべてのフォルムの体系を予想し抱合するものがいろんな要素を吸収し新しい美学として出すのがアンフォルメルだと言っていた。それは単なる不定形ではない。そういうことを言って一大ブームを作った。そういう言い方、コンテキストが熱気をもって受け入れられたのは考察に値する問題だと思う。戦後美術で何をしなければならなかったという時にそれまでの近代美術が第一次世界大戦では何もできなかったので、それに対して別の美学が必要だという関心は共有されていた。そういう中でタピエが批評界のスターとしてデビューした。

タピエの来日が1957年(タピエと吉原治郎の写真)。タピエは具体を発見し非常に感激する。アンフォルメルで私がパリでやろうとしていたことが日本ですでに起こっていた。具体の作家たちは私が目指していたものを既にやっていると非常に感激し、タピエと吉原は共同戦線を張る。
具体は雑誌を発行していたのでそれにタピエが寄稿したり、タピエがパリの画廊に具体の作家を積極的に売り出すようなことを始めた。

具体にはどういう人たちがいたかというと、アンフォルメルを代表する画家としてパリにいた堂本尚郎、同時にパリに行った今井俊満。堂本さんも今井さんも非常にサイズが大きくて、もうひとつには絵具をぶちまけて、アクションペインティング的な要素を持った絵画が堂本・今井の共通点。パリを代表するアンフォルメルを代表する画家ジョルジュ・マチューも同じような特徴を持っていた。マチューは1957年にタピエと一緒に日本にやって来て日本中で公開制作をする。何回か百貨店に行って、東京では白木屋、大阪では大丸。このときできたのが豊臣秀吉などの作品。マチューの格好は浴衣を着て、恐らくカツラをつけ侍的な格好をして公開制作をする。見せ物的な興行的なやり方で日本の人々を驚かす。全身を使って左右に動きながら腕を大きく動かし作品を作る。タピエの興行者的なやり方に対してフォートリエはよく思っていなかった。初期は仲が良かったこともあるが、57年58年あたりから関係が瓦解していく。興行者的なやり方にフォートリエは批判的になっていく。元々アンフォルメルに含められることに抵抗をもっていて、アンフォルメルに対して懐疑的で、ヴォルスもデュビュッフェもしかりで、タピエのいうアンフォルメルの運動に3人は組み込まれたくないと言っている。

58年に日本の批評家瀬木慎一さんはパリに行きフォートリエを訪ねる。フォートリエはアンフォルメルの大家だと思ってアンフォルメルの話を聞こうとして行くのだが、フォートリエはいきなりタピエを罵倒し始める。瀬木さんは驚いて、フォートリエはアンフォルメルのことをよく思ってないのだと帰国後そのことを記事に書く。それから瀬木さんのアンフォルメル批判が始める。そういうエピソードがあった。
59年に南画廊でフォートリエは個展を開く。個展に寄せた文章の中でもタピエを批判と読み取れる発言をしている。

では日本の具体の人たちはどうだったか。例えば白髪一雄は具体の中心人物だったが、大画面、とりわけフットペインティングの手法で作品を作った人。183×203cm非常に大きく全身のアクションが、画面上に刻印された作品を作る。嶋本昭三さんはボトルに入った絵具を画面上に投げつけて、それが割れて絵具が散乱していく様子をそのまま絵画にして使っている。非常にダイナミックな作品だということがわかる。そこからフォートリエの人質に戻ると、いかにこれらの作品が小さいかということを改めて認識せざるをえない。
 
フォートリエとタピエのアンフォルメルの作家の違いはひとつにはサイズ。フォートリエの場合、50年代後半からあと一番最後の部屋にくると多少大きな作品になっていくが、それ以前の作品はほとんど小さないわゆるイーゼル絵画の標準的なものより小さな作品になっている。したがってアンフォルメルの画家たちのように全身的なアクションの痕跡が残されているものはない。むしろ2番目に非常に重要なことは、フォートリエの画面を見ていると図工的、図工をしているような、手で遊んでいるような特徴を持った作品が多い。カンバスとか石膏、石灰の重なりにより凹凸のある画面を作る。いろいろなものをこねて画面を作り、インクや水彩やグアッシュを使ってその上に形象を描いていく。その中には全身のアクションの痕跡はない。むしろテーブルトップ、デスクトップで図工をしているような感覚。手、触覚との関係は、彫刻と図工的なもの、手でこね回す、あるいはひっくり返して作って行くことで成り立っている。彫刻と絵画を連続性させている重要なポイント。フォートリエの彫刻はあまり知られていなくて、かなり早い時期にフォートリエの友人だったアンドレ・マルローが指摘している。45年の人質の展覧会の実現にはマルローの力があるが、マルローは文章の中でフォートリエのあれらの形態はタブローより彫刻からきていると指摘している。もう一方で触覚的なものとかかわるが、サイズが小さい、図工的、工作的、触覚的、手と目の関係でいうと手的であって目(め)的ではない。

それとかかわる3番目の問題として、見えないものの周囲に組織されている。ものを触っていると、ものとものの間の襞とか裏側とか見えないものに対する感覚がフォートリエには非常に強く一貫して存在する印象を受ける。
西洋美術の歴史において、絵画のサイズが極端に小さくなるのは基本的に印象派以後。印象派以前クールベまでは大画面の絵を描くことがが画家にとって重要だった。そうでなくなるのが印象派以後。
フォートリエは印象派のサイズ、モンドリアンやキュビスムの画面のサイズそういったものとの連続の中で人質のサイズがある。ただし小画面のイーゼル絵画の伝統は基本的には視覚中心主義により成り立っている。目に見えるものをどれだけ忠実に色として再現して行くか。印象派の特徴、モンドリアンもクリアに明瞭に視覚的な実態として捉えるのものもそうだが、基本的には視覚伝統主義の中にある。フォートリエはそうでなく小画面だが彫刻的な手触りの感覚が強く、視覚からはみ出す、あるいは視覚から排除されている何者かにそって組織されている感覚が仕事の中に常にある。彫刻を見てもそうだし左の裸婦もそうだが、乳房と乳房の間、手と身体の間とか非常に強い黒で陰影・影を刻みつけていくフォートリエの資質が初期から一貫してあることがわかる。乳房と乳房の間の谷間がある。見えない量塊性に関する彼の関心が強くあると言えるのではないかと思う。
右側の彫刻は遠くから見た時には後ろから見た女性像にも見える。背中とお尻に見える。目と鼻と口があって正面から見た女性像としてわかるが形としては反転可能。形の多義性のような見えないものが突然見えるようになってしまう感じ、図工的な関心が強くあるのではないか。

図工性についていうと、非常に雄弁に語るのがフォートリエの製作中の写真でよくわかる。イーゼルの上に置かれて描かれていることはほとんどなく、大体が水平のデスクトップに置いて描かれる、その上で絵具あるいは石膏をこねまわして乗っけて広げて厚くして刻み付けて図工的な作業で成り立っているのが彼の絵画。このことはまた別の重要なことを考えさせる。それは垂直面として成り立っている絵画と水平面として成り立っている絵画という問題。従来、西洋絵画は基本的にルネサンス以後の絵画は垂直面としてイメージされる。基本的に我々は直立していて、正面に見える風景を絵画の中に描いて行く。絵画表面は垂直面として我々日相対する。つまり垂直のポジションが絵画の原理的なポジションとして推移していた。それが変わるのが20世紀。垂直面だった絵画が水平面となって現れる出す現象が起こる。それが顕著にあらわれるのがキュビスムの時代やキュビズムの中で出て来るコラージュ。これらは水平面にあるデスクトップの作業で紙を貼付けたり動かしたりするので、垂直に展示されるが垂直なイメージが水平な場面でやられていた作業を思いおこす。
展示する時には垂直の壁にかけられるが、水平的な場面の中で作業を思い起こす。更に嶋本や白髪、ポロックの取り組みもそうだが、水平にキャンバスを床に置いて描画を行う。これは20世紀におこった絵画史上の重要な転換。中世にもそういうことがたくさんありそういうことが回帰したという言いかたもできる。この間にあるのがセザンヌ。セザンヌは垂直に成り立つ風景もたくさん描いているが、同時にこんな絵も描いている。静物というものが上から見下ろされる(《キューピッドのある静物》コートルード研究所蔵を紹介)。テーブルの上に置かれたお皿やテーブルが上から見下ろされた格好で描かれている。それにより水平面が強調される。正面より斜めに見下ろしている視覚により水平面が立ち上がる構造になっている。さらにいうとこれはコラージュ的な手法により成り立っている。背景に見えている3枚のキャンバスの絵。とりわけ左端に見えている画中画は自分の作品を自己引用している。ワシントンナショナルギャラリーにある絵を自分でもう1度画面の中に描いている。画中画の布が外に出て来て前景のテーブルの上にある布と一体化している奇妙な構造。キューピット像は後ろの背景にあるキャンパスによってフレーミングされている。更にいうと彫刻を描いているセザンヌ自身が描かれている。構造的にはコラージュ的。こういうものを経て、ピカソのような人たちはキュビスムの経験からコラージュの実践を始めている。セザンヌを超えてレディメイドで存在している壁紙や色紙、新聞紙を切って貼付けることによって成り立たせている仕事。こうなると画面の奥行きの問題は存在せず、むしろ画面の上にいろいろと紙を動かしながらこうでもない、ああでもないと作業するピカソの姿が思い浮かぶが、水平面的なロジックで成り立っている。
こういうことが20世紀には当たり前になってくる。クレーも下地を非常に丁寧に作って行く作家で、油彩を使い水彩、いろんなメディウムを混ぜてひとつの画面の中で作って行くことを始める。こういうものが20世紀に入ると沢山つくられる。

キュビスム以後絵画の空間の成り立ちが変わっていく。コラージュ以後、絵画はむしろ外に飛び出しどんどん厚みをもち初めていくのが20世紀頭の絵画の状況。
フォートリエの小画面だが厚みがあって何層にも塗り重ねて行く画面は、こうした美術史的な記憶と切り離せないと考えている。タピエは戦前を切り捨てグランドゼロから始まったと言っているが、きちんとこういう伝統から考えないといけないかなと思う。
更に付け加えて行くと先程フォートリエの仕事は基本的に静物と肖像によって成り立っていると言ったが、振り返ると静物と肖像はキュビスムの重要なジャンル。フォートリエの仕事はキュビスムと共通している。そういうものとの連続性の中にフォートリエの仕事はある。
美術史的な記憶の問題が、フォートリエの作品を見ていると読み出されて来る感覚を持つ。もう一方でフォートリエの多層化された絵画には行為の時間というものが刻印されている。厚みのある層を作った後にドローイングをちょろちょろっと付け加えることで、制作の時間が何層にも塗りこまれていることにより見出せるし、ある種の厚みをもったものとして読み出せる。ポロックや白髪さんや嶋本さんにはは全身的なアクションの痕跡があるが、フォートリエの作業にはそういったものはない。
むしろフォートリエの作品を見ていると、たとえは悪いがお好み焼きやハンバーグを作っているのに近い感じがある。速度性やダイナミズムという言葉で捉えられる感覚はフォートリエの絵画にはない。それにはフォートリエ自身も感じていたのではないかと思う。塗り重ねられた層の上に弱々しい輪郭線で人の顔らしきものを描いて行く。かわいい少女という作品もそんなテクニックによって成り立っている。これは今日見ていて気づいたが、層状に下地をつくりその上に弱々しい輪郭線でイメージを描く、つまりイメージと素材・物質が乖離して行く。ある種の乖離、分裂を起こすのは30年代の後半から。そこで一連の静物画を作っているがそこで初めて出て来る問題だと今日気づいた。その問題はそこから始まる。それ自体重要なことだと思う。
この作品に特徴的なのは左上の余白、右側の余白の部分に黒い点々があるがこれはフォートリエの指紋。見えない空間、触知性、触覚性によってイメージと物質の乖離により見えなくなる部分が生じている。見えなくなる部分をもう1度、彫刻的につかまえようとしている。指紋が残っているのはそういう問題に対して示唆的だと感じる。茫洋とした空間が広がるというのもある種触れるものとして描いている。

アンフォルメルについてもう1度言うと、南画廊の展覧会でフォートリエが書いた文章の中に、こういう一説がある。
自らの・・略・気障な遊びは、マチエールや化粧漆喰・・略・・・最後にはたまたま掘り出した模倣。お互いに模倣しあうことしかできなくなってしまう。現実は作品の中でも生き続けなければならない。・・・略

これも示唆的な文章だが、アンフォルメルと自分は違うと言いたい。アンフォルメルは気障な遊びだ。結局、ある種のヴァリエーションを差し出すのが落ちでお互い模倣しあうことしかできない。アクションペインティング的にある自由が絵画のモチーフになるとすれば、マンネリになるだろうというのが彼の見解。彼が大事にしたのは現実。現実は作品の中でも生き続けなければならない。逆にいうとアンフォルメルは現実から乖離していると言いたい。自分は現実を作品のモチベーションとして意識し続ける。ここで現実と言っているのは人質の場合は、戦争時の過酷な悲劇を現実の体験としてモチベーションとなっている。そこから全く新しいものができるわけではなく美術を考える時は常にそうだが、グランドゼロから何かができるわけではない。
やはり画家は手持ちの方法を使うしかないが、手持ちの方法を解体して作らざるを得ない。そういうものの拮抗。
同じようなアンフォルメルに対するマンネリ化・自動化に対する疑義の念は同時代に多くの人が言っていた。岡本太郎もタピエの来日時のアンフォルメルブームに懐疑的だったひとり。
タピエと瀬木慎一と岡本太郎の対談からの文章の引用。略

太郎は一貫して絵画の自己目的化に懐疑的で彼自身の戦争中の体験が大きい。
日本においてなぜモダニズムが定着しなかったのかにも通じるが、20年代30年代に幾何学的抽象をやった人は沢山いるが、続かない。それは戦時中に抽象絵画をやっていた人たちの美学がファシズムに無力だったことにつながっているところがある。太郎はアヴァンギャルドだ前衛だと言っている。太郎の絵が良かったかは別として思想としてはそう。
こういうこととフォートリエの実在を中心として浸透を与える、さっきの言葉で実在とか現実というのを表現ではなく推進力として作品としての機動力となっていく。実在や現実を表現することではなくやってくるのは推進力で、フォルムが解体され作品としての機動力になっていくということ。
フォートリエの来日時に、アンフォルメルの関係の中で紋切型化した受容が一般的になった。富永惣一氏のフォートリエを迎えてという文章の中でこういうことを言っている。一つの無垢な現象・・・・。略
文学的に無垢な発言や慟哭であったという言い方をすると人質という連作がヒューマニズム的なロマンティックな読み方になってしまう。戦争の悲惨さを人質によって表現したんだという語りが出て来る。

フォートリエの方法は似ているようだが微妙に違うと思う。作品の中に生き続けなければならないことが重要なポイントで。紋切り型のヒューマニズム的な語りの中で取り逃がして来たものがフォートリエには色々あると思う。
図工的といったのがそういうもの。
カリカチュア的とさっき言ったが、あるいは図工的、お好み焼き、ハンバーグ的といったもの。連作を繰り返し見ていると、ほとんど子供の遊びのようなある種、泥をこねる時の喜びのような、原初的な快楽のようなものが登録されている感じがする。そういう作品の中に起こっていることは、ヒューマニズム的な読みだけでは捉えきれない複雑なものだという気がする。同時に人質の連作の中ではピンクとか緑とか明るい色が使われたり、漫画的形象が出て来るが、こういうものに対して初期のフランスのフォートリエの同僚たちはかなり的確に反応している。盟友ジャン・ポーランの言葉だと、拷問され・・・略・・・このような恐怖のまっただ中から・・・にたち現れる優しさがある。フォートリエの絵の中にある両義性を言い当てている。アンドレ・マルロー:我々はこれらの作品に納得するだろう。ほとんど柔和といった困惑するだろう。別の側(政治的、ヒューマニズム的ではない)に落ち込むこともあるのではないか。この世の価値の体系を超えた別の場にに落ち込むことがあるだろうと言っている。

更に面白いのは1959年の南画廊のパンフレットに東野芳明が文章を寄せている。彼は人質のシリーズをしわくちゃ性という言葉で言っている。同時にシンパシー悲劇的に理解するのが危険であると言っている。東野さんらしい慧眼だと思う。同時にフロイト理論を研究しながら、子供がうんこをこねるような、とも言っている。フォートリエの絵がそういうものとどこかで通底するのではないかと初期のテキストですが、むしろ初期であるが故にきちんと見ていたのではないかと思う。そういう言葉をきいて見ると確かにそういう気がしてくる。

痛みと喜びの間を作品として動揺している。喜劇でありながら悲劇。そういうものの間を層状の絵画として出現している。我々の世俗的な分別を無効化するような過剰な 同時に物質と記号としてのイメージ。物質としての下地と記号としての顔が乖離しているその間に変な動揺が生じている。
例えば3つの作品、この目が沢山出ているが、30年代の静物が2枚あって、54番と56番。葡萄の真ん中に・・・ホリゾンタルなものが垂直に置き直されている。様々な記号とイメージが物質の中で多義性を出来させている。

もう一方で肉、痛み、暴力に関して言うと、フォートリエの中には一貫して食べることに対する暴力性に関心がある気がする。山鶉や吊るされた兎の作品、イノシシの作品もある。同時に一番面白かったのは《羊の頭部》34番の作品。羊の頭部は、人間がものを食べる中で無意識のうちに実行してしまっている暴力、凶暴性、それらに最初から関心があったんだろう。食への関心は静物の世界の中では基本的にはブルジョワ的な富の象徴や洗練の象徴として描かれるが、食べることは根源的には暴力とつながっていると意識していたのがフォートリエ。羊の頭部はとりわけ重要な作品だと思うが、これは見下ろされる視点で描かれている。白いテーブルクロスの上に羊の頭部があって、肉の塊であると同時に顔でもある。人質の中にある構造の基本は既にあの絵の中にあると言って良い。白いクレイの中にぼんと置かれた顔。しかも顔は動物、生け贄にされた動物と人質は地続きのイメージだと感じる。捧げもの、供犠の捧げものとしての食、あるいは動物の死体、それを食べる。ある種のプリミティズムにもつながるような感覚が静物の中に一貫してある。同じようなことは女性像にも通じて、プリミティズムの文脈の中ででてきた女性像にインスパイアされた女性像を描く。祈り、豊穣的なもの、宗教的なものに使われた女性像。そういうこともフォートリエはどこかで意識していた。
ジェンダーに非対称性があり、肉としての女性像、顔はむしろ男性が多い。フェミニズム的に女性の身体だけが暴力の対象ではないということも可能だがむしろそれだけでは片付かないような匿名性、呪術性、宗教性、聖性を帯びたものとした印象を受ける。
ジェンダー的な観点と言うと、人質になった兵士を浮かべるが、よく見るとどうもそれだけとは言い切れないような気がする。ピンク色とか頻繁に出てくるので決定不能性みたいなものを感じる。

基本的にフォートリエは構図に無関心という話をしたが、顔は中心に置かれ、静物画も大体中心にモチーフが置かれている。それは女性像を描いていても同じ。いわゆる構図によって表現されるような個人的な趣味、美的センスといったものを芸術で表現するのはフォートリエの意図ではなかった。それまでの絵画はそうでなかった。モンドリアンは象徴的だがモンドリアンは垂直線、水平線の3色だけで成り立っている。そういうものを支えていたのは微妙なミリ単位で調整している。最終的にこれしかないという構図で作品として出している。フォートリエはそういうこととは無縁。自分の美的判断に従った構図にするのではなく、与えられた画面はお皿のようにその上だけで何かを作業するイメージ。そういった感覚と通底するのかと思うが、フォートリエは50年代から今回の展覧会には触れられてない部分だが「オリジナル・マルティプル」という考え方を全面に押し出している。
版画のテクニックで同じものを何枚も作り、その上に手で色をつけ、ヴァリエーションを付けて行く。55年にはこのシリーズで個展を開催している。オリジナルマルティプルの考え方を提唱していく。実際に50年のカタログには作品はもはや単一でなくマルティプルになっていくと言っている。以下引用略。油彩にこだわると小手先の作品しか作られないだろう。略・・・
手を使って1枚の絵を描くなんてことはやめるべきだ。メカニカルな方法で絵を作ることを考えるべきだ。版画の手法で描かねばならない。もう2度と私の作品を見ることはない。

それでもいっぱい作り続けて全然やめてない(笑)。でも、基本的には同じ構図でやっぱり作り続けている。50年代以降の作品も画面の中心にモチーフを置いている点は変わらない。
そういうことをフォートリエが言っている背景には、テクノロジーの変化がある。50年代に大衆社会が非常な速度で進展していって、1点ものの美術が古くさいものとして認識される。新しい技術を使って広く大衆にアピール、伝播する方法はないかという問題意識からそういう考え方が出て来る。同じモチーフを版画で作り、手技でバリエーションを作る、構図はやはり中心にモチーフがありそれのヴァリエーションによって成り立っている。ジャン・ポーランが書いたフォートリエのモノグラフにフォートリエは自分の自画像を提出する。本に差し込まれた絵は自分の肖像画を繰り返した自画像。ウォーホルに先立つこと40年前にこういうことをやっている。写真複製が非常に簡単にできるようになり本にも挿絵が挿入されるようになる。複製技術に対して新しい回答をしようとしていたのがフォートリエという画家。こういうものと同時に図工的な手技で作って行くことを彼はやめようとしてもやめられなかった。その感覚は残り続ける。
ただし絵画の構造にはより意識的になったと思う。《四辺画》と言っているのには訳があって、画面の4つのコーナーに全部サインがあって、つまりどの方向でかけてもいいようになっている。垂直にかけると垂直性が強調されるので、横長の方が水平性が強調されしっくりする。地の部分を更にその上にグリッドを描いている。フレームと中心性によって成り立っている。水平面の作業に自覚的に意識しながら作っている。

フォートリエのマンネリ化しやすいというアンフォルメルへの批判が、彼自身の作品にも当てはまるかという問題が出て来る。人質の連作の反復はトラウマ的な反復の痕跡として出て来たように見えるところがある。トラウマ的な経験は何度も何度も抑制しようとしてもよみがえる。そういうものに対して50年代の反復が意味のあるものかどうか単なる自己反復かどうか微妙なところにあり、明瞭な答えを持っていない。絵画の構造について後半は自覚的になっていくのは事実。色調がずいぶん変わって、明るい色調は人質の時代まではほとんど出て来ない。50年代後半からは青とか紫とかグリーンとか明るい色調が主になる。それによりある開放感みたいなものがあるのは確か。トラウマ的なものは感じさせずむしろ幸福感のようなものを感じる。メタファーでいうとバースデーケーキのような。

余談だが、オリジナル・マルティプルに関していうとフォートリエと同じことを日本で考えていたのが河原温。1959年の記事「印刷絵画の発想と提案」。印刷物で複製を作りそれにある種のヴァリエーションを付けていくのが現代の絵のあり方ではないかと言っている。(東近美の展覧会「実験場」で展示された河原温の印刷絵画の展示写真を紹介。)現代的な、大衆社会の中でありうべき芸術の姿はこうなんだよと言っているのはフォートリエの問題意識としては通底する。河原温は先日亡くなられたが、渡米以後はこの頃の作品は河原本人がなかったことにして展示することを拒んだ。この頃の自分の仕事を河原温は否定した。河原温「原画一点への基本」美術手帖より引用 略 

これを読んでいるとほとんど写真論に見えて来る。写真は複製で雑誌という媒体で読者に届けられる。1点ものの絵画が時代遅れになっているという問題意識は共通している。

フォートリエの絵画を層状絵画といったが、フォートリエの中にどういう層が編み込まれているかを簡単に図式化したのがこの図。
水平性、記号化されたイメージが出現していた。水平性には両方の極を持っている。思い出して欲しいのは水平面は落書きの表面。子供はまず水平面で絵を描き始める。絵画は垂直的なものと思いがちだが、最初に絵を描き始めるときは水平面を相手にしている。水平面を相手にする時は必ず記号化されたイメージが出て来る。巨大化された太陽や友達などすべてもが記号化されている。両者の記号かされたものが発現の場が出て来る水平面と、重層する物質としての平面の両方がフォートリエにはある。もう一方で様々な時間を意識せざるをえない。ひとつには長い肖像画の伝統を意識せざるを得ない。構図の中心性の問題は肖像画の中心性は当たり前。そういう伝統の中で仕事をしている。静物も印象派以後重要になってきてそういう静物との関係性。コラージュから生じて来た画面の重層性との関係性を考えさせる。もう一方で行為の痕跡としての時間を読み取ることができる。そういった二つの時間制がフォートリエの絵画には刻印されてる。欲動性という言葉が良いのかわからないが、過酷な現実を経験した絵画の外側からやってくる刺激をどうやって絵画に翻訳していくのか。その一方である種の快楽や絵画の遊戯性が同時に混在している。プリミティズムといったが人間の持つ暴力性、供犠とエロス、食べることにおける暴力性と神聖性が両義的に絡まり合っているようなものが絵の中に存在する。同時に反ブルジョワ性、構図というものを大切にする近代絵画の伝統に対してそうではない。オリジナルに対して複製、いわゆるブルジョワの文化が大事にしてきたオリジナルの神話を解体するような方向にいくような反復的、複製的、匿名的な感覚がフォートリエには色濃くあったのではないかと、いろんな極の中にフォートリエの絵がひとつの結節点として存在するような印象を受ける。多元的な重層的なレファレンスの中で今後フォートリエの絵をどう考えて行くかが重要になってくると思う。
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